


(前回の続きから)
、、、かといって僕がショックを受けるとか、人生観が変わるとかいう事は無い。
何故ならそんな事で変えられるほど薄っぺらな経験だけを積んでこなかったからだ、と言えよう。これは多くに感謝せねば成らない事実である。
もしも僕がここで”沈没”するようなタマであれば、これまでの経験は全く無意味であったと思うから。
ブラジルはパラナ州での良し悪し含めた出来事やアメリカのニューヨークで受けた差別や暴力、スペインで感じた死生観や人生観の方が自分の中身を形成してきたからだ。この旅におけるトータルな部分から言うならばこれはある一面であり、いち経験なのだ。

(マニカルニカーガートと呼ばれる最大の焼き場)

(それに比べると静かに見学出来る焼き場が上流にある)

(うんこをせっせ、せっせと一生懸命固める男)
だがやはり燃えさかる遺体を見るとやや眉も動かざるを得ない。
いや、何よりもその燃える炎の周りの人々こそが混沌の世界の代名詞、、、ある者は薪代をせがみ、ある者は勝手に案内をし出してガイド料を何とか出させようと努め、ある者は生活金の為に僕らをボートに載せようと声をかけ、ある者は異教徒の好奇心を嫌い、ある者はそれを見つめよと言わんばかりにこちらを穏やかに見やり促す、、、タカリ、野次馬、外国人観光客、僧侶、ヒンドゥー教徒。
一人の人間がその生涯を終え、その身体がタンパク質の塊から灰へと姿を変え、魂が昇天するまでの三時間前後、人間界の様々な感情と目的、そして欲が、ガンガーの横で渦巻く。それを動物たちも見守っている。動物たちは何を思うのか、、、。
それを考える事と瞑想は近い気がする。それこそが彼等の言う宇宙の真理?
あくまで若輩の私見だし、真理など、いくら追求しても分からないものだ。僕は真理がどうとか、たかってくる連中に同情するとか、そういう身分ではないのだ。




死を目の前にしても、僕の考えはやはり変わらない。人はいずれ死ぬ。
僕ら日本人ならばほとんどの人は火葬だからこうしてガンガー横で灰に成る人と同様に焼かれるわけだ。
違うのは早く死ぬか、遅く死ぬか、、、付け加える事が出来るならばせいぜいその骨を拾う人がいるのか、還して欲しい場所があるのか、、、などだろう。
僕は段々近づく祖国を思った。