片岡飛鳥(かたおか あすか、1964年10月24日 - )はフジテレビジョン編成制作局バラエティー制作センター副部長の演出家、プロデューサー・ディレクター。東京都町田市出身、血液型O。めちゃイケのほか、はねるのトびらを作る片岡班(吉田正樹班から分班)を率いる。
「オレたちひょうきん族」に憧れ、早稲田大学卒業後1988年にフジテレビ入社。念願叶い入社後即ひょうきん族のADに。
「新しい波」でナインティナイン・よゐこ・極楽とんぼと出会い、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」が出演者の死亡事故で打ち切り後、「とぶくすり」→「めちゃ2モテたいッ!」→「めちゃ2イケてるッ!」と着実にステップアップ。出演者とともに、平成の土曜20時お笑い伝説を築こうと日々まい進している。また、後進を育成している「はねるのトびら」を監修(2004年3月末までは、総指揮)している。

手掛けた番組
「オレたちひょうきん族」AD
「夢で逢えたら」AD
「笑っていいとも!」AD→ナインティナイン出演時よりディレクター
「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば」AD
「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば」
「新しい波」
「とぶくすり(Z)」
「殿様のフェロモン」
「今田耕司のシブヤ系うらりんご」(今田耕司司会)
「天使のU・B・U・G」
「新しい波8」
「FNS27時間テレビ 楽しくなければテレビじゃないじゃ~ん!!めちゃ2オキてるッ!(2004年7月24日、25日放送)」総合演出など


自分が尊敬しているテレビマンの一人であり、自分がディレクターという職業を目指すきっかけを与えてくださった人物である。
主観的な部分や友人からの情報も含めて、飛鳥さんの何がすごいのか少しづつ書いていこうと思う。

①オリジナリティ
今でこそバラエティ番組にテロップや挿絵、効果音はつきものであるが、その基本形を作りあげたのが「めちゃイケ」であり、「総監督:片岡飛鳥」なのである。ある種、現在のバラエティの演出の基礎を作ったといってもいいだろう。

②プロ意識
「ディレクターは(番組について)全部説明できなくちゃいけない」
これはタレントのポテンシャルの全てを引き出すために必要な行為である。もし、タレントが「これは何に使うの?」と思ったならば、「これは~で、~だから面白いんです。」と説明できなければならない。なぜなら、それについて答えられるということはスタッフの自信の表れでもあり、現場を実際に使うタレントの不安を取り除くことにも繋がる。
それにより、現場が「お笑い」に集中できる環境が生まれるのである。
※高須さん曰く「これが出来るディレクターは少ない。」

③後輩の育成
多くの優秀なディレクターというのは優秀であるがために「ワンマン」になりがちなそうである。しかし、飛鳥さんは後輩の育成(指導)を大切にしており、実際、その「弟子」たちが数々の番組を担当し始めている。同業者に手の内を見せてまで後輩の指導をするのはなかなか出来ることではない。

④裏方に徹する
近頃では、自分の番組に出たがるスタッフというものが見られる。それが悪いこととは思わないが、やはり、餅は餅屋というように、タレントではない、「セミプロ」が画面に出るのは自粛すべきである。
飛鳥さんは自分の番組や雑誌などには出たがらないため、飛鳥さんの風貌は生放送などで、一瞬「間違って」映ってしまっただけで、謎な部分が多い。
スモウライダーで指令を出していたのも飛鳥さんだと言われているが(圭ちゃんの言葉遣いから推測)、その時の「声」も変化させて、誰の声か認識できないようになっていた。

⑤タレントを育てる
今でこそナイナイや極楽、よゐこなどはメジャーな芸人であるが、「とぶくすり(Z)」の頃では、彼らは一部の人間にだけ名が知れた芸人のうちの一部分にすぎなかった。
そんな彼らを起用し、現在の「めちゃイケ」の活躍まで彼らを引導した飛鳥さんの功績は大きい。

⑥信頼
「FNS27時間テレビ 楽しくなければテレビじゃないじゃ~ん!!めちゃ2オキてるッ!(2004年7月24日、25日放送)」で鶴瓶師匠が、「飛鳥~!!」と大声で叫んだ場面が印象的であった。スタッフ全員へ向けたメッセージとは別に飛鳥さんへ感謝の気持ちを表したかったのかもしれない。
飛鳥さんが重要なポジションにいたために起こった行為かもしれないが、「出たがり」でない飛鳥さんの名前をわざわざ呼んだのは鶴瓶師匠の心から出た感謝の言葉だと自分は思っている。

⑦長文
主観的な文をだらだらと書いてしまったが、もしここまで読んでくださった方がいたとしたら、それこそが飛鳥さんのすごさである。いちディレクターにこれだけの関心を持ってくださるということはなかなか無いことであろう。