埼玉県民の日
今から16年前の今頃
出会ったことを思い出す



以下過去掲載記事より




私には息子がいます。

残念ながら人ではありません。
そして、もう姿はこの世にはありません。

それは、ミニウサギ。
名前はちろくんと言います。




2001年11月14日の夕方、埼玉県さいたま市大宮区(当時は大宮市)、自宅最寄りのペットのコジマに彼はいました。

ウサギはほとんど売れたらしく、彼だけがケージ(水槽)の中にひとりいたのです。

私、通算20年大宮に住んでいたのですが、当時のマンションは楽器可能であったにもかかわらず、ペットは禁止。



禁止なのに暮らそうと思い(ダメですね)
ならば、鳴かない動物をということでウサギになりました。

「生後1ヶ月半位かな…メスかな…」
店員さんのそんな言葉を鵜呑みにして、ピンクのケージとともに、連れて帰りました。ちろくんは2980円でした。




そこから、楽しくも手探りの暮らしが始まるわけですが、まず、数ヵ月後にオスだと判明。

当時はウサギの本も乏しく、アニファという月刊誌などを頼りに、ウサギに与えてはならないものなどを学んでいた記憶があります。
※すでにアニファは廃刊

病院には9歳を越えるまで、1度もかかったこともなく、つまり去勢手術もせずに過ごしました。

そのためなのか、スプレーは物凄く、その時期には何回も何回も拭き取ることをしていました。拭いたらする、拭いたらする。の繰り返し。
私も何度か浴びました。




初めてのウサギ暮らしが、実はそんなに簡単ではないと思い知ったわけです。

指を出せばチンニングしてくれたり、なめてくれたり、カミカミしてくれたりする。額をいいこされるのが大好きで、でも抱っこは大嫌いで…
後をついてきてくれる…

思い出話は尽きません。




最後の半年は、前脚のつけねに出来た基底細胞種のために、ほぼ3本脚で生活することになりましたが、2011年11月25日に私に抱かれて旅立つまでの10年間。本当に幸せな日々を過ごさせてもらったのだなと思います。

これは、今となってはの話です。
当時は数ヵ月間、ふと思い出す度に、なんでいないんだという思いの繰り返し。
「あと10年生きてほしかった」


すでに猫2匹はいたものの、なんとも形容し難い「空虚感」の毎日が続いていたのは確かです。

遺骨は現在も手元にあり、いつもいつも見守ってくれています。
必ずちろくんにいいこしてから寝る。
今日もありがとうと心の中で言う。
あの日から欠かさず私は行うのです。




私には
今までも、今も、これからも大切な息子です。

姿は見えなくても、「側にいる」