7月29日(日)
いよいよ今日はフィレンツェ滞在の最終日。
飛行機は夕方なので、午前中にピサ半日観光に参加。
昨日と同じようにサンタ・マリア・ノヴェラ駅に集合。
ピサは地中海に面した街で12,3世紀には
アマルフィ、ジェノヴァ、ヴェネツィア共和国と並んで、
4大海洋国家として繁栄した。現在は静かな小さな街のたたずまいだ。

だが、ドゥオモ広場に入ると、豪華なドゥオモ、洗礼堂、そして
なによりもあの斜塔に過去の繁栄ぶりを一目で想像すること
ができる。
 
この広場は「ミラコリ広場」、奇跡の広場、と呼ばれているように、
それぞれの建物の造形だけでなく、緑のなかに見事に配置されて
美しい空間を形成している。
ドゥオモは正面を4段の列柱で飾られた繊細な印象。
 
向かい側に立つ洗礼堂は直径約35メートル。
全体は白い大理石で、建物の下側がロマネスク様式。
大聖堂と同じような優美な列柱とアーチで装飾されて
いる。上側はゴシック様式を示し、尖塔群によって
優雅に飾られている。
 
斜塔はドゥオモをはさんで反対側にある。
1173年~1372年にわたって建設された。
100メートル以上を予定されていたが、3層目
まで工事が終わったときに傾き始め、役半分の
高さになった。1990~2001年の間に行われた
工事によって現在は3.99度に傾きが是正されて
いる。地盤の地質が均質でなかったことが、傾きの
原因といわれている。
ガリレオはこの町の生まれだが、落下の実験は真実では
ないそうだ。
 
 
ここでも結婚式をするカップルが。
 
かつてのサンタ・キアーラ慈善病院。今は土産物屋や
ドゥオモを飾る美術品を集めた美術館が入っている。
広場を囲む外壁
   
 
 
古代のフレスコ画と中世の彫刻作品を展示するカンポサント
 

これで最後の観光地ピサともお別れ。
 


フィレンツェに帰って、
最後のフィレンツェの散策
    
路地

 街の芸術家
アルノ川
   
                    河畔の美しい家々

10日間のフィレンツェ、たっぷり楽しんだような気もするが、
まだまだ見落とした作品や建築物がある。
それは次回のお楽しみとしましょう。

とにもかくにも、初めての一人旅、無事に過ごせたのを感謝。
そして楽しく安心のうちに終えることができたのは、偶然にも
ご一緒できた早川さんのおかげ。感謝です。

一路東京へ
 
 
  

 

 
 
  
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 

  
 
 
  

7月28日(土)
今日はサン・ジミニャーノ、シエナ、キャンティの一日観光。
8時半にサンタ・マリア・ノヴェラ駅前に集合してバス乗り場
まで歩いて、それから出発。

一路、西のサン・ジミニャーノへ向かう。
2時間ほどで到着。街を囲む腸壁の一番南にある
サン・ジョヴァン二門から街に入る。
   
すぐに見えてくるベッチ家のアーチをくぐって、サン・ジョヴァン二
通りを北へ進むと、街の中心チステルナ広場。
  
               チステルナ広場のチステルナ(井戸)
              と残されたフレスコ画
   
                    中世の細い道 
チステルナ広場に隣接して参事会教会(ドゥオモ)がある。
 
12世紀ロマネスク様式の教会で、質素な外観とは
対照的に、広い堂内は美術館のよう。左右の壁面は
新約聖書の場面を描いたフレスコ画で飾られている。
残念ながら撮影禁止。
サン・ジミニャーノが栄えていた中世にはこの街は
貴族たちが富を競って建てた塔が70あまりもそびえて
いた。現在は14本しか残されていないが、その塔が
この街にユニークな美しさを与えている。
ドゥオモ広場から4本の塔を見ることができる。
 ドゥオモ広場

 
右側の塔はポポロ宮殿に建てられた「ロニョーザ塔」(大)
と「キージ塔」(小)。左側はポデスタ宮殿の「サルヴィッチ家の
双子の塔」。


中世の道筋のお土産屋。
いのししのハムやサラミ、
ワインなどが名物。
 
街は丘の上に位置していて、街はずれから
トスカーナのワイン畑を眺めることができる。

サン・ジミニャーノのあと、少し東南に向かって
シエナを訪問。
オリーブの木とぶどう畑のなかにぽっかりと現れた
シエナ。
はじめに訪れたのはサリンベー二広場。
コの字形に建物が広場を囲っている。
左側は16世紀バロック様式(四角い窓枠)
のタントゥッチ館。正面が14世紀ゴシック様式
(尖塔アーチ型窓枠)のサリンベー二館、右側は15世紀
ルネッサンス様式(上部が丸いアーチ型窓枠)のスパンノッキ館。
すべて19世紀末にゴシックリバイバルにのって建設された。
窓枠に様式の差が現れている。
現在はすべてモンテ・デ・バスキ銀行の本部になっている。
広場には17世紀の会計学者サルスティオ・バンディー二の像が
建っている。
 
シエナは世界で最初に銀行が発生した街
だと、言われている。

トロメイ広場に建つトロメイ館。
サリンベーニ家と同様に裕福な一族だった
トロメイ家によって13世紀に建てられ、大きな
2連窓が2層に連なっている。シエナで現存する
もっとも古く、気品ある建物と言われている。

右のほうに見える円柱の上には「双子に父を与える
牝狼」の像がある。
 
名前がわからないが、かわいい教会。
  
商人のロッジア
こういったロッジャ(開廊)は古代から都市の主要道路の出会う地点に
建てられた。15世紀のゴシックとルネッサンスの過度期の優美な建物だ。
柱の上に乗る3つの大きなアーチが広い空間を作り出し、
開放感を与えている。柱には彫像が飾られている。

「商人のロッジャ」を右に進んで、左へ曲がると、
大きな広場にでる。それがシエナのカンポ広場だ。
 
ここでかの有名な競馬レース、パリオが行われる。

貝殻の形をした世界でもっとも美しいといわれる広場。
ここはシエナが位置する3つの丘が出会う地点で、丘と
丘の谷間にあたる。周囲は建物に囲まれ、貝殻状の
中心はププリコ宮殿(市庁舎)がある。建物に付属して
建ってにいるのはマンジャの塔。



東に数分行くと、シエナのドゥオモがある。
 
白黒(緑っぽい)大理石の縞模様が特徴の
大聖堂で、この色はシエナのシンボルカラー
となっている。ファサードはこれに赤大理石が
加わり、華やかな雰囲気だ。多色大理石とモザイクで
装飾され、イタリアでもっとも美しいゴシック様式の
ファサードと、言われている。
 
こんな素敵なところで結婚式をしているカップルが。
  
白黒大理石の縞模様の柱が並ぶ身廊。
 
アントニオ・ロッセリーノの聖母子像。両脇の彫刻は
ミケランジェロによるもの。
  
床にはこのような56の場面を描いた大理石の見事な象嵌細工
(13~14世紀)がある。
二コラ・ピサーノによる緻密な祭壇画。
 
歴代教皇171人の胸像。ちょっと怖い。
 
Cappella Maggiore のMadonna col Bambino
 
ジョットによる戴冠のマリア
 
ピッコロミニ図書館のピントリッキオのフレスコ画
すばらしい色彩

  
                    ローマ時代の3美神像

装飾入り楽譜
 
シエナの町並み
    
シエナを出て、オリーブ畑をドライブ して向かったのはキャンティ。
  
ワイナリー見学         ワイナリー試飲

今日のツアーはワイナリー試飲で終了。トスカーナは(イタリアは?)
いたるところ芸術に満ちている。


 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 

 


 



 


 
 
 




 

 
  7月27日(金)
いよいよ学校も最終日。2週間に一回進級テストがある
ということで、今日がその日だった。2時限目にテストを
受けて、待っている間に結果が知らされた。
私は77点。50点以上が進級できるので、私はOK.
たったの5日間で上達するはずもないけれど、まあ、
落第しなくてよかった。
午前中だけ学校で午後は観光、というのは名案だった。
ちょっとは勉強した気分になれたし、いろいろな若者に
出会えた。ほんの数日なのに、親しい気持ちになって、
別れを惜しんでくれた。一日にメリハリがついて、
午後の観光も集中出来た気がする。

学校を出てから早川さんのお勧めのパニーニのお店に
行く。お店だけで食べるところが無いので、みんなその辺で
立ったり、座ったりして食べている。評判の店らしく
美味しかった。
その後、明日のツアーの待ち合わせ場所の確認に
サンタノヴェラ駅に行く。
 

サンタノヴェラ駅前の広場。この向かい側は
サンタノヴェラ教会の裏側にあたる。

ついでに近くにあると思われるサンタノヴェラファーマツィア、
薬局に行ってみようと思った。石鹸やアロマなどで日本でも
有名だが、なかなか見つからない。
それも道理、有名だから大きな店舗になっていると
思いこんでいたが、 

 

このようにビルのただの入り口のたたずまいなので
見過ごしてしまったのだ。
でも、内部はl宮殿のようにすばらしかった。

この薬局はドミニコ会の修道院の修道僧たちが薬草を
栽培して薬剤を調合したのが始まり。1612年に薬局
として認可、一般に営業するようになった。
もともとは病んだ修道士たちのミサを行っていた聖ニッコロ
礼拝堂という礼拝堂だった。1600年に火事で消失したが、
1848年に修復されて販売サロンとして利用されている。

  

天井には4大陸を象徴する人物像が描かれていて
「4大陸でその名を知られた薬局」の意味がある

   
 
ポプリ、石鹸、バラ水、バラの紅茶、などを販売。
私はオリーブオイルと蜂蜜を買った。

その後川向こうのサンタ・フェリチタ教会へ向かう。
カルミネ教会と同様に地味なたたずまいだが、
ポントルモの「十字架降下が保存されていることで
有名だ。教会へ入ってすぐ右手の、鉄柵で囲まれた
小さなカッポーニ礼拝堂にそのフレスコ画があった。
薄暗い礼拝堂は50セントいれると照明がついて
鮮やかな画面が現れた。人物の表情は物憂げで、
スローモーションの動きを捕らえたような作品だ。
ポントルモはフィレンツェのマニエリスム絵画を
代表する画家である。

 

ピッティ宮殿はここから数分のところにある。
路地を歩いているとちょっと素敵な洋服屋さんが
目に入りつい一着買ってしまった。手ごろな
値段だったので。19.90ユーロ。

ピッティ宮殿は市内の建物にくらべ、広大だ。
 

広大なだけあってピッティ宮殿の入場料は13ユーロ。
高いと思ったが、思いきって入る。
パラティーナ美術館にはラファエロ、ティツィアーノ、
ルーベンス、フィリッポ・リッピ等、名作が
いっぱい。
   
写真撮影禁止にきずかず携帯でとってしまった。

ホテルに帰ったあと、早川さんと夕飯。今日は早川さんに
とって最後の日なので、ホテルの前のTRATTORIAで
最後の晩餐。
 

わたしはフィレンツェ名物のbisteccaにする。
一番小さいので800グラム。大きいと思ったが、おいしくて
ぺろりとたいらげた。

その後、美味しいジェラートを食べて、それから早川さんの
見納めに夜のドゥオモを見に行った。
ドゥオモはくらい夜にも、白く光っていた。
外壁の大理石のせいだろうか。

 


 
  


 


 


 
 
 
 

7月26日 (木)
1時半で閉まってしまうので、授業の後急いで中央市場に行く。

  
 チーズ、ワイン、ハム、野菜、果物、パスタなど、料理関係の食糧品が
いっぱい。お店には日本人の店員が結構目立った。最近は日本人より
も中国や台湾、韓国からのお客が多いとのこと。そう言えば町でも
日本人の姿はあまり見ない。クッキーやチーズなど、
お土産をここで買うことができた。

トルナブオーニ通リはホテルへ行く道を過ぎるとすぐにアルノ川に
つきあたって、サント・トリニタ橋に入る。そのちょうどホテルへ
入る道の手前はサント・トリニタ広場になっていて、そこにこの
「正義の女神像」が建っている。


なんでこの像がここにあるのか?
メディチ家のコジモがストロッツイ家などの反乱に
勝利した時わざわざ、ストロッツイ宮殿がそばにある、
ここに建てたという、いわくがあった。

午後、川向うの、昨日夜に行ったレストランの
そばのカルミネ教会に行く。
正式名はサンタ・マリア・デル・カルミネ教会。
石とレンガを積み上げたままの未完のファサードは
地味だが、中庭の回廊は、美しい。

地味な外観ながら、この教会の礼拝堂、ほんの
10人も入れば窮屈なほど小さなブランカッチ礼拝堂
は、「ルネッサンス絵画のアトリエ」といわれ、
近代絵画史の出発点となったフレスコ画が描かれて
いる。
  ブランカッチ礼拝堂

マザッチオ(ブルネッレッスキやドナテッロの親友で、ともに
古代ロ-マ芸術の強い影響を受けた新しい様式を実現させた)
の「聖ペテロの生涯」。
 



このブランカッチ礼拝堂は後にボッティチェリやレオナルド・ダ・ヴィンチ、
ミケランジェロが学ぶところとなった。

カルミネ教会のあと、ホテルのそばでいつでも行ける、と思っていながら
時間に間に合わず入っていないサンタ・トリニタ教会に行く。
11世紀に創建され、13世紀にゴシック様式の建物になった。
ファサードは16世紀初頭に再建されている。写真の通り
地味な外観だが、他の小規模の教会の例にもれず、
内部には歴史的、美術的に重要な作品が収蔵されている。
  

  

中央主祭壇画はドメニコ・ギルランダイオの「牧者の礼拝」
礼拝堂の壁画は「聖フランチェスコ伝」

これらのフレスコ画によって当時のフィレンツェの街の様子や
上流階級の衣装、風俗を目にすることができる。
教会の内部は非常に暗いが、50セントを入れると、
この絵のあるサセッティ礼拝堂に数分照明がついて
明るい中で鑑賞することが出来る。(入場料はただ) 

この教会はブランド通りで有名なVia de Tornabuoni に面していて、
歴史を刻んだ重厚な建物の中に世界になだたるブランドが軒を並べている。

 

 

ドゥオモの方に数分行ったところに Piazza della Republica
共和国広場がある。イタリア国家統一を記念してできた広場。
メリーゴーランドがあり、レストランが周囲を囲んでいる。
人々がベンチに座り観光の疲れをいやしたり、待ち合わせを
したり、憩いの場になっている。

  
  
広場の周りの回廊。       ( Hard Rock Cafe も )
毎晩このキオスクで冷たいお水を1.5ユーロで買っていた。

この近所にもう一つ、通称麦わら広場と呼ばれる広場があって、
昼間はフィレンツェの手工芸品が所狭しと並べられて観光客で
賑わっている。
その一画に鎮座しているイノシシ。
あった。ここにも。なでるとまたフィレンツェに帰って来られる、
と言われる観光地シンボル。
長い鼻がぴかぴかに輝いていた。
私もやっぱりみがきましたよ。願いを込めて。
 


夜はやっぱり早川さんと待ち合わせて食事。
Nuti  日本語のメニューがあったのは日本人に人気だから?
私はラザーニャ。やっぱりイタリアでは一回はパスタでしょ。 
    





















 7月25日 (水)
今日は授業の後、1時半までしか開いていない
サン・マルコ修道院に急いで行く。
現在は美術館になっているが、もとはメディチ家のコジモが
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会と同様にドメニコ会の修道院
として1437年に建設した。大小4つの中庭と菜園、二つの
食堂、43の僧坊、図書館などを含む大建築である。
ファサードはちょうど、修復中で、写真は撮れなかったが、
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会やサンタ・クローチェ教会に
くらべ、地味な装飾だ。
中庭とそれに面する地域しか撮影出来なかったが、
ここはフラ・アンジェリコの美術館と言ってもいいほど、
フラ・アンジェリコのフレスコ画が堪能できる。
 
中庭
 
中庭にそった回廊にあるフラ・アンジェリコの
「聖ドメニコの跪く磔刑図」
フラ・アンジェリコのあの有名な「受胎告知」は
2階にあがる階段を登ると、思いがけなくその
踊り場に現れた。(ここから上は撮影禁止なので
ガイドブックで思いだすしかない)
想像していた以上に清楚で、静かな画面に引き込まれる
ような魅力がある。
この階にある僧坊にはフラ・アンジェリコとその工房の手で
「キリスト伝」の場面がひとつずつ描かれている。
一部屋一部屋が厳粛さに満ちて、ここで修行できた
僧たちは幸運だったな~と思う。
そのほか、図書館では羊皮紙に書かれた見事な
装飾の大型写本を見ることができる。
小食堂にはギルランダイオのフレスコ画「最後の晩餐」が
まるで食堂の空間の延長上にあるかのように描かれている。
また、この修道院は院長として支配したことのある
サヴォナローラの遺品も展示されている。
時間があまりなかったので、いつかまた機会があったら
ゆっくり訪れたいと思う。

今日は暑かったので、一度ホテルに帰りシャワーを浴びたり、
簡単に洗濯をしたりして休む。

向かいの窓からのぞいていた猫。


7時半ごろ早川さんと待ち合わせをしてアルノ川の反対側の
レストランに向かう。

この露地をダンテとかミケランジェロが歩いたんだろうか・・
      
                美しい夕暮れのアルノ川、カッライア橋

カルミネ教会の前のTrattoria del Carmine

    
いかにもイタリアンレストランらしいたたずまい。私の注文はリゾット。

 

 

 



 




7月24日(火)
今日はもっと簡単なクラスに変えてもらった。
生徒数は昨日と同じくらい。日本人の女の子が二人。
隣のおとなしそうな10代の女の子はセルビアから。
スペイン語を話す生徒が3人。スペインからか、または
南米からか。2人が英語が母国語らしい。
日本人の女の子の一人はまだ去年からイタリア語
を始めたばかりだというが、イタリア人とルームシェアを
しているそうで、かなり自由にイタリア語を話していた。
イタリア語がもう少し出来るようになったら
絵画の修復を勉強したいとのこと。
この学校には、絵画、音楽、料理など、いろいろな
コースがある。
先生の話は昨日よりだいぶ分かりやすい。
授業のあと、早川さんとランチをして、
やっぱり疲れたので、ホテルに戻って、
休みがてら宿題をする。関係代名詞に正しい前置詞を
つけるという問題で、前置詞の使い方が、イマイチ
わからないので、辞書を使ってようやく出来た。

その後、サンロレンツォ教会の新聖器室に行く。
画集で見て、ぜひこの目で見たいと思っていた、
ミケランジェロが製作したロレンツォ豪華王の息子
ジュリアーノと孫のロレンツォの墓がお目当てだ。
ミケランジェロは夭折した二人の若者に一日の時間が
早くめぐって人生を短くしてしまったという内容のソネットを
書いて、ロレンツォの肖像の下には「曙」と「夕暮」
ジュリアーノの下には「昼」と「夜」を配置した。
それぞれに向かいあった彫刻はミケランジェロの
造形原理であるコントラポストが見事に対比して、
ダイナミックなリズムと緊張が見事に調和している。
この部屋は撮影禁止なのが残念だ。

隣接するミケランジェロが設計したラウレンツィーアーナ
図書館に行きたかったが1時まで、ということで入れなかった。
ミケランジェロがゆるやかに流れ落ちる滝の水から
インスピレーションを受けたという階段を見たかった。
残念。次回のお楽しみ。

時間があったので、ドゥオモの西側のサンタ・ノヴェッラ教会
に行く。サンタ・ノヴェッラ教会はサンタ・クローチェ教会
と同様にトスカーナの特色の白と暗緑の大理石を比例
良く配置した美しいファサードを持った堂々たる教会だ。
 

ドメニコ会派のこの教会にも見るべきフレスコ画や彫刻が
たくさん納められている。
この時代には画期的透視画法を用いたマザッチオの「三位一体」
はキリストの後ろの神が迫ってくるように見える。

ドナテッロをも驚かせたというブルネレッスキの「十字架像」
のキリストは真にせまるものを感じる。そのほか、ジョットの
「十字架像」、主祭壇の背後の壁にはミケランジェロが
徒弟として参加していたと言われるギルランダイオ工房
による「マリアの生涯」のフレスコ画が描かれている。
堂内は残念ながら撮影禁止だった。

夜はホテルで教えてもらったアルノ川の向こうの
レストランに向かう。
 アルノ川でのワンショット。
残念ながら名前を忘れてしまったが、
小さいながらも感じのいいレストランで、
料理も美味しかった。
まだ時間が早かったので、窓際の席がとれて、
川の涼しい風に吹かれながら、気持ち良く
食事ができた。
     ズキーニの上にひき肉をのせて焼いた料理とラタトゥユっぽい
つけあわせ。

その後、その近くのSt. Marks で行われていたオペラ
「La Boheme」を見に行った。
ごく小さい教会内に舞台と座席をしつらえた会場で、
歌手が演じるのがすぐ目の前で見られ、
貴重な体験ができた。
歌手たちもみんな結構上手だった。
 7月23日(月)
朝8時半ごろ学校へ行く。無事にエントリーされていて、すぐに
クラス分けテストを受ける。マークシート方式の文法問題。その結果
ただちにクラスに振り分けられて、授業を受ける。1週間の短期なので、
コースの途中からの参加になるらしい。生徒は10人くらいでだいたい
20代くらいの若者。隣は真面目そうな韓国人の男子。前の席は
日本人の男子で、全員イタリア語が結構話せる人たちだった。
日本人の子はパーマをかけた髪を後ろでポニーテールにして肌の色も
浅黒くて日本人っぽくなかった。イタリアのレストランで働いていて、
ヴァカンスでフィレンツェに来て勉強しているとのこと。
じゃあ、シェフになるの?聞くと、ソムリエになりたい、とのこと。イタリアは
ワインの宝庫だものね。
先生のイタリア語は早くて、30%くらいしかわからなくて、戸惑う。
明日はもっと簡単なクラスに変えてもらおう。
 
  学校の入口にあるラウンジ

授業の後、早川さんとこのラウンジで待ち合わせをして、
お昼に行った。
その後ホテルに戻って少し休んで、教会巡りへ。今日は
サンタクローチェ教会。
アルノ川に沿って、ポンテヴェッキオに向かって歩く。
久しぶりに見るポンテヴェッキオはやっぱり独特で美しい。
     
                     対岸の建物も魅力的
  
橋を過ぎて反対側からみたポンテヴェッキオ  
 サンタクローチェ教会はポンテヴェッキオを過ぎてすぐ左側にある。

 サンタクローチェ教会は白と緑の大理石装飾が
美しいフランチェスコ派の壮大な教会だ。
 
別名「フィレンツェのパンテオン」と呼ばれるほど
276基もこの街ゆかりの偉人たちの墓碑や記念碑が納められ
床面にまで嵌めこまれた墓石を踏まずに歩くことが難しいくらいだ。

       

         ダンテ記念碑                マッキャヴェッリの墓
      
ミケランジェロの墓(ヴァザーリ作)
 (ウイリアムテルなどの作曲家) ロッシーニの記念碑
      

ドナテッロの「受胎告知」

 廟墓、記念碑の他、内陣の右手に隣接する2つの礼拝堂には
ジョットのフレスコ画が描かれていることで有名だ。
 聖フランチェスコの葬儀


   聖フランチェスコ伝


   ジョット工房による「聖母戴冠」の祭壇画

ジョットの聖フランチェスコ伝のフレスコ画は損傷が激しいが、
それは1714年にこの礼拝堂の壁が白く塗りつぶされ、
1852年に上壁が取り除かれて再発見されたためだ。
それでも、画面全体に奥行きが表現されているのがわかる。
人々の動きもリアルで、、柔らかいパステルカラーで描かれた人物は、
当時の伝統的絵画と比べれば人間味が感じられる。
ヨーロッパ近代絵画の創始者とされているのも納得。
本でみていてこの時代にしては何か暖かい人間性を感じていた
ジョットをこの目で見られたので、満足。

聖堂の付属修道院、パッツイ家礼拝堂はブルネレッスキーの設計による。
      
建築の構造線を示す柱やアーチが幾何学的装飾となっていて、
その間を4福音記者や諸聖人を表した丸い枠の彩色陶板が 飾っている。
今見てもモダンなデザインだ。

サンタクローチェ教会を出て、ホテルに帰る途中で、
ヴェッキオ宮殿に寄る。
堅固なゴティック建築は13世紀からフィレンツェの政治の中心を担ってきた
威厳を感じさせる。
 
今日でもフィレンツェ市庁舎として使われており、観光客は実務に
使われている区域には入り込めないようになっている。
でも、見学の途中で、ドア越しに、会議をしている風景が垣間見えた
瞬間があって、ここは市役所なんだな、と実感した。

さすがにフィレンツェの統治者の歴史が残された建物だけあって、
フレスコ画や油彩画で豪華に飾られたメディチ家の君主達の部屋が
次から次へと並んでいる。
一番に有名なのは中庭から階段を上がったところにある、
500人広間だ。500人からなる市民会議のために1495年に
建設された時、市庁舎はレオナルド・ダヴィンチとミケランジェロに
両側に壁画を依頼したが、双方とも完成しないまま、16世紀に
なってヴァザーリが完成させた。レオナルドが依頼されたのは
「アンギアリの戦い」ミケランジェロが依頼されたのは「カッシーナの
戦い」だった。
      
どっちがどっちだかわかりませんが、とにかく巨大な壁画です。
たくさんの部屋の一つ「4元素の部屋」
      
                      火の元素
    
 水の元素                   土の元素
地図の間の日本
アメリゴ・ヴェスプッチがフィレンツェ出身ということを考えれば
為政者の館に世界の地図があるのもうなずける。
     

日本、まあ、位置関係はこんなものかな。
500年くらいまえだから。

ヴェッキオ宮殿から見えるサンタクローチェ教会とドゥオモ
   

ヴェッキオ宮殿を出ると、そこはシニョーリア広場、市庁舎広場だ。
たくさんのあまりにも有名な像の合間をいつもたくさんの人が
埋め尽くしている。
 

夜は早川さんとレストランへ。 Trattoria MARIONE
油ののったサーモン、おいしかった。
 

向かいのビルから猫がのぞいている。
 








 

 
 

 
 

 
 




 
 
 
 
 
  
 

 



7月22日(日)
朝6時に目が覚めてしまった。昨日、成田で買ったおむすびを朝食にして、
今日の計画を立てる。明日から学校なのでまず場所をチェックして
おかなければならない。ドゥオモまでホテルから歩いて20分ほど
だった。学校はドゥオモの裏側で、外から見るとただのビルで、
Scuora Leonardo da Vinci のプレートがなければ見過ごして
しまいそうだ。
確認のあと、今日はまず最初に前回、中へ入らなかったジョヴァンニ
洗礼堂に入る。サン・ジョヴァンニとは洗礼者ヨハネのことで、この洗礼堂は
フィレンツェの守護聖人ヨハネに捧げられて、11世紀にたてられた。
扉のレリーフで有名だが、天蓋はキリスト教の始まりから週末までをすべて
描く、きらめくモザイクに覆われ、目を覆うばかりの荘厳さだ。



余話:6月24日の守護聖人ヨハネの祭りはフィレンツェのもっとも盛大な
    祝日のひとつだ。この日には花火のほかカルッチョ(サッカー)も
    行われた。この頃にはすでにプロも輩出していた。サッカーは
    もともと古代ローマからある遊びで、徐々に都市スポーツの
    花形となった。イタリア人のサッカー好きは歴史が古い。

それからドゥオモの内部を見て、ジョットの鐘楼は階段を登らなければ
ならないので、省略。
まだ午前中だったので、ドゥオモも並ばずに入れた。それにしても
ドゥオモは巨大だ。それに鐘楼と洗礼堂があるので、広場がせまく感じる。 

 

左側にあるのが洗礼堂。

次にドゥオモ広場に面した大聖堂付属博物館に行く。
ここはドゥオモや鐘楼などに以前置かれていた作品やオリジナル作品
が収蔵されている。
鐘塔の上階に据えてあった彫像
ドナテッロ:マグダラのマリア
      :予言者ハバスク
いずれも古典的美の概念を破って画期的作品であり、その後に現れた
ミケランジェロなどに影響を与えた。

          

 

鐘塔の大理石壁に設置されている浮き彫りのオリジナル
いずれもキリスト教的全世界を表現している。
アンドレーア・ピサーノ
 

    



ブルネッスキによる大聖堂円蓋の精密な木製模型
 


ミケランジェロの晩年の作「ピエタ」 鑿の堀跡を残したままの
”ノンフィニート”と呼ばれる独自の表現が、石の中から浮かび
上がる魂の、目に見えない形を暗示している。
 

フィりッポ・リッピ: La Madonna con il Bambino 
 
    
  フィりッポ・りッポ晩年の作品。洗練された優美さと甘美さがある。 

ドゥオモから北へ数分行ったところにサンロレンツォ教会がある。
サンロレンツォ教会はフィレンツェで最も古い教会で、メディチ家の
菩提寺である。ファサードはミケランジェロに設計が依頼された
ものの、未完に終わり、レンガ積みのまま。他のルネッサンス様式
の優雅な教会に比べ、素朴に見える。しかし内部は古代的要素が
明らかに復活し、コリント式円柱による二本の列柱とその間を結ぶ
半円状のアーチが美しく連続している。残念ながら撮影禁止。

次にその向こうのリッカルディ宮殿に行く。
メディチ家のリッカルディ宮殿の大広間の天井のフレスコ画
     
                    列柱に囲まれた中庭

思いがけないところからドゥオモが見える。


リッカルディ宮殿からさらに北東へ数分行くと、捨て子養育院がある。
捨て子養育院は子供が生まれても育てることができない親がこっそりと
子供をおいて養育を託した施設。当時のフィレンツェ共和国の進歩的
福祉政策をうかがうことができる。建物はブルネッレスキが設計。
現在は美術館になっている。
捨て子養育院の前の広場。
    
メディチ家のフェルディナンドⅠ世の騎馬像がある。
右側が捨て子養育院で、細身のコリント式円柱に支えられて、
半円形のアーチが軽快に連続している。
独特の模様で飾られた中庭の列廊。壁にはパネル装にした
フレスコ画が飾られている。



ドメニコ・ギルランダイオの祭壇画「三王礼拝」

  

 ネーリ・ディ・ビッチ 「聖母戴冠」
  
                        捨て子養育院の説明
今日はドゥオモから北東方面だけ行ってみたが、だいたい
距離感がつかめた。今日の一番遠いところでもホテルから
歩いて25~30分くらいだ。
ホテルへ向かって歩いていると、ドゥオモ広場や街角で
バイオりンを弾いている人がいた。
     

いわゆる大道芸人だが、かなり上手だった。

夜はホテルの前のレストランでピザを食べた。
食べきれず明日の朝食のためにテイクアウトする。
今日はあまり暑くなくて、快適な探索だった。
お風呂に入り、テレビが無いのでウォークマンをセットして寝る。


 












 

 






 





 



 


2012年 7月21日

いよいよFirenze 出発の日。
どきどき70%、わくわく30%の気分。
座席は初めて(最後かもしれない)プレミアムにしたので、ちょっと
余裕の気分でもある。さすがに足元が広く、おまけに隣が空席だったので、
だいぶゆったり出来た、エコノミーより倍以上の値段なのだから当然かな。

ド・ゴール空港では予想通りFirenze行きのターミナルにたどりつくのに手間取った。
バス、電車、バスと乗りついでようやく到着。この飛行場はなんて広いんだ。
到着ターミナル2Eと乗換ターミナル2Gは新宿と池袋くらいの距離があるんじゃない?
ここで、予想外のことがあった。
Firenze 行きのターミナルを探していた時、
やはりFirenzeに向かう一人の日本女性、早川さんと知り合いになった。
なんと彼女も私と同じダ・ヴィンチ校に行くという。
飛行場からタクシーに乗りあいで行くことになってホテルの住所を聞いてみる
と私のホテルのすぐそばだった。なんという奇遇、うれしい奇跡!!
私のホテルCestelliに夜9時ごろ到着。ようやくうす暗くなっていた。
早川さんと別れて開いていた木のドアを通り抜けてガラスのドアの
横のベルを押すと、40前くらいの明日美さんが降りてきてくれて、
2階のホテルまで荷物を運んでくれた。気さくで親切そうな感じ。
全部で8室しかない★一つのホテルだが、こじんまりと清潔そう。
早速私の部屋に案内してもらう。4人ぐらいは十分に泊まれそうな
広~い部屋。バスタブ、トイレ付はこの部屋だけで、一番高額だ。
でも、80ユーロ。エアコンはないが大きな扇風機のおかげで
そう暑くはない。

お風呂に入って12時ごろ寝る。
おおきなベッドでゆったりと眠れた。

    なんと、フェラガモ本店の隣のビル      
      
なんと、フェラガモ本店の隣の隣二つ目のドアがホテル 
部屋の左側にバスルーム

 



 



  2012年1月21日、冷たい霧雨が降る中、ガイド付き鎌倉七福神めぐりに出かけました。
この順路に従って参拝。   地図


番目は13世紀の終わりごろ北条時頼夫人によって開基された浄智寺。

浄智寺1


石段の上の山門には掲げられた額に書かれているのは「宝所在近」、宝物は身近にあるという意味です。たびたびの火事で多くの初期の伽藍は失われ、これは新しい仏殿の曇華殿。木造三世仏座像がまつられています。

浄智寺2  浄智寺3   
左から、阿弥陀、釈迦、弥勒の各如来で、過去、現在、未来の時を代表する。15世紀半ばごろに再興された像で、鎌倉地方に多い、衣の裾を台座に長くたらした様式の典型的な作品。

下の写真は四角い幹をしためずらしい竹。
浄智寺4 浄智寺5

参道入り口のほとりにある甘露の井。鎌倉十井の一つとして名高い。

お目当ての布袋尊は境内の洞窟のなかにいました。布袋尊は七福神の中で唯一実在の人物で、中国唐代末期の禅僧だったといわれています。福運をもたらす神と称えられています。私にも福がもたらされますように、大きなおなかをなでてきました

番目は弁財天の鶴岡八幡宮です。鶴岡八幡宮は1063年に源頼家が築いた、源氏の鎌倉武士の守護神です。台風で倒れた大銀杏の木が保存されています。

         
旗上げ弁財天は源頼朝が旗上げをした時、妻の政子が戦勝祈願をした社です。

 弁財天はインドでは水の神や農業の神とされていましたが、日本では音楽や舞踏などの芸事の神様となり、鎌倉時代以降は財宝をもたらす福神とされてきたといわれています。七福神のうち、唯一美貌を備えた女性の神です。ご本尊は現在は鎌倉国宝館に収められています。

腰に短い下着をつけるだけの裸形彫刻の弁財天像で、実物の衣を身につけている。
琵琶は失われています。
番目は宝戒寺。宝戒寺は天台宗の寺院で、開基は後醍醐天皇。1335年ごろに北条得宗の屋敷跡に建立されました。四季折々に様々な花が楽しめるます。とくに秋の萩、秋から初夏までの椿は有名です。私たちが訪れたときも、水仙がきれいでした。



      


宝戒寺の本尊は地蔵菩薩なので、境内にはかわいいお地蔵様がたくさんあります。
宝戒寺の七福神は毘沙門天です。構内では撮影禁止なので、ネットから拝借。毘沙門天は多聞天ともいわれ、インド須弥山を守護する四天王の一つで、北方にある財宝を守っていることにちなみ福得の神とされています。正義の味方の善神でもあります。
                                                  

  
 番目は妙隆寺の寿老人です。妙隆寺は日蓮宗のお寺で、1385年建立です。「鍋冠り日新」という異名を持つ荒行僧が修行していた寺といわれています。時の将軍足利義教と対立した日新は、さまざまな拷問にも屈せずに82歳の天寿を全うし、このことに因んで寿老人の像が祀られています。

   


寿老人は南極星の化身と言われる中国道教の老僧の分身で、安全、健康、長寿の神と言われています。(なぜか)鹿を従えています。


            
                                          
  
番目は本覚寺。本覚寺は日出上人を開山として、足利持氏が寄進し、1436年に創建されました。日蓮上人が布教した寺として有名です。
  
       
                  
           
夷堂。    ここの恵比寿様は予想に反して真っ黒です。優しそうでなく、怖そうです。

江戸初期までの恵比寿神は海辺の岩に座し、厳しい表情の神だったといわれていますが、江戸中期には釣りざおと鯛を抱えて微笑んでいる姿に変身し、海の幸をもたらす港の神となり、さらには福の神と言われるようになりました。
毎年、1月9~10日には恵比寿講が開催され、たくさんの人で、賑わいます。

すぐ近くに日蓮上人が説教をした場所が保存されています。
      

番目は御霊神社の福禄寿です。御霊神社は源義家に従って後三年の役(1083~1087)で武勇を馳せた鎌倉権五郎景正が祭神です。神社の鳥居のすぐ前に江ノ電が通っています。

      



御霊神社は毎年9月18日に行われる「面掛行列 」で有名です。その10面の内の一面が福禄寿で宝蔵庫に祀られています。

      

一番先頭にいるのが福禄寿です。寿老人と同一の神ではないかと、言われていますが、容姿は全くことなり、背丈が低く、頭が長く、足は短く、白髪で経巻を結んだ杖を持ち、鶴を伴っています。宝蔵庫内は撮影禁止なので、どなたかの、面掛行列の写真を拝借しました。幸福、財宝、長寿を招く福神です。

 七福神めぐりの最後は長谷寺の大黒天です。長谷寺は736年創建で、聖武天皇の時代より勅願所と定められた鎌倉有数の古刹です。本尊は十一面観音菩薩、阿弥陀堂には厄除け阿弥陀像が祀られています。

         

びっくりしたのは弁天窟です。この洞窟のなかに彫像やたくさんの琵琶を持った弁財天の座像が置かれています。
参拝者がそれを買って中へ置くことができるそうで、とにかく数え切れないほどの金色の弁財天がありました。

       

大黒天は宝物館に祀られており、撮影禁止でしたので、パンフレットの写真を拝借。
   
         

大黒天はインドでは「破壊の神」といわれる恐ろしい神でしたが、中国を経て日本にきてからは、人々に官位や財宝、時に「山の幸」を恵む優しい神に変わり、二俵の米俵の上に刺した像を寺の台所に安置するようになったと言われています。
長谷寺には多くの見どころがありますが、これは釈迦如来座像と四天王像です。 

      
                             
                             こんなかわいい「和み地蔵」もあります。

境内の一画には見晴らし台があり、鎌倉の町、由比ヶ浜、三浦半島、相模湾を一望できます。

  

   

これで、鎌倉七福神めぐりは完了しました。寒い中、駆け足の参拝ではありましたが、初めての体験でもあり、鎌倉の歴史の深さを垣間見た一日でした。これで今年は無事に過ごせますように・・・・・・