小学3年に上がる前まで、親は優しかった。

だから、それまでは比較的平穏な生活を過ごしていたと思う。

 

ウチの近所には私を含めて10人の子供が居ました。

5歳を筆頭に、3歳まで、バラバラの。

 

親はラクですよねー、とりあえず子供同士で遊ばせておけば良いのですから。

ジャイアンみたいな独断主義者なリーダーならばラクですが、「仲間はずれが出ない様に目を配り、適度に勝ち負けの両方を経験出来る様にパワーバランスを考える」と言うのは、とても大変な事です。

 

それを5歳で出来た。

だから、現在、「親が子供と遊んでいる」のを見ると、「親が子どもで遊んでいる様に見える」と思ってしまうのですよね。

 

この間の親子は凄かった。

父親が「10回ドリブルが出来たら、千円やる」って言っていて、

「せっかく、『安全に負けを経験出来る機会』なのに、この男は何を言っているのだろう……」と思いましたね。

別に、口出しはしませんが。

 

繰り返し繰り返し、自分の身体の使い方を学ぶ機会を、なんで親がずーーーーとボールを持っていたのかが、解りませんでした。

 

 

子供の身体は、日々変化しています。

だから、毎日、身体を動かして、昨日と今日の身体の違いを知る必要がある。

小さな時に沢山動く事の重要性は、大人ならば「体感として知っている」のが当たり前なのですが。

「地頭」と言う言葉があるのなら、『地体」と言う言葉があっても良いと思います。

 

 

「なんだか良い効果があった。

これは何故だろう?」って感じるのがスタートライン。

そこから医学的な根拠や理由を探すと言う流れが、今は逆転しているのが、私には不思議です。