武術に道とは
戦い、殺し合いから道にしていったものは何か?
テコンドーではチェホンヒ総裁は武術を
弱い人でも武術を持って力の強い人を制し
護身の必要性を説いている。
元日本軍人でもあり空手を学び、道と向き合ってきたからこそ、「道」を重きに普及を願われたが、、
世界や国内に普及していったものは
道から外れ、
佐山氏が云われる矛を持って行進にならずの現状である。
武道が日本発信ならば、
そもそも日本の事を知らないと
武の道は、矛を持つ事さえ絶たれる。
人の手と足をちぎれと言っているのと同じ。
日本国が今抱える一番に考えないといけない
世界が混沌としている現状に
これからの事を考えて真剣にならなければならない
安全保障の問題は
自由民主党が成立目的として掲げた
憲法改正、9条であります。
道を外れて目的を失っているのは目に見えて
国民からの信用も無ければ
国民の抱える問題はそこよりも
違う目で見ていて軽視しているように見えます。
だからこそ武の道にいるものは
真っ先にそこを問うべきなのですが
前述した通りの
道から外れたものの普及で関心はそこには
ありません。
武術とスポーツ、
武道とスポーツは
「一緒」になってしまっているようです、、
初代の天皇が武で統治した
神武天皇から日本は建国となりました。
殺して奪い続けた他国とは違い
武で統治したのです。
日本の古事記のシラスやウシハクや
山本常朝の葉隠れ聞書も
佐山氏は語られます。
日本は
シラス国だからこそ
武人にも「道」が出てきたのでしょう
朝ドラの「あんぱん」をカミさんと観ていたら
学をおさめ、業をならひ、と女の子が
暗唱していたのを聞いて
「教育勅語!」とカミさんの横でおもわず声を出してしまいました。
明治天皇が国民に向けなければならない理由は
西洋西洋と煌びやかに映る政り事を重視する
政府や国民に危機感を抱かれ
日本の「道」と通ずるもの
それが崩れていくのを感じられたから
教育勅語を発布された
大日本帝国憲法の1条の部分の「統治ス」の誤解なき
意味は
井上毅が作った草案では「之ヲ統治ス」の部分は「之ヲ治(しら)ス所ナリ」であった。(シラスとは「お知りになる」が由来で「公平に治める」という意味である・天皇の統治は、あくまで国民の心を知って、国民のために行なう公共的なものであり、この統治理念を「シラス」という
あらゆる悪党、理不尽、暴力、反則に
フェアプレーと根性で戦ったタイガーマスク
佐山氏の動画をきいていたら
脳内でこの曲が流れました