人間っつーのは、大概が「自分は否定されるだろう。受け入れられないだろう」という事を真実として
信じている。
ま、事実なんだけど。
色んな人間がいるからどんなに素晴らしいと多くの人が思う人にも、煙たがる人間が出てくるものだ。
その、自分にとっては悲しい事実を、悲しいだけに「全て」に置き換える事も普通にある。
「この世界で自分をそのまま出したら嫌われる」という幻想。
実際にそのまま出すと嫌われる奴はいる。
自己防衛の強い奴は、自分の改める点を認められず不快な出来事があるとすぐに被害者になる。
だから自分が他人にやる事にはマイナス評価が甘く、他人が自分にする事には厳しい。
その差が有り過ぎるって事だが、それを見せ付けられる相手としては納得がいくわけないから
当然嫌われていく。
素が被害者意識にまみれた状態の奴は「幻想」じゃなくて「事実・現実」になるだろう。
しかし大概は深い関係を築けたり長期に渡る関係を築けるし、行く先々で対人関係をこじらせる
ような事もなく、たまたま自分を否定する人とぶつかった事があるという経験の記憶だけで
「自分は嫌われる存在だ」と思い込んでいるだけだ。
思い込みなのだが、それを信じてしまえばそれはその人にとっては真実。
一生懸命否定された自分を記憶からチョイスして、その真実をより強化し揺るぎない真実にする。
恐怖を感じるものを憶えておく事は命を守る為の生き物の本能でもある。
しかし否定の恐怖だけは全体に行き渡りやすいからか、自分を死に追いやる可能性を秘め、
またこれがあると被害者意識の思考に傾き、生きにくさをあちこちで感じるハメになるから
不必要な部分には感じてない方がいいっちゃいい。得がねーから。
が、「もう感じるのをやめる」と思ったからって感じなくなるものではない。
じゃあどうやれば?って感じだが・・・・
この映画は人の意識の中に夢を使って入り、原因の場所まで潜って新たな意識の植え付けを
する事でそれを可能にする。
例えば通常のカウンセリングなどでは何年も掛かったりするだろうが、これはわずかな時間で片付く。
副題から、アイデアを盗む為の攻防映画かと思っていたがそうではなく、とある人間の利己的な
思惑から、とある人物の意識の植え付けをする話だった。見応えたっぷりで一見の価値あり。
だがこれは本題ではない。
本題は・・・・観て楽しもう。
どこからどこまでが夢なのか・・・・またしても観る者に委ねられている映画になっている。
ちなみにじーーっくり観てないと混乱するし、一回で細部まで理解するのはちょっと難しいかも知れん。
俺は理解出来ず疑問ばかり浮かんでいる。
何にせよ、目を離さずに。映像も見せ方もすげーから目が離せないだろうけど。
しかし・・・・人間は沢山の思い込みを抱えて生きているが、幸せを感じる幻想であるならば、
それを真実だと思うのも悪くないかもね。
事実や現実であるかは問題ではないのかも知れない。
が!
新興宗教団体やマルチ等がやる幻想の巻き込みはやめて
もらいたいものだ。
自分だけが見えている幻想の世界に、熱い語りで勧誘されてもねぇ。