安倍さんがお亡くなりになって昨日で一年が経ちましたね。。

一年…    昭恵さんにとってはものすごく辛い日の中の特別辛い日だったに違いありません…


土曜日はずっとあの事件のことと

増上寺のご供養、お弔いの一日でした。


献花に訪れた一般の方の中に涙していた人もいました。


安倍さんの外交でのエピソードのひとつにこんな話があります。

あれは…前アメリカの大統領オバマさんとの話  銀座のすきやばし次郎で、安倍さんの雑談にもろくに乗らなかったオバマさんから、アメ車を輸入しろ!私はここに来るまで外車(アメリカ産の車)を1台も見ていない!と…非関税障壁があるから走っていないんだ!と安倍さんに詰め寄りました。


安倍さんはなんと言ったでしょうか。

てはちょっと店から出てみて外を見て見ましょうか?

BMW   ベンツ  アウディ  フォルクスワーゲン  いくらだって走っている。

でも確かにアメ車は無い。

何故かって、車を見ればすぐに分かりますよ。ハンドルの位置が違うんです。

アメリカの車は右ハンドルに変えずに左ハンドルのまま売ろうとしている。

テレビのCMだってドイツ車メーカーはさんざん流しているけど、アメリカは流していません。

東京モーターショーもアメ車は出店していないんだ。

そういう努力をしていただかないと、売れるはずがないでしょう!

とたたみかけたそうです。


岸田政権になった後も安倍さんがまだご健在の時、やはりアメリカの大統領や長官たちは口を揃えて  安倍はなんと言っているんだ。と、安倍さんの存在感は大きなものだったと改めて知ることになったのでした


そんな大きなご主人を持つ昭恵さんは

どんなご主人でしたか?と聞かれた時に、よく聞かれるんですが…私には普通に旦那さんでしたし、ごみ捨てや、時にはお茶碗を洗ってくれる時もありましたし。

と話していました。

あの日の事も…うちには犬がいるんですけど…(この時…昭恵さんは大粒の涙を流しながら)2人で朝散歩をして……それが最後でした。。と話されていました。


今日…増上寺でご供養されたあと、昭恵さんの安倍さんを想うご挨拶がありました。今朝から…涙が止まりません…という昭恵さんのを見ていて。。

やはり涙無しでは見ていられませんでした。。


今日は一周忌にあたり、呼びかけ人の皆さまにこのような素晴らしい会を開いていただき、本当にありがとうございます。全国各地から大勢の皆さまにご出席をいただき、そしてこの会を開いていただくにあたり、多くの皆さまにご尽力をいただき、この会場のどこかでおそらく主人は喜んでみなさんに感謝していることと思います」としゃくりあげながら頭を下げた。 「昨年の今日のことを思い出すと、本当に朝から涙が止まらなくなって、申し訳ございません。朝、普通に一緒に食事をして、『行ってきます』と出かけていって、その後、午前11時半ごろに秘書の人から『撃たれた』という電話が入り、本当に驚きましたけれども、その後まさか亡くなると思っていなかったので、主人の下着や私の着替えなどを急いで支度をして奈良に向かいました。結局、着いたのが5時少し前でした。先生方のお話をうかがって、ああこれはもうだめなんだなというふうに思いましたけれども、最期、主人の手を握ると、気のせいかもしれないんですけど、握り返してくれたような気がしました。そしてその時の主人の顔はとても安らかで笑顔でした。


私は素晴らしい人と結婚していたんだと、本当に誇りに思っています」と語った。

 安倍氏について「主人は命をかけてこの国のために働き、そして今は魂となって、魂もまたこの国のために、これから皆さんとともに働き続けると思います」と呼びかけた。 安倍氏が、父安倍晋太郎氏と同じ67歳でこの世を去ったことに触れ「父は志半ば、総理目前で亡くなった。主人は長い間総理をすることができ、同じ67歳でも豊かな人生だったと思う」とも振り返った。

 昭恵さんの心の内を本当にお察ししました。。。

毎日傍にいた人がある日突然帰らぬ人になることは、言葉では言い表せないほどの事ですよね……


昭恵さんの顔を見ると  本当にずーーーっと泣いていたことが伝わってきました。。

あんなに沢山の人がいる中で

1番居て欲しい人はどこにもいない…

寂しかったと思いました。。


安倍さんのご冥福をお祈りします。。🙏