茉莉子は窓の外から聞こえる物音で目を覚ました。
神父のノートが開いたまま枕元に置いたままになっていた。読みながら眠ってしまったようだ。カーテンの隙間から外を見ると亘が木に吊されたサンドバッグに拳を打ち込んでいる。
ドアを開けると扉の外に歯ブラシとタオルが置かれている。
茉莉子はそれを取り上げると洗面所の方へ行き身支度を整える。
食堂へ顔を出すと唯一が一人で食事をとっていた。
茉莉子は唯一に声を掛けると自分も向かいに腰を下ろした。
「他のみんなは?」
そこへ神父が茉莉子の分の食事を運んで来る
「ジョージと礼二君は特訓をすると言って山の方へ行きましたよ。亘もその辺で体を動かしているのでしょう」
茉莉子は神父から珈琲のカップを受け取りながら
「さっき窓から見えました」
「黎明は礼拝堂の方に居ますよ」
茉莉子は神父に礼をいうと食事を始めた。唯一は自分の使った食器を片づけてからもずっと黙ったまま同じ席に座っている。
「唯一君ちょっと用事を頼んでも宜しいですか?」
唯一が肯くと神父も笑顔で肯き茉莉子にはゆっくりしているように言い残し唯一を連れ立って食堂から出て行った。
神父は教会の裏手にある納屋まで来ると、積んである薪を程良い太さに斧で割ると切っ先をナイフで削り唯一に手渡した
「これと同じように削って下さい。怪我しないように気をつけてくださいね」
二人は黙々と作業を始めた。暫くしてそこへジョージと礼二が戻って来ると
「やってるね。いっぱい削ってくださいよ。いくらあっても足りるという事はないですからね。マスター次は何の特訓をしますか」
礼二はへばりきりながら
「やっぱり普段の生活態度改めないとついていけないよ…休憩」
「駄目駄目。じゃ、ここで神父様達を手伝って、俺は亘ともう一汗かいてくるから」
そういうと礼二と違ってまだ元気が有り余っている様子のジョージは亘の方へと走って行った。
「礼二君お疲れ様です、といってもあまり疲れてはいないようですが…随分特殊に鍛えられた肉体をしている」
礼二はこの神父なかなか侮れないと思いながらも勘弁してくれという表情で唯一の隣の地べたに座り込んだ。神父は納屋へと入って行くとロープを手に戻って「お疲れのところ申し訳ないが、これで出来上がった杭を纏めて下さい」
神父は自分が切り出した薪の量を見ると、自分もナイフを取り出し削り始めた。
「礼二君。それが終わったら」
近くに落ちている葉を拾って
「これと同じ葉を納屋にある麻袋一杯に集めて来て下さい」
礼二は両手を挙げて見せると納屋へ入り袋を見つけると
「ここは人使いの荒い処だな」と呟くと裏庭を彷徨きながら葉を集め始めた。
ずっと無言で作業をしていた唯一がようやく口を開いた
「神父さま。ヴラドとラドウは同じ吸血鬼なのでしょうか…吸血鬼は皆…悪の存在なのでしょうか…僕はその………」
「それは私にもわかりません。ただ言える事は…昔、私達がラドウと戦った時は少なからず彼は私達の味方でした。吸血鬼は生き血を啜らなければ生き続ける事は出来ない…それだけです」
唯一はそれだけ聞くとまた手を動かし始めた。
「唯一君。人間は努力する限り迷うものなのですよ。答えは自分の中にある」
茉莉子は食事を終えると台所へ行き食器を洗い始めた。窓の外では親子の様な二人が黙々と杭を作っている。このままここでみんなで暮らすのも悪くないかもしれないと考えながら食器を拭いて棚へと片付け始めると黎明が台所へと入って来た。
昨夜よりは顔色が良くなっている
「何してたの?」
黎明は茉莉子の問いには答えず、横に立って神父達の姿を見つめながら
「結花子さんの事まだ怒ってる?」
茉莉子は食器を片付け終わると台所を出て行った。黎明は茉莉子が使っていた布巾を取り上げるとそれを放り投げ、後を追って礼拝堂へと入っていった。
「だから、ごめんって…」
茉莉子はマリア像を眺めながら
「ねぇ、何処に武器が隠してあるの?あるんでしょう。見せて」
黎明は溜め息をついてから茉莉子の手を掴むと地下室へと連れていった。
武器庫とは思えない物ばかりが並んでいた。茉莉子は薬品棚に近付くと錠剤が入った瓶を持ち上げると
「これは何?」
黎明は茉莉子からそれを受け取り元に戻すと
「アスピリン。それとこっちの液体を同時に接種すると副作用が起こる。吸血鬼を倒す事は出来ないが一時的に弱らす事は出来る。体を張った接近戦に通用する。昨日もそれで逃げられた…結花子さんにも渡してある。彼女は自らの意志で残ったんだ」
茉莉子は聞いているのか、辺りを物色し続けている。乾燥したハーブを手に取ると「これは?」
「それは見ての通りハーブ、魔よけや滋養強壮になる。戦った後に体力を回復するために飲むんだ(黎明は茉莉子の手を取ると)昨日は悪かった。少し言い過ぎた。でも、もう一回だけ言わせてくれ…この国から出てくれ」
茉莉子は真剣な黎明に対して自分も真剣に答えた
「判った。俺、ちょっと準備あるから行くわ」
茉莉子は少し可哀想だったかなと思いながらも黎明を黙って見送った。
倉庫の中を物色していくと黎明の母親が身につけていた物なのか自分に合いそうな防御服が見つかった。薄いが丈夫そうな帷子を手に取るとそれを素肌に身につけてみた。誰も来ない内にその上から自分が着てきた服を身につける。少し重いが予想よりか動きやすいことが判った。使い方が判らない物は無視して自分なりに装備を調えて行く。それが終わると上へ上がったが食堂では黎明が自分で作った地図を広げて、亘、ジョージの三人が真剣に作戦を練っているようなので顔を出したが三人ともお呼びでないという態度をとったので茉莉子はそのまま神父の部屋へと戻った。相変わらず窓の外を眺めているレハエルの様子を見つめながら
「お前もちゃんと自分の日課を果たしているのね。じゃ、私も何かしますか…」
茉莉子は椅子に腰掛けると神父のノートの続きを読み始めた。彼らはヴァンパイアハンターと言っても実戦経験が少ないことが判った。外国から進入してきた吸血鬼や徐々に増え始めている日本で変化した者達を倒している。ラドウの居場所を突き止めたのもつい最近のようだった。これでは黎明が失敗するのも頷ける。条件は対して変わらない…。昼頃になって神父が昼食の支度を始めたことでようやく杭作りから解放された二人が茉莉子の元へとやって来た
「茉莉ちゃん。何だか俺等って蚊帳の外って感じだな」
礼二の声で顔を上げると
「そう?仕方ないんじゃない。即戦力じゃないんだし…昨日だって三人で向かったんでしょ、それで駄目だったのに。亘さんが増えるだけじゃ…ね。よっぽど作戦練らないと。頑張ってるのよ。それよりこれを見て」
茉莉子はそういうと着ていたシャツをおもむろに上げると、咄嗟に二人の男は顔を逸らしたが無理矢理見せると、何冊かのノートを手に取ると地下室へと連れていった。何故かレハエルも着いてきていたようで中に入ると茉莉子は内側から鍵を掛けた。レハエルはドアの前に見張っていますと言わんばかりに座り込むと大きな欠伸をして居眠りを始めた。
「多分黎明達は私達を置いていくつもりよ。どうする?」
「ラドウは必ず茉莉子さんと百合子さんを彼処に連れて来させますよ。そうしたらヴラドもきっと現れます」
「捕まったら最後だな…五年も前からこうなるとは判っていたことなのに、クソッ」
茉莉子と唯一は今の礼二の言葉に不信を抱いて
「判ってたってどういう事?」
礼二は階段に腰掛けると
「ギリシアで会った事憶えていない?アテネの空港で」
茉莉子は過去の記憶を遡って行くとひげ面の一人旅の男の事を思い出した
「確か出版社の…ああ、あのせつはって何で」
「俺、ずっとこの教会のことを見てたんだ。初めは単なる好奇心からね。吸血鬼や何やらと調べていく内に世紀末の人類滅亡っていうキーワードが頭から離れなくなってきて本格的に調べ始めたんだ異端邪説をね。そして、伝説の女神像がどうやらエーゲ海の何処かの島にあるって判ったんだ。で、君達と出会った。その時に閃いたんだよ。ヴァンパイアハンターだった黎明の母にそっくりな君とあそこであったのも何かあるって…それからずっと君を見てた。気付かれないようにね。それが、黎が店に連れてくるし話の内容からすると吸血鬼も動き出したようだし…ここは君と逃げないとって…勘違いしないで貰いたいんだが、ずっと見守っていたんだ」
二人が引いていくのを察知してか咳払いをしてから
「ま、俺は人類滅亡を防ぎたいだけなんだってストーカーじゃねえよ。ま、あれだな…つまり捕まるよりか、逃げる方がいいって事だ」
「でも、礼二さん。逃げたところで女神像は在るわけだから同じ事の繰り返しになるんじゃないですか」
「そうよ。人間の運命は自分の魂の中にあるって言うでしょう…私一生逃げて暮らすなんて嫌よ。戦いましょう!人類滅亡の危機から救ってくれるんでしょう?ほら黎明達に気付かれないように今の内に武装して私達も作戦を練りましょう。それにマスターの家ってお金持ちなんでしょ…資金には困らないわけだミサイルか何かでもぶっ放す?」
「あのな!でも、この教会を援助してきたのは確かに俺だから…武器の調達は亘って奴がやってるって言ってたよな…そう言う面では役立てるかも」
「じゃ、少しは歩があるわけね」
茉莉子は二人の装備を手伝いながらノートを片手に色々物色し始めると、先程まで丸くなって寝ていたレハエルが鳴き声を上げたのでドアを開けると丁度神父が扉の前に来たところだった。笑顔で誤魔化しながら三人は昼食をとりに食堂へと入っていった。神父を中心に祈りを捧げてから皆食事に取りかかった。七人は特に会話もなく食事を平らげて行く、テーブルの上に乗ったレハエルに焼き魚をわけて上げるときだけ
「ほれ」
「はい」
「これも喰うか」
などの声を掛け、その都度
「みゃぁ」
の返事が来るという奇妙な昼食となった。
午後からも皆していることはバラバラで茉莉子達は作戦を練る間もなく礼二は亘と武器の相談を始め唯一は神父にかり出され茉莉子はまた片づけを始めていた。それが終わると人数分のグラスを取り出すとアイスティーを作り始めていた。
また黎明が朝と同じように姿を現した。茉莉子は先手を打って
「私は何処にも行かないわよ」
「ふーん。じゃ、ずっと此処に居れば…俺達の帰りを待っていてくれればいいよ」
茉莉子はこれにも反論したかったがここは一歩譲って情報を引き出した方がいいと作戦を変えて
「そうね。結花ちゃんのことも事情はどうあれ…姉妹とは知らなくても知り合いって事は判っていた訳だから…でも昨日命がけで助けようとしてくれたんでしょう。あんた一人でも戻ってこれて良かった。それにヴラドにしろ、あんたにしろ最初は私に目をつけときながら…結局姉ちゃん達…何なのかしらね」
黎明は棚から砂糖を取り出すと茉莉子に渡した。
茉莉子は沸騰したやかんに紅茶のティーバックを浸しながら
「でも、おかしいと思わない?どうしてラドウは自分で動かないのかしら…本人が動けば今頃三人共捕まってるんじゃない?力のある吸血鬼なのに…砂糖入れるの?」
「みんな運動して疲れてるだろうから甘い方が良いんじゃない?そうだよな…ラドウは俺を信用していないみたいだったし…ミルチャもやっぱり存在しないみたいな口振りだったし」
茉莉子はティーバックを取り出すと砂糖を混ぜ始めながらさり気なく
「そうなんだ…ミルチャってお祖父ちゃんの方?それとも生き埋めにされた方?」
黎明は冷蔵庫からレモンを取り出すとカット仕始めた
「判らない…でも三兄弟なんじゃないかな」
「違うわよ。ドラクラは四兄弟よ…歴史上はね。ミルチャとヴラドの間に誰かいたような気がするのよねラドウとの間だったかしら…どちらにしても直ぐに死んでしまったみたいだけど…」
「なんでお前…あっごめん。マコはそんなこと知ってんの?」
「ふふん。私こう見えても吸血鬼研究家なの」
「マジで?」
「マジで!」
「でもなんでヴラドを…」
「試すつもり?ま、いいけど。ストーカーのドラキュラのモデルが串刺公でしょ。ドラキュラは英語名でもともとはドラクラ。ドラゴンのようなって意味なのよ。そうなると研究家としては知らなければならない…で調べたの。バートリー伯爵夫人、サンジェルマン伯爵とかカーミラにドリアン・グレイも調べたけどあれはワイルドの創作だろうとしかわかんなかった…他にもノスフェラトゥやヴリコラカス、キヴァタテオ、ダムピール…不老不死に興味があったのよ。マスターじゃないけど、人類滅亡が起きたときに備えてね。私の場合はマスター、礼二さんとは違って救うことじゃなく生き残ることだったけど」
「で、その方法はみつかったの?」
「なに言ってんの?今は二十一世紀よ。私が調べていたのは世紀末の人類滅亡」
黎明は茉莉子の事を不思議な子と思いながらも
「判らないことだらけだ…結花子さんは奴のもとにいる。敵に塩を送ってしまったことは事実だ。でも、お前等姉妹って頑固だよね…もしかして、百合子さんもそう」
茉莉子はグラスに氷を入れるとパチパチと音を鳴らしながら紅茶を注ぎ始めた
「最強よ。でも、どっちみちラドウは私達を捜しているんでしょう…ま、私が此処に居るってことは…まだ望みがあるってことよ。神父様のノートを読ませてもらったけど…ヴラドはそんな悪い奴じゃないみたいだし…姉ちゃんを守ってくれるんじゃないかな…姉ちゃんはそこらの馬鹿女とは違うんだから、同じ吸血鬼にされるにしてもヴラドの方で良かったのかもしれない、もう既に私達の物語は始まってしまったのよこうなれば一蓮托生覚悟はできているわ」
黎明は切ったレモンを搾りながらグラスへと入れていく
「多分…まだ二人とも吸血鬼にはされていないよ。ラドウは人間の女を捜していたから…そうじゃなきゃ俺もとっくに吸血鬼にされていたよ…じゃ、運ぶか」
今の会話で黎明が茉莉子を海外へ行かすのを諦めたことが判ると茉莉子は盆にグラスを乗せると外へと運び出した。
歩きながらも話し続けていた。
黎明は茉莉子の目を盗んでポケットから薬を取り出すとそれをグラスに入れた。まず神父達に渡すと茉莉子に二つ手渡してジョージと亘に持っていくように言うと、盆を下に置き、自分と茉莉子の分を持ち、戻ってきた茉莉子に手渡した。皆が飲んで居ることを確認してから
「奴等が動くとしたら今日しかない。明日は儀式があるから動かないだろう。きっとラドウの事だ此処の場所は既に突き止めているだろうから、まずヴラドを捜すに決まっている。きっと神殿の警備は手薄の筈だ、その隙をつく。俺等にはあと二日しかチャンスはない前進あるのみだ」
黎明は三人の様子を見て船を漕ぎ始めているのを確かめると
「叔父さん。こいつ等頼むな。必ず帰ってくるからさ」
「あんた何言ってるの?これに…何か入れた…の…」
黎明は意識を失っていく茉莉子を抱き留めると唯一と礼二もその場に倒れ込んだ
「連れて行くわけに行かないだろう…昨日今日吸血鬼の存在を知った奴が奴等と対等に戦える訳がない…少数先鋭で行かないとな」
ジョージと亘も近寄って来ると
「三人はどうする?」
「取り敢えず部屋に運んで寝かしておこう」
「じゃ、準備が出来次第俺達は出発だ。叔父さん三人が起きたら後のことは頼んだよ」
四人の男達が倒れている茉莉子達を囲んで話しているのをレハエルは窓越しにじっと見つめていた。