こんばんは、中野です。
雪、まだ溶けていないです(゚ー゚;
また明日から寒くなるとか。
まだまだ油断できませんね。
今日から不定期で、自分の事を改めて書いてみようと思います。
自分史、というところです。
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高校卒業後県内の看護学校に進学しましたが、そこで初めての挫折を味わいました。
看護技術の手技が下手くそで、練習してもなかなか上手くいかず、でもテストではなんとか合格はさせてもらえていました。
それだけではなかっただろうけど、そのあたりから不安というか逃げたい気持ちが出始めたような気がします。
さらに勉強もするわけでもなく、でもなんとかかんとか赤点数個で免れていたというところでした。
それだけでも頑張っていれば、まだよかったんですけどね
病院実習もしんどかった。
人と向き合うことがすごく怖かった。
そのうち、どこにも居場所がない気がして、車でずっと走り続けて。
アパートに帰るのもすごく怖かった。
朝が来なければいい、と苦しくて。
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でもそんな時に起こったのが、阪神淡路大震災でした。
平成7(1995)年1月17日、時間で言うと5時46分。
県北ではその時間よりは少し遅れてきましたが、揺れはものすごかった。
地震の揺れで飛び起きたのは、あの時が初めてでした。
TVでは現地の惨状や、報道関係者に向けて言葉を発する現地の様子などが流れてきましたが、あの場にいた人々のお気持ちは想像できないくらいの所にいらっしゃったと思います。
大切な人を亡くされたり、震災だけでなく卑劣な輩に心身ともに傷つけられた方も多くいらっしゃった。
後の新聞で知ったこともあったのですが、やり切れない思いでした。
更に地下鉄サリン事件もその年の3月でした。
同級生が教室に駆け込んできて、「何か大変なことが起こった」と叫んだのは今でも覚えています。
その後に生まれてきた人もいますが、語り伝えていくことの難しさ。
大きな課題となっています。
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話を戻します。
あの頃は打ち解けようとしたのは、男子学生しかいなかったんです。
女の子の同級生に敬語使っていたんですよ。
女性が99パーセントを占める生徒の状況で、失礼なことをしてはいけないとか、なんかそんなことを考えていたことは覚えています。
今思えば、何を守りたかったのだろうかと、?マークが付くんですが。
もっとみんなと、気軽に話しておけばよかった。
これは勘違いではなく、好意を持ってくれていた先輩がいました。
学校の行き帰りとか何かの時は彼女のアパートまで車で送っていたりしましたが、何もしなかったというか出来なかったというか。
高校の時の失恋が尾を引いていたのもあって、踏み出せないままでした。
いや言い訳かな。
傷つくのが怖かったんですね。
今もふとその女性のことを思い出すことがありますが、幸せになっていてほしいと心から願います。
考えても仕方ないんですが、あの時頑張っていれば違う未来があったのだろうかと、思ってしまうこともあります。
そのうち段々と外に出ることも怖くなってきて、精神的にもどうにもならなくなって。
このままだと「死ぬのかな」と、なんかそんなことも考えるようになって。
担任の先生にそこで心の内を打ち明けて、両親にも話して精神科通院と休学することにしたんです。
一年間休学のちの復学だったのですが、なんだか気持ちがうまく前向きにできないままで。
薬もちょっと身体にきつくて、飲めなくなったんです。
ほんとは良くなかったのですが、勝手に休薬してしまったんですね。
結局平成8年の7月に中退しました。
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そのころじゃなかったかな、あの「新世紀エヴァンゲリオン」が放送されたのは。
その表現を使うと、まさにATフィールド全開な私だった。
辞めてからはバイトをしていました。
そこからまた転機が訪れます。
続きはまた後日。
今日はこの辺で。
お付き合いくださって、ありがとうございました。
おやすみなさい