前回投稿してから月日は流れ、
驚くほどの変化がありました。
この一年半ほどの間に
生と死をこれ以上ない形で考えさせられる事になるとは思いもよりませんでした。。。

今の自分の気持ちを整理したい、
誰かの参考になれば嬉しい、
もし同じような経験をされた方がいれば繋がりたい、
自分を奮い立たせたい、
そして
将来の記録になれば、と思いこのブログを再開します。



さて、この一年半ほどの間に何があったかと言うと、

日本で高度不妊治療
アメリカに戻り自然妊娠
ムスコ出産
ムスコ生後5ヶ月で乳がん発覚
闘病生活開始(←今ココ)



がん発覚から1ヶ月。
気持ちの整理をつけてるつもりでも、
脳味噌の8割は占領されてるような、
まだまだ不安と闘ってる状態です。

これから闘病記録やこれまでの経過を少しずつまとめていきたいと思います。


まず今日は
ざざーっとこれまでの経過をまとめてみます!


昨年2018年は日本で二人目不妊治療に挑み、
結果授かることが出来ないまま、タイムリミット汗
一つ胚盤胞を凍結したまま、
アメリカへ戻ってきました。

理由はムスメの幼稚園が始まる9月に間に合うように。
「今ある家族で幸せだよ」って
オットも言うように、
家族離れ離れで治療に挑むストレスも半端なく、
期間限定の挑戦でした。

戻ってきたら、待っていたのは眩しいほどの青空。
あり得ないほどの開放感と安堵でした。


そして戻って数ヶ月した時に
自然に赤ちゃんを授かったんです
俗に言う不妊治療ストレスからの解放が大きかったんだな、と。
元々大きな不妊原因はなく、
ムスメの時は人工授精にて授かりました。
その後、自然妊娠からの流産も経て、
体外受精。
メンタルが大きかったんだ、としか言いようがありません。

そこからは今度は高齢出産ならではの不安もあり、
遺伝子検査なども受け、一つ一つクリアしていき
、最後の妊娠期である十月十日を粛々と過ごしていました。これは不妊治療で悩んだからこそ、そして、流産を経験したからなのかもしれません。

初めて妊娠糖尿病になり、食事制限でなんとかコントロールしつつ、2019年半ばにムスコ出産。
今回は計画帝王切開だったせいか、
産後の身体がすごく楽でした。
アメリカなので2泊にて退院。

産後は一人目同様、授乳に苦戦して怒涛の産後3ヶ月。
ムスメは赤ちゃん返りもなく、ムスコを可愛がり、
今思うとこの時期はなんて幸福感に満ちた時だったろう、って思います。


そして、ここからさらなる人生の波に揺さぶられる事に。

授乳が軌道に乗ってほっと一安心したのも束の間、
脇に小豆くらいのしこりを見つけました。

最初は脂肪の塊りよ、なんて言われ意識せず。
でも、その後2週間も経つと明らかに大きくなり、
遂には胸にしこりを認めました。

ムスコは飲むのが下手で体重増えずに苦労したのもあり、良く出る側の胸だったので、
飲み残しかな、と思っていた塊り。
でももう飲める力もついたし、飲み残しにしてはオカシイ。そして、脇のしこりもある。

ここで私の中でズシンと不安の幕が降りました。

すぐに産婦人科検診があったので
その旨話すとすぐに超音波検査に回され、
(こちらでは専門医のクリニック、検査センター、手術などを受ける病院、とそれぞれ分かれていて、予約取ったりするのも患者がやらなければなりません)
数日後に検査へ。

授乳中につき、マンモグラフィーは出来ずエコーのみ。しこりはやはり胸と脇にはっきりと写し出されました。その場ですぐに生検を受けその日は帰宅。

(じつは、話が前後しますが、日本から帰国前にがん検診を受けていて、乳がんで引っかかってました。
ですが、その時アメリカへ戻る日に検査結果が出たのですが、病院へ物理的に伺えず事情を説明しても電話口では伝えられない、との一点張りで
気がかりではあるけれどそのままアメリカへ戻ってました。
戻ってすぐに産婦人科に相談をして、2018年8月にこちらでマンモグラフィーを受けました。
その時点では特に問題なし、という診断で、
それ以来乳がんを意識する事はないままきてました。
2019年2月には妊娠中に日本に帰省したので、同じ病院に行きエコーで診てもらってましたが、そこでも問題なし、との診断。)


エコーで写った黒い丸い影と生検。
この事実に、不安、後悔、悲しみ、申し訳ない気持ち、全てが折り混ざって子供たちが待つ家に帰る車で一人運転しながら涙が止まりませんでした。

検査結果は週明けの月曜とのことでしたが、もしかすると金曜日には連絡もらえるかも、と言われ
木曜から確認の電話を入れフォローしたところ、
金曜日に電話折り返しがありました。

そして、電話口でのがんの告知を受けます。

コーディネートを担当するナースからでした。

本来は電話では言わない事だけど、
あなたの状況や電話連絡くれてた事を考えると、
週末挟んで待たせるのも酷だと思い言います、と。

脇と胸の組織共にがん細胞が認められました、
そして、at most stage II
という言葉。


今書いてる時点でまだCTスキャンなど検査を控えてる状態で他への転移など確認できてない段階なので、この言葉にすがってます。。


まさか電話口で言われる事になるとは思いもよらなかったけど、
週末明け月曜にオットと二人で話を聞きに行くときには事実を受け入れ前向きに立ち向かう心構えは出来た状態で挑めたので、今後の話を冷静に聞けたのは良かったんだと思います。何故なら、検査やドクターとのアポイントなど、全て自分でやり取りしないといけないこのアメリカ。生死に関わる病気に直面した今、本当何が必要なもの、優先順位はなんなのか把握出来てないとパニックになります。

告知を受けたその日から、
常に病気の事が頭にあって、なにかと考えてしまいますが、
子供たち、特にまだ3歳のムスメには普段通りの生活を送ってもらいたくて
家族の行事やシーズンのイベントを楽しく過ごせるようにしています。
その週末はかねてから予定してた遠方の友達一家の家に予定通り行き、
テーマパークに遊びに行きました。

診断受けた後は、
一刻も早く治したい、早く治療を、と動いてます。

西洋医学の治療をして、その補助として東洋医学を取り入れ、今後のためにも食事など改善していく、というのが分かった時から考えている私の治療方針です。
なので、術前抗がん剤治療からの手術、と早々に言い渡されましたが、一切の迷いもなく踏み切りました。

子供たちのこれからを一番側で見守る役目は親である私です。それを全うしたい、今はその気持ちだけです。
5年生存率は、、、と調べる事はやめにしようと。調べるならば、食事療法とか他に何か出来る事を調べよう、と早々に気持ちを切り替えて
これから数ヶ月〜年に渡る治療に挑むと決めました。


常日頃、行動力だけは自信あり!と思ってましたが、
そんな私の細胞だけに、がんのタイプも進行早いもので、化学療法を告知から2週間ちょいでスタート出来ました。
腫瘍内科のセカンドオピニオンはタイムリーに受けられず諦めましたが、友人やオットのつてで日本の医師二人に意見を聞いて、その診断と治療方針が標準治療だという後押しの元に進めました。



宣告から3週間半。
断乳もしました。
抗がん剤もスタートしました。
まだ心は完全についていけてません。

ばらばらと言葉を繋ぐ読みづらい投稿になると
思いますが、もし良ければまた読んでもらえると嬉しいです。


よっち