こんにちは
いつもお読みいただきありがとうございます。
ペットロスは愛を育む時間
寄り添いハートケアサポーターなおこです
今日はクリスマスイヴですね🎄
今日から
少しずつ
私の生い立ちと動物さんとの関係を
綴っていこうと思います
大阪生まれ、大阪育ち
京都出身の両親のもとに
長女として育ちました
兄弟は、弟がひとり
亭主関白で厳しい父親
父親の三歩後を歩くような母親
自由奔放で明るく目立つ弟
私の記憶にはありませんが
最初に動物さんと触れ合ったのは
1歳になるか、ならないか位のとき
近所でも有名な
人を見かけると歯を剥き出して唸る
大きな白いわんちゃんが居たそうです
幼い私は
自分の体より大きなわんちゃんに
近づいていって
母親は顔面蒼白
ですが
そのわんちゃん
小さな人間は
危害がないとわかったのか
大人しく受け入れてくれたそうです
毎日のように
その大きなわんちゃんと
仲良く触れ合っていました
(他の人には相変わらず吠えていたそうです笑)
子供は
動物さんと波動が近いので
自然にコミュニケーションが
とれていたんですね
動物さんとのコミュニケーションは
上手だった私ですが
お父さんとのコミュニケーションは
苦手だったようです…
これも記憶にはありませんが
2歳の時に
「自家中毒」
という病気で入院しました
この自家中毒というのは
ストレスが原因の病気です
当時の私は
父親の顔色を伺って
お見舞いに来る父親にさえ
ビクビクしていたそうです
担当医から
父親と隔離して
懐いている祖父母に育ててもらった方が良い
と言われたそうです
父親はもちろん激怒して
退院させて自宅へ連れ帰ったそうです
その頃の記憶は私は皆無ですが
おそらく封印しているのかもしれません
3歳の時に弟が産まれて
お姉ちゃんになった私は
弟をすごく可愛がっていました
お世話好きは
子供の頃からだったんですね🤭
ですが
自家中毒になった経緯もあり
主治医の先生から
「この子はすごく繊細だから
お姉ちゃんと呼ばずに
なおちゃんと呼んであげてください」
と言われたそうで
家族からも 親戚からも
「お姉ちゃん」
と呼ばれたことは1度もありません
「お姉ちゃん」と呼ばれることで
しっかりしなきゃ!
という責任感で押し潰されてしまうから
という
主治医の先生の判断だったそうです
2歳で既に
人の顔色を見て
ストレスを抱えるほどに
神経質だった幼少期
この神経質さに
大人になってもずっと
苦しみました
実はこの神経質は
性格ではなくて
生まれつきの脳の構造によるものだ
とわかったのは
今から5,6年前のことでした
長年苦しんだけれど
この繊細さのおかげで
動物さんと話すための
エネルギーを読み取るセンサーが
敏感なことは確かなので
今では感謝しています
ちなみに
私は言葉を覚えるのが遅くて
2歳になっても
「あ」
としか言ってなかったそうです
言語よりも感覚優位な期間が
人より長かったのかもしれません
幼少期のエピソードが
意外と長くなってしまったので
明日は
幼少期のエピソード第2弾を
お届けしますね
今日も最後までお読みいただき
ありがとうございました
私の使命は
「アニマルコミュニケーションを通じて
愛と幸せの循環を生み出す♡」
ことです
動物さんも人間もみんな愛の存在
それぞれの命を最大限に生き切る。
ただ動物さんと対話するだけではなく
そこから何も学び、何を得て
どう活かすのか?
私はアニマルコミュニケーションで
その一点に集中しています
今日も最後までお読みいただき、
ありがとうございました