日常は、いつ壊れるか分からない。
壊れた日常を、人はすぐには受け入れられない。

3/11に襲った震災を通して感じたことは
たくさんあったはずなのに、結局とても当たり前で
平凡なことしか言えない私。。無力。

被災していない私は、できることをやり、
日常に感謝して暮らすべし。
と、ポジティブに考えていたけれど、
TVを通して見る、あまりの惨事に、もしかしたら
自分は、目を背けているだけではないだろうか。

まだ私も、この2週間あまりの事実を
受け入れられていないのではないだろうか。

と、思い始めている。


妹の友達が、チャリティTシャツを作った。
売り上げはすべて寄付するという、素晴らしい活動。

しかし、そのTシャツのデザインが、イマイチ。
イマイチというか、私は着れない。

妹は、同じようにコメントした母に
「そういう問題じゃない!」と怒っていたらしいが、
母の気持ちも分からなくはない。

ポスターだったら、とても良いデザインなのに。
Tシャツにするなら、着れるデザインにしなくちゃ。

デザインの押しつけは、環境破壊だ。
これは、私がデザイナーだった頃から思っていたこと。

私がこのTシャツを買い、それが義援金になっても、
このTシャツを無駄にするのも、よくないので、
私は普通に、日本ユニセフに募金しました。

私の代わりに、そのTシャツを着れる人が一人でも多く
現れることを願って。


・・・と、しかし、この考えは正しいのだろうか。

支援の考えは、人それぞれだけれど、
Tシャツ作って世間に働きかけている人の方が、
何もしていない自分より、当然素晴らしい。

まず、そのアクションに対してお金を出しても
良いのではないか?
と、今、ブログを書きながら思いました。

やっぱり、妹にメールしよっと。