大須の祭に行ってきた。いくつかの花火を見た。

名古屋の『秋葉原』である街であるので観覧する人々も多く、境内は人で埋まった。

仕掛け花火が最後にやるのですが、花火と花火の間に、ものの3分ぐらいの時間があります。

その間、余韻に浸らねばならんのだと思いますが、偶然にも僕の目の前には浴衣を着た女子大生がおり、
僕の眼前、30、いや20cmのところにに女子大生のうなじがスッとあるので、まじまじと眺めてしまうのです。
(これは何たる不可抗力!)

女子大生は4人ほどで来ているようで、四角いフォーメーションをとって打ち上がる花火を見ています。
ドドドドドーッと20秒ほど打ち上がり、そして拍手。そのあとの沈黙。
しかしそこは花も恥じらう女子大生。おしゃべりを始めるわけです...。

「すごいねー」「デートしたい」「どんだけ合コン好きなんだよ!」
キャキャキャッ。

そんな女が顏前にあるので、ぐっと目を下げ、なめ回すように体を見ます。
するとあることを再発見させられてしまうのです。
「浴衣だ」
浴衣といえば日本の伝統の衣装であり、そして古来より、伝統的な着こなしとして、『下着をつけぬ』ということが、まことしやかに囁かれてきているのです!

僕は、目の前にいるこのするするとした布を着た女が、お尻をこんなにつんと突き出している女が、デートだ合コンだなどと男を欲しており、そんな現状を見せつけられては、ぐるぐると女のラインをなめ回す眼球の速度を上げずにはおられなかった。

今すぐぐいと左手で、女のあごを右に向け、後ろから園唇に吸い付いてやり、右手はするりと女の浴衣の胸元へ滑り込ませ、むんずと女子大生の乳房を掴んでやりたい衝動にかられながらも、目はお尻の下着の線の有無に費やされているのである。

我ながら我が探究心と、長年の日本文化に対する疑問に、終止符を打たんとする使命感に唸らされる。

学校の保険体育の時間に女子のみに伝えられる秘密。この秘密の1つが「浴衣着用時の下着について」である。
もしこの秘密が噂通りであるのであれば、この突き出たお尻の薄皮一枚、木綿の下に、女子大生の柔肌があるということではないか!

僕はたまらず、眼前のこの性欲旺盛で男を欲している女子大生お尻に呼びかけていた。
「あの、パンティははいてますか」
「え?」
それはお尻のはるか上から聞こえた。
(イカン、疑問解決の焦りのあまり、お尻に向けて話してしまった!)

僕は気を取り直して、上のお口の主へと意識を移していき話かけた。
「あの...パンティはいてますか」

返事がない。「あのパンティはいてますか」

この再度の問いかけに「やだ...」「行こ行こ...」と口々に、浴衣の女子大生4人は逃げていってしまった。
僕は「あの、あの、」と食い下がったが、彼女達は人ごみの彼方へと消えてゆき、いかんともしがたい状態になってしまったのだ。
僕は諦めきれず、近くにいた他の浴衣の女達に(もちろん祭であるので彼女ら以外にも浴衣を着ている女達はいるのだ)「パンティはいてますか!」「パンティはいてますか!」と、すがるように質問をぶつけていたのだが、「きゃっ」などと悲鳴を上げられてしまう始末。
僕の回りには誰も寄らず、ぽっかりと輪っかが出来ていた。

するととうとう、その円の縁に屈強な男達がゾロゾロと出てきて僕を囲んでしまった。
金髪、ピアスと色とりどりで、女どもの友達?彼氏か?狩人か?
しまったと思い、じわっと嫌な汗で動きが止まるも、すぐさま反転。手刀をきって一拝み。「では!」と人をかき分けようとするも前には進まず。男どもに首根っこを掴まれる!
襟首をもたれ、「なにしてんだよ」と顔面をぐいと引き寄せ一言。僕は「ええと...ええと...」。
だってこんな輩に私の崇高な研究を語ったところで理解できるはずがないのだ。

「ちょっと来いよ」と言われながらも、私の意思とは関係なく引きずられ、人の輪の外へと出されたのだった。そこからのなんと理不尽な殴る蹴るの暴行!
そして私は痛みの為に薄れゆく意識の中で、祭も終わりそれぞれの帰路につく人々のにぎやかな話し声を聞きながら、私はそれでも浴衣姿の女のパンティラインを追っていた。
長年の研究の為に。人類の進歩の為に...。

私が意識を取り戻した時には、もういつもと変わらぬいつもの夜の大須だった。車の通る音しか聞こえない。私は祭のゴミと一緒にゴミ捨て場に打ち捨てられていた。辺りは濡れていて、しとしとと雨が降っていた。
全身が痛い。立とうとしても立つことが出来ずに、途中で崩れ落ちてしまう。

そのとき僕は見てしまった。ゴミ捨て場のゴミの中に咲く一輪の草花を。僕はそのとき感じた。
そうだ、この花は僕と一緒だ...。
端から見ればこんなにも無様だけれども、心の中にはこんなにも熱い気持ちで溢れているじゃないか!

なぜだか知らないが、僕はこの花を見て涙を流した。そして倒れた姿勢のまま、雨に打たれるその花を、包み込んであげた。何か心がほんのりと温かくなったような気がして、冷たい雨が気持ちよく思えた...。
幼い頃に妄信した太古への夢。

砂場に埋もれた石ころを手にとり、「これは化石だ」と信じる。

そしてその化石を砂場の角に分かりやすいように置き、

自分は砂遊びを続ける。

夕方になり母が迎えにくると、私は一目散に母に駆け寄る。


帰りしな、砂場の角に置いた化石のことを思い出すが、

もうすでに日常に流される身は、止まることを知らず流れ続ける。


次の日、同じ砂場にやってくるが、もう化石を発見した喜びなどはすっかり忘れ、

また新たな遊びを始めだしている。

数日経って、ふと石のことを思い出して、砂場の角に目をやるが、

もうその石はどこかへと消えてしまっていた。

一瞬残念に思うが、もうその石が見つかるわけでもなし、

すぐ目の前の遊びに興じる。


そして夢の考古学者人生の一巻が終わる。

日常と妄想との戦いは、幼き日にすでに始まっていたのではないだろうか。
幾多の溢るる才を持ち

自分の、又は別の才を、別の道を歩む人々。

努力した自分、飛び込んだ自分、諦めた自分。

色々な平行世界がここに、幾百通りとして一堂に会する。

それは自殺するには、完全なる自殺をするには

ここにいる全ての人間を、可能性を殺さねば果たされぬ

遠い遠い夢である。


梶井基次郎宜しく

ここに八百屋で購入した300円也の

レモンを買い、それをそっとポケットの中に忍ばせる。

そして、真っ白なテーブルに

ポンと置く。

さもそこにあるのが必然の理の様に。

その鮮やかなレモンを仕掛けたら

私は会場は後をするのだ。


コートのポケットに手を深く埋め

下を向き、前のめりに逃げる。

心の中では仕掛けたレモンの時限爆弾を

カウントダウンしながら。

そして華やかなパーティードレスは

ドロドロとした血に溜まる。