沖縄旅行③~海人が見つかった!?の巻~
話を聞いていると、もずく屋のおじさんのお父さんが昔、海人をしていてじーちゃんと同じ時代を生きている人でした。
もしそのお父さんが亡くなっていなかったら、感動の再会をしていたかもしれませんね。
じーちゃんは当時、“ながざく”さんという家に預けられていました。
じーちゃんは戦争が終わってすぐにポンポン船に乗せられて沖縄に帰りました。
ながざくさんはその後まもなく沖縄に帰ったそうです。
ながざくさん一家は沖縄に帰りましたが、人買で雇われていた人達はどうなったのか。
じーちゃんと一緒に海人をしていた仲間。その人達を探しています。
いろんな人に話を聞いても、戦後に台湾から帰ってきた人たちばかりで戦争中の石垣島を知ってる人は見つかりません。
もう無理か・・・
あきらめかけたその時!!!
「当時のこと知ってる人見つかったさー!!!ついてきて!」
最後のチャンスとばかりにおじさんについていくと、一軒の小さい駄菓子屋さんに辿り着きました
さっそく話をきいてみることに。
駄菓子屋さんでは一人のおばあさんが座っていました。
なんとこのおばあさんがながざくさんの家の近所に住んでいたそうです!
それはじーちゃんが沖縄に帰った後のことでしたが、
戦後、台湾から帰ってきてながざくさんが沖縄に帰るまでの数年間、同じ地域に住んでいたので、ながざくさんの家のことも、当時のこともよく知っていました。
おばあさんはじーちゃんより3歳下。
おばあさんの亡くなった旦那さんが石垣島に帰ってきてから海人をしていたそうです。
この駄菓子屋さんはおばあさんの長女にあたる人が営んでおられました。
数分後、おばあさんの弟さんも駆けつけてくれました。
弟さんもながざくさんの事をよく知っていて、三人は当時の話で盛り上がりました!
駒をぶつける遊びが流行っていたこと。
当時の石垣島は電気もなく、マッチ一本つけることがとても貴重だったこと。
アンマー(お母さん)と呼ばれる人がご飯を用意してくれたこと、
スーター(お父さん)と呼ばれる人がとても怖かったこと。
家の近くにばぁさんが住んでいたこと。
おばあさんは当時の海人の写真を見せてくれました。
サバニと呼ばれる船に乗り、手で漕いで海に渡ります。
網で罠をしかけたり、素潜りで槍で魚を捕ってるような時代です。
写真でも分かるとおり、パンツ一丁!
もしくはスッポンポンで海に潜ったとか。
そんな話をしてる時、一人のおばあさんが入ってきました。
なんとこのおばあさんの住んでいる家は、じーちゃんが当時住んでいた家でした!!
駄菓子屋のおばあさんが
「このタイミングで入ってくるって不思議だねー。でもおばあさんも昨日、弟とながざくさんの家の話してたとこだったさ。そしたらあんたらが来たからビックリよ。」
と言ってました。
なんか僕も素敵な不思議を感じました。運命ってこういうことか。
引き寄せるんですね!!
今の家に住んでいるおばあさんに奈良から仲間を探しにきたと言うと
「はぁんまよ!(沖縄語でびっくり!)」と言っていました。
現地の人同士でしゃべっていると日本とは思えない。w
英語のほうが簡単に思えます。
今の家は埋め立てられて、新しくなっているそうですが、どうも話を聞いていると町中を彷徨っている時に、その家の前にいたー!!。
このみんなのバックに写っている家が、今まで散々探していたじーちゃんの昔住んでいた家!!
そういえばじーちゃんが、「こんな感じの壁やってんけどなぁ~」ってゆうてたわ!
まさかココだったとは!!
気がつくと2時間ぐらい経ってました。
仕事の手を止めてまで一緒になって探してくれたもずく屋のおじさんや、
道中声をかけたいろんな方には本当に感謝です。
当時の仲間は、戦後いろんなとこに散ったり、または亡くなっていたりで、誰も石垣島には残っていないそうです。
それでも、こんなに当時のことを一緒に話せる人に出会えてじーちゃんはすごく楽しそうでした。
幼かった自分の記憶は夢のような感じで、この記憶は本当なのかいつの間にか作ってしまった想像なのかと、すーっとモヤモヤしてたみたいなんですが、当時の記憶は全部ここ石垣島に確かに残っていました。
僕と弟もそんなじーちゃんの姿を見て大満足!
本当に良かった♪
駄菓子屋のおばあさんは最後にこんなことを言ってました。
「今の人達から見ると昔は不便でバカにするかもしれないけど、私たちは何もないところからこんなに便利な世の中になっていくのを見てこられた。戦争で一番苦しい時代を乗り越えて生きてきた。長生きはするもんだね。私たちはとても幸せよ。」
とても心に響きました。
大切な時間を過ごさせてもらえて本当に感謝です。
ずっと元気でもっともっと長生きしてほしいです☆
Android携帯からの投稿





