【作品集】蒼色で桃色の水 -10ページ目

【作品集】蒼色で桃色の水

季節にあった短編集をアップしていきます。

長編小説「黄昏の娘たち」も…

 茉莉子は窓の外から聞こえる物音で目を覚ました。

神父のノートが開いたまま枕元に置いたままになっていた。読みながら眠ってしまったようだ。カーテンの隙間から外を見ると亘が木に吊されたサンドバッグに拳を打ち込んでいる。

ドアを開けると扉の外に歯ブラシとタオルが置かれている。

茉莉子はそれを取り上げると洗面所の方へ行き身支度を整える。

食堂へ顔を出すと唯一が一人で食事をとっていた。

茉莉子は唯一に声を掛けると自分も向かいに腰を下ろした。

「他のみんなは?」

そこへ神父が茉莉子の分の食事を運んで来る

「ジョージと礼二君は特訓をすると言って山の方へ行きましたよ。亘もその辺で体を動かしているのでしょう」

茉莉子は神父から珈琲のカップを受け取りながら

「さっき窓から見えました」

「黎明は礼拝堂の方に居ますよ」

茉莉子は神父に礼をいうと食事を始めた。唯一は自分の使った食器を片づけてからもずっと黙ったまま同じ席に座っている。

「唯一君ちょっと用事を頼んでも宜しいですか?」

唯一が肯くと神父も笑顔で肯き茉莉子にはゆっくりしているように言い残し唯一を連れ立って食堂から出て行った。

神父は教会の裏手にある納屋まで来ると、積んである薪を程良い太さに斧で割ると切っ先をナイフで削り唯一に手渡した

「これと同じように削って下さい。怪我しないように気をつけてくださいね」

二人は黙々と作業を始めた。暫くしてそこへジョージと礼二が戻って来ると

「やってるね。いっぱい削ってくださいよ。いくらあっても足りるという事はないですからね。マスター次は何の特訓をしますか」

礼二はへばりきりながら

「やっぱり普段の生活態度改めないとついていけないよ…休憩」

「駄目駄目。じゃ、ここで神父様達を手伝って、俺は亘ともう一汗かいてくるから」

そういうと礼二と違ってまだ元気が有り余っている様子のジョージは亘の方へと走って行った。

「礼二君お疲れ様です、といってもあまり疲れてはいないようですが…随分特殊に鍛えられた肉体をしている」

礼二はこの神父なかなか侮れないと思いながらも勘弁してくれという表情で唯一の隣の地べたに座り込んだ。神父は納屋へと入って行くとロープを手に戻って「お疲れのところ申し訳ないが、これで出来上がった杭を纏めて下さい」

神父は自分が切り出した薪の量を見ると、自分もナイフを取り出し削り始めた。

「礼二君。それが終わったら」

近くに落ちている葉を拾って

「これと同じ葉を納屋にある麻袋一杯に集めて来て下さい」

礼二は両手を挙げて見せると納屋へ入り袋を見つけると

「ここは人使いの荒い処だな」と呟くと裏庭を彷徨きながら葉を集め始めた。

ずっと無言で作業をしていた唯一がようやく口を開いた

「神父さま。ヴラドとラドウは同じ吸血鬼なのでしょうか…吸血鬼は皆…悪の存在なのでしょうか…僕はその………」

「それは私にもわかりません。ただ言える事は…昔、私達がラドウと戦った時は少なからず彼は私達の味方でした。吸血鬼は生き血を啜らなければ生き続ける事は出来ない…それだけです」

唯一はそれだけ聞くとまた手を動かし始めた。

「唯一君。人間は努力する限り迷うものなのですよ。答えは自分の中にある」


 茉莉子は食事を終えると台所へ行き食器を洗い始めた。窓の外では親子の様な二人が黙々と杭を作っている。このままここでみんなで暮らすのも悪くないかもしれないと考えながら食器を拭いて棚へと片付け始めると黎明が台所へと入って来た。

昨夜よりは顔色が良くなっている

「何してたの?」

黎明は茉莉子の問いには答えず、横に立って神父達の姿を見つめながら

「結花子さんの事まだ怒ってる?」

茉莉子は食器を片付け終わると台所を出て行った。黎明は茉莉子が使っていた布巾を取り上げるとそれを放り投げ、後を追って礼拝堂へと入っていった。

「だから、ごめんって…」

茉莉子はマリア像を眺めながら

「ねぇ、何処に武器が隠してあるの?あるんでしょう。見せて」

黎明は溜め息をついてから茉莉子の手を掴むと地下室へと連れていった。

武器庫とは思えない物ばかりが並んでいた。茉莉子は薬品棚に近付くと錠剤が入った瓶を持ち上げると

「これは何?」

黎明は茉莉子からそれを受け取り元に戻すと

「アスピリン。それとこっちの液体を同時に接種すると副作用が起こる。吸血鬼を倒す事は出来ないが一時的に弱らす事は出来る。体を張った接近戦に通用する。昨日もそれで逃げられた…結花子さんにも渡してある。彼女は自らの意志で残ったんだ」

茉莉子は聞いているのか、辺りを物色し続けている。乾燥したハーブを手に取ると「これは?」

「それは見ての通りハーブ、魔よけや滋養強壮になる。戦った後に体力を回復するために飲むんだ(黎明は茉莉子の手を取ると)昨日は悪かった。少し言い過ぎた。でも、もう一回だけ言わせてくれ…この国から出てくれ」

茉莉子は真剣な黎明に対して自分も真剣に答えた


「判った。俺、ちょっと準備あるから行くわ」

茉莉子は少し可哀想だったかなと思いながらも黎明を黙って見送った。

倉庫の中を物色していくと黎明の母親が身につけていた物なのか自分に合いそうな防御服が見つかった。薄いが丈夫そうな帷子を手に取るとそれを素肌に身につけてみた。誰も来ない内にその上から自分が着てきた服を身につける。少し重いが予想よりか動きやすいことが判った。使い方が判らない物は無視して自分なりに装備を調えて行く。それが終わると上へ上がったが食堂では黎明が自分で作った地図を広げて、亘、ジョージの三人が真剣に作戦を練っているようなので顔を出したが三人ともお呼びでないという態度をとったので茉莉子はそのまま神父の部屋へと戻った。相変わらず窓の外を眺めているレハエルの様子を見つめながら

「お前もちゃんと自分の日課を果たしているのね。じゃ、私も何かしますか…」

茉莉子は椅子に腰掛けると神父のノートの続きを読み始めた。彼らはヴァンパイアハンターと言っても実戦経験が少ないことが判った。外国から進入してきた吸血鬼や徐々に増え始めている日本で変化した者達を倒している。ラドウの居場所を突き止めたのもつい最近のようだった。これでは黎明が失敗するのも頷ける。条件は対して変わらない…。昼頃になって神父が昼食の支度を始めたことでようやく杭作りから解放された二人が茉莉子の元へとやって来た

「茉莉ちゃん。何だか俺等って蚊帳の外って感じだな」

礼二の声で顔を上げると

「そう?仕方ないんじゃない。即戦力じゃないんだし…昨日だって三人で向かったんでしょ、それで駄目だったのに。亘さんが増えるだけじゃ…ね。よっぽど作戦練らないと。頑張ってるのよ。それよりこれを見て」

茉莉子はそういうと着ていたシャツをおもむろに上げると、咄嗟に二人の男は顔を逸らしたが無理矢理見せると、何冊かのノートを手に取ると地下室へと連れていった。何故かレハエルも着いてきていたようで中に入ると茉莉子は内側から鍵を掛けた。レハエルはドアの前に見張っていますと言わんばかりに座り込むと大きな欠伸をして居眠りを始めた。

「多分黎明達は私達を置いていくつもりよ。どうする?」

「ラドウは必ず茉莉子さんと百合子さんを彼処に連れて来させますよ。そうしたらヴラドもきっと現れます」

「捕まったら最後だな…五年も前からこうなるとは判っていたことなのに、クソッ」

茉莉子と唯一は今の礼二の言葉に不信を抱いて

「判ってたってどういう事?」

礼二は階段に腰掛けると

「ギリシアで会った事憶えていない?アテネの空港で」

茉莉子は過去の記憶を遡って行くとひげ面の一人旅の男の事を思い出した

「確か出版社の…ああ、あのせつはって何で」

「俺、ずっとこの教会のことを見てたんだ。初めは単なる好奇心からね。吸血鬼や何やらと調べていく内に世紀末の人類滅亡っていうキーワードが頭から離れなくなってきて本格的に調べ始めたんだ異端邪説をね。そして、伝説の女神像がどうやらエーゲ海の何処かの島にあるって判ったんだ。で、君達と出会った。その時に閃いたんだよ。ヴァンパイアハンターだった黎明の母にそっくりな君とあそこであったのも何かあるって…それからずっと君を見てた。気付かれないようにね。それが、黎が店に連れてくるし話の内容からすると吸血鬼も動き出したようだし…ここは君と逃げないとって…勘違いしないで貰いたいんだが、ずっと見守っていたんだ」

二人が引いていくのを察知してか咳払いをしてから

「ま、俺は人類滅亡を防ぎたいだけなんだってストーカーじゃねえよ。ま、あれだな…つまり捕まるよりか、逃げる方がいいって事だ」

「でも、礼二さん。逃げたところで女神像は在るわけだから同じ事の繰り返しになるんじゃないですか」

「そうよ。人間の運命は自分の魂の中にあるって言うでしょう…私一生逃げて暮らすなんて嫌よ。戦いましょう!人類滅亡の危機から救ってくれるんでしょう?ほら黎明達に気付かれないように今の内に武装して私達も作戦を練りましょう。それにマスターの家ってお金持ちなんでしょ…資金には困らないわけだミサイルか何かでもぶっ放す?」

「あのな!でも、この教会を援助してきたのは確かに俺だから…武器の調達は亘って奴がやってるって言ってたよな…そう言う面では役立てるかも」

「じゃ、少しは歩があるわけね」

茉莉子は二人の装備を手伝いながらノートを片手に色々物色し始めると、先程まで丸くなって寝ていたレハエルが鳴き声を上げたのでドアを開けると丁度神父が扉の前に来たところだった。笑顔で誤魔化しながら三人は昼食をとりに食堂へと入っていった。神父を中心に祈りを捧げてから皆食事に取りかかった。七人は特に会話もなく食事を平らげて行く、テーブルの上に乗ったレハエルに焼き魚をわけて上げるときだけ

「ほれ」

「はい」

「これも喰うか」

などの声を掛け、その都度

「みゃぁ」

の返事が来るという奇妙な昼食となった。

午後からも皆していることはバラバラで茉莉子達は作戦を練る間もなく礼二は亘と武器の相談を始め唯一は神父にかり出され茉莉子はまた片づけを始めていた。それが終わると人数分のグラスを取り出すとアイスティーを作り始めていた。

また黎明が朝と同じように姿を現した。茉莉子は先手を打って

「私は何処にも行かないわよ」

「ふーん。じゃ、ずっと此処に居れば…俺達の帰りを待っていてくれればいいよ」

茉莉子はこれにも反論したかったがここは一歩譲って情報を引き出した方がいいと作戦を変えて

「そうね。結花ちゃんのことも事情はどうあれ…姉妹とは知らなくても知り合いって事は判っていた訳だから…でも昨日命がけで助けようとしてくれたんでしょう。あんた一人でも戻ってこれて良かった。それにヴラドにしろ、あんたにしろ最初は私に目をつけときながら…結局姉ちゃん達…何なのかしらね」

黎明は棚から砂糖を取り出すと茉莉子に渡した。

茉莉子は沸騰したやかんに紅茶のティーバックを浸しながら

「でも、おかしいと思わない?どうしてラドウは自分で動かないのかしら…本人が動けば今頃三人共捕まってるんじゃない?力のある吸血鬼なのに…砂糖入れるの?」

「みんな運動して疲れてるだろうから甘い方が良いんじゃない?そうだよな…ラドウは俺を信用していないみたいだったし…ミルチャもやっぱり存在しないみたいな口振りだったし」

茉莉子はティーバックを取り出すと砂糖を混ぜ始めながらさり気なく

「そうなんだ…ミルチャってお祖父ちゃんの方?それとも生き埋めにされた方?」

黎明は冷蔵庫からレモンを取り出すとカット仕始めた

「判らない…でも三兄弟なんじゃないかな」

「違うわよ。ドラクラは四兄弟よ…歴史上はね。ミルチャとヴラドの間に誰かいたような気がするのよねラドウとの間だったかしら…どちらにしても直ぐに死んでしまったみたいだけど…」

「なんでお前…あっごめん。マコはそんなこと知ってんの?」

「ふふん。私こう見えても吸血鬼研究家なの」

「マジで?」

「マジで!」

「でもなんでヴラドを…」

「試すつもり?ま、いいけど。ストーカーのドラキュラのモデルが串刺公でしょ。ドラキュラは英語名でもともとはドラクラ。ドラゴンのようなって意味なのよ。そうなると研究家としては知らなければならない…で調べたの。バートリー伯爵夫人、サンジェルマン伯爵とかカーミラにドリアン・グレイも調べたけどあれはワイルドの創作だろうとしかわかんなかった…他にもノスフェラトゥやヴリコラカス、キヴァタテオ、ダムピール…不老不死に興味があったのよ。マスターじゃないけど、人類滅亡が起きたときに備えてね。私の場合はマスター、礼二さんとは違って救うことじゃなく生き残ることだったけど」

「で、その方法はみつかったの?」

「なに言ってんの?今は二十一世紀よ。私が調べていたのは世紀末の人類滅亡」

黎明は茉莉子の事を不思議な子と思いながらも

「判らないことだらけだ…結花子さんは奴のもとにいる。敵に塩を送ってしまったことは事実だ。でも、お前等姉妹って頑固だよね…もしかして、百合子さんもそう」

茉莉子はグラスに氷を入れるとパチパチと音を鳴らしながら紅茶を注ぎ始めた

「最強よ。でも、どっちみちラドウは私達を捜しているんでしょう…ま、私が此処に居るってことは…まだ望みがあるってことよ。神父様のノートを読ませてもらったけど…ヴラドはそんな悪い奴じゃないみたいだし…姉ちゃんを守ってくれるんじゃないかな…姉ちゃんはそこらの馬鹿女とは違うんだから、同じ吸血鬼にされるにしてもヴラドの方で良かったのかもしれない、もう既に私達の物語は始まってしまったのよこうなれば一蓮托生覚悟はできているわ」

黎明は切ったレモンを搾りながらグラスへと入れていく

「多分…まだ二人とも吸血鬼にはされていないよ。ラドウは人間の女を捜していたから…そうじゃなきゃ俺もとっくに吸血鬼にされていたよ…じゃ、運ぶか」

今の会話で黎明が茉莉子を海外へ行かすのを諦めたことが判ると茉莉子は盆にグラスを乗せると外へと運び出した。

歩きながらも話し続けていた。

黎明は茉莉子の目を盗んでポケットから薬を取り出すとそれをグラスに入れた。まず神父達に渡すと茉莉子に二つ手渡してジョージと亘に持っていくように言うと、盆を下に置き、自分と茉莉子の分を持ち、戻ってきた茉莉子に手渡した。皆が飲んで居ることを確認してから

「奴等が動くとしたら今日しかない。明日は儀式があるから動かないだろう。きっとラドウの事だ此処の場所は既に突き止めているだろうから、まずヴラドを捜すに決まっている。きっと神殿の警備は手薄の筈だ、その隙をつく。俺等にはあと二日しかチャンスはない前進あるのみだ」

黎明は三人の様子を見て船を漕ぎ始めているのを確かめると

「叔父さん。こいつ等頼むな。必ず帰ってくるからさ」

「あんた何言ってるの?これに…何か入れた…の…」

黎明は意識を失っていく茉莉子を抱き留めると唯一と礼二もその場に倒れ込んだ

「連れて行くわけに行かないだろう…昨日今日吸血鬼の存在を知った奴が奴等と対等に戦える訳がない…少数先鋭で行かないとな」

ジョージと亘も近寄って来ると

「三人はどうする?」

「取り敢えず部屋に運んで寝かしておこう」

「じゃ、準備が出来次第俺達は出発だ。叔父さん三人が起きたら後のことは頼んだよ」

四人の男達が倒れている茉莉子達を囲んで話しているのをレハエルは窓越しにじっと見つめていた。

そして、また月日は流れた。

ある時、『それ』がうたた寝していると、何処からともなく声が聞こえてきた。

「何処へ、行キタイノ?」

『それ』は周りの気配を探ったけれど何の気配も感じられません。

あるものと言えば、相変わらず続いている生と死の躍動感だけであり、古代からの冷機がそのまま漂い続けているだけだった

「何処ヘ行キタインダイ?」

また、声が聞こえてきた。

その声は『それ』の体を静けさの中から優しく包み込んで温めてくれるような感じを与えた。

もしかすると、提灯アンコウのおじいさんがお月さんを連れて戻ってきて悪戯をしているのかもしれないと思い、声を掛けてみる

『アンコウのおじいさん?』

「ナンダ、話セルンジャナイカ。サア、何処ヘ行キタイノカ答エテオクレ」

提灯アンコウではないようである。

『それ』は不思議に思いながらも

やはり、提灯アンコウから話を聞いたお月さんだと思い

とりあえず

『もし、出来ることなら空がみたいです。』

と謙虚に答えた。すると謎の声は

「時間ガカカルシ、モシカスルト少シ痛イカモシレナイケド我慢デキルカ?」

『はい。もしかして、あなたがお月さんですか?』

「チガウ」

それっきり謎の声は聞こえなくなってしまい、周りもいつもの静けさに戻ってしまいました。

『それ』は夢でも見ていたのかと思い、また深い眠りにつき始めた。


暫くすると『それ』は異変に気づいた。

本当に少しずつだけど、自分の体が動いていることに気がついたのだ

何かに引っ張られている感じ

初めは引きずられている感じだったのが、次第に転がり始めた。

体中のあちこちが削られて痛むし

目もぐるぐる廻ったが

『本当に宙が見えるのなら』と『それ』は一生懸命我慢した。

たまにカニやエビ達がからかいにやって来たりした。

此処に居るものはみな退屈で仕方ないみたいだ。

「ねぇ、何処へ行くの?」

『空を見に行くんだ!』

「ふうん、時間がかかるね。此処は静かで楽園なのに、わざわざ遠くに行かなくてもいいのに」

というと気持ちよさそうに海底から湧き出る温泉の周りで優雅に踊っている。

別に『それ』は時間なんかどうでもよかったし、違う世界をどうしても見てみたかったのだ。

エビ達はいつも時間を気にしていたけれど・・・それは、きっと死んでしまうかれ時間を気にするだけで『それ』は死ぬことがないから時間の事なんて考えた事もなかった。

暫くすると

「上ヲ見テゴラン」

また、温かい声が聞こえてきた。『それ』は言われたとおり上を見てみた。其処は今まで『それ』が居た処とは打って変わって凄く明るかった。魚たちも群れを成して泳いでいる。

あの真っ暗だったあそこに比べて、今居るところは青や緑に輝いている。『それ』の近くにも、色鮮やかな生物達が沢山生活している。何だかすごく賑やかでとても楽しい気分になってくる

『あれが空なの?』

「チガウ。デモモウジキ着ク」

『此処は、天国?』

『それ』はしげしげと上を眺めた。そこは『それ』が今まで居た深海とは打って変わって楽園のようであった。全てが光り輝いて見えたのだ。

心はどんどん希望で膨らんでいくのに『それ』の体は最初の大きさよりも、もう半分も小さくなっていた。

自分が小さくなればなるほど空へ近づいているのがわかった。

身が軽くなれば心も軽くなる。性格も明るくなる。『もうじき空が見られる』もし自分が1人で動けるのなら猛スピードで泳ぎだしたい気分だった。『なぜ僕は泳げないんだろう、みんなあんなに簡単そうに泳いでいるのに』また声が聞こえてきた。

「今カラ、スゴク揺レルカラ合図ヲシタラフンバッテ」

『それ』が返事をする間もなく突然押し出されたり引っ張りこまれたりしだした。

『それ』はもうびっくりして無我夢中で目を瞑っていた

「今ダ!

アア、ダメダナ。次ハ頼ムヨ

ハイッ今ダ!

ヨシッ

上ヲ見テゴラン」

『それ』はやっと我に返って言われたとおり上を見てみたが凄く違和感を感じた。

今まで自分を包んでいた優しいものが無くなってしまった感じがしたのだ。

体が小さくなったせいか、凄く清々しいし「自由」?そんな感じもした

初めて聞く色んな音の大合唱。

『此処は何処?』

『それ』は、周りをキョロキョロ見ながら、自分を此処まで連れてきてくれた存在の事も忘れていた

「陸、浜辺、砂浜。ミナハソウ呼ンデイル」

『それ』は何も話せなかった。

初めて見た景色だった。

こんな素晴らしい世界がこの世に存在していたことに驚いてしまったのだ。

『それ』はやっとの思いで声を絞り出した

『お月さん。ありがとう。アンコウさんは本当に頼んでくれたんですね。本当にありがとう。僕は生まれて良かったと初めて思いました。お月さんありがとう。』

「ワタシハオ月サンジャナイ。月ハ、夜ニナレバ、現ワレル。空ヲミテレバ姿ガ見エル」

そう言い残すと謎の声は何処かへ消えてしまったようだ。

『それ』はずっと空を眺めていた。其処へ何かが泳いで来た。

『貴方がお月さんですか?』

「違うよ。君何処から来たの?初めてかい?僕はカモメって言うんだ。鳥だよ」

『カモメさんは変わった泳ぎ方をするんだね。じゃあ、僕のこと知ってる?』

「はぁ?僕は鳥だから泳いでいるわけがないだろう僕は飛んでいるんだよ。君は知らないんだろうけど鳥は空を飛んで、魚>゜))))彡は海を泳ぐと決まっているんだ。君は石だからじっとして動けないんだ」

『それ』は自分が石という名前だったことを初めて知った。

自分は『石』だったのだ。

だから自分の力では動けない。

石はカモメに自分の仲間は沢山いるのかと尋ねるとカモメは当たり前だとあっさり答えた。

石はカモメに仲間に会いたいと頼んだが

「君は大きいから僕には運べないよ。お月さんに頼みな」

と言うと飛んでいってしまった。

「また、お月さんだ。お月さんってどんなものなんだろう。何でも叶えてくれるのかなぁ夜さんはいつ来るんだろう。やっぱりカモメさんみたいに飛んでくるのだろうか?それに空って何処の事なんだろう」

すると、何かが石の事を突っついてくる。

石が吃驚して怯えていると、小さな声が聞こえてきた

「石さん、石さん。突然そんなところに居られたら困るんだけどなぁ、退いてくれない?」

石は謝りながら声の方へ向くと小さなカニが居ました。

石は懐かしい仲間。

やっと知り合いに会えた気分で夢中になって事情を説明し始め、何度も謝った

「ところで、カニさん?空は何処の事をいうの?」

カニは偉そうに呆れながら

「上だよ。上が全部空なの!」

石は、上をずっと眺めながら、不思議そうに見つめていた。

「じゃぁ、海はどれ?」

カニはもっと呆れて

「海から来たんだろう?その、さっきから気にに波がかかっているだろう、どこから向こうが全部海なの!もう、相手にしてらんねえよ」

というと、呆れ果てて何処かへ行ってしまいました。石は、空と海の大きさに関心しながら、とりあえず今自分がしなければいけないのは空を見ることだと思い出し、空をずっと眺め始めました。『夜』がいつ飛んできてもいいように。

じっと見つめていたのでした。


石は暫く空を眺めていたが、やがて疲れて眠ってしまいました。

「ここは何処。ああそうかやっぱり今までのことは夢だったのか」

石が目を覚ますとまたいつもの心地よい世界に戻っていた。

ただ少し違うことといえば体がユラユラと揺られていることぐらいで、それも心地好い安堵感で溢れている。

石は静かに笑っていました。

「ゴ機嫌デスネ。空ヲ充分堪能シマシタカ?コレカラ、ドウスル?モドルカイ」

「僕は・・・夜さんがお月さんを連れて飛んでくるのをずっと待っていたんだけど、眠ってしまってまだお月さんにお礼を言っていないんです。だからもう一度空を見たいです。」

「ワカッタ。帰リタクナッタラ、空ニムカッテ叫ビナサイ。ソウスレバ月ガワタシニ教エテクレル」

そう言うと謎の声はまた消えてしまいました。

石はずっと揺られながら考えていました。

『僕はこれからどうなるんだろう』

カモメが言っていたことも思い出しました。

『石は動けない』。

「あっあの声の主の名前を聞くのを忘れちゃった」

石が気づくといつの間にかまた浜辺に居た。

石は黙ったまま空を眺めました。

昨日と同じ空。そして、海。

何回もその繰り返し。

誰も話しかけてもくれない。

初めの頃は、賑やかで楽しかったけれど・・・今は皆自分の事で精一杯のようで誰も石の事に気づいてくれない。

これでは深海に居た頃の方が静かで穏やかだったような気がしてきた。

本当に夜は飛んで来るのだろうか?

お月さんはいるのだろうか・・・と不安な気持ちがこみ上げて来る。

体もどんどん軽くなり、初めの頃は心地良かった揺れも次第に激しくなり眠ることすら出来なくなってきて、浜辺にいるときはずっと空を見ていたいのに眠くて眠くて眠ってしまい夜とも月とも出会うことが出来ない。

石は本当に深海に帰りたくなってきました。

あのキラキラ小さく光る流星みたいな生き物をもう一度見たくなりました。

音も色もない世界へ戻りたくなりました。

あの退屈な世界の方が自分に合っているような気がしてきました。

『海は何で海なんだろう』石は決心しました。

今度砂浜へ着いたら眠ってしまう前に叫ぼうと、その時にお月さんへのお礼を一緒に言おうと決めました。

でもまだ自分が一体何者なのか判りません。

ただ石ということと自力では動けないということと海も空も大きな兄弟みたいなものだということしか判っていませんでした。

それでも、そうしても自分の元いた場所に戻りたくて仕方ありませんでした。

石は自分を知るより自分がどんどん変わっていってしまうのがとても怖かったのです。


・・・明日は必ず大声で叫ぼう。

もう夢から目覚めるには丁度いい時間だから・・・

四月二十九日(木曜日)


 工藤が神殿へと降りて行くとラドウは結花子と共にベッドに横たわっていた。

神殿の中には変化に対応出来なかった哀れな者達が呻き声を上げながら犇めきあっている。

工藤は自分の足下にすり寄ってくる嘗ての仲間を無表情で蹴り飛ばすとベッドの側へと進んで行った。

「ヴラド様とアイグレ様の居所が分かりました。今夜、横浜港から出航するようです。下船場所はまだ特定できてません。世界一周するようです」

「そうですか…。では彼らを船に乗せないように…黎明の方はどうなっている?そしてヘスペラレドゥサの行方は?もう時は迫っている」

結花子がすっと立ち上がると女神像の一つに近寄ると頬に手を差し上げると指で舐め始めた。

しばらく艶めかしく交わりを続ける内に声色が変わり

「ヘスペラレドゥサは暁の男と共にいる。我が日没の女神は自らの意志で我らの下へやってくる」

そう言い終わると結花子は呪縛が融けたように床へと倒れまた死んだように眠りについた。

ラドウが音もなく近づくとさっと結花子を抱え上げベッドへと運んでいくと愛おしそうに頭を撫でながら

「原始、女は太陽であったという…君は昔見た紅に染まった空のように美しく賢い娘だ。エリュティアよ…。もうじき私達はやっと一つになれるのだよ………工藤、二人を此処へ連れて来い。娘は傷つけるな!彼女さえさらえば兄は勝手に此処へ戻ってくるだろう。急げ時がもう迫っている。黎明達の方も手を打って置きなさい」

工藤は仰々しく一礼をするとまともに変化した数少ない仲間達を呼び集めた。