今日はヨルシカの左右盲という曲の歌詞について見ていきたいと思います!
この曲は、道枝駿佑さんと福本莉子さんが出演されている映画「今夜、世界からこの恋が消えても」の主題歌になっています
初めに...
曲名にある「左右盲」とは、感覚的に左右を理解できないことをいうそうで、運転中などに見られる方が多いそうです
相手の顔や仕草を少しずつ忘れていくことを「左右盲」になぞらえて書いたとn-bunaさんがおっしゃっています
そして、オスカーワイドの「幸福な王子」をモチーフに制作されたということです
それを踏まえた上で
歌詞について考えてみたいと思います!
"君の右手は頬をついている
僕は左手に温いマグカップ
君の右眉は少し垂れている
朝がこんなにも降った
一つでいい
散らぬ牡丹のひとつでいい
君の胸を打て
心を亡れるほどの幸福を
一つでいいんだ
右も左もわからぬほどに手探りの夜の中を
一人行くその静けさを
その一つを教えられたなら"
始まりから、君と僕の仕草について左右も表しています
"朝がこんなにも降った"というのは、すっきりとした清々しい朝を迎えたことを表現しているのではと感じました
君といる時に感じた僕の幸福とも思えました
散らぬ牡丹など存在するはずがありませんが、
僕がいなくなって(僕のことを含め記憶を忘れて)ひとりでいく君に、それくらいの幸福を一つでいいから教えてあげたいという意味に思えました
(作品で透は亡くなってしまうので「忘れる」を「亡れる」と表現?)
"君の左眉は少し垂れている
うまく思い出せない
僕にはわからないみたい
君の右手にはいつか買った小説
あれ、それって左手だっけ"
一番の歌詞と比べてみると、
少しずつ君の仕草を忘れていっている表現があります
"一つでいい
夜の日差しの一つでいい
君の胸を打つ、心を覗けるほどの感傷を
一つでいいんだ
夏に舞う雹のその中も手探りで行けることを
君の目は閉じぬことを"
散らぬ牡丹同様、夜に日差しはありません
"心を覗けるほど"とは、感傷に浸っている様子が顔に出ていることではないかと思いました
君の顔を見ただけで君の考えていることがわかるほど、君が顔に出してしまうほど、ということです
夏に舞う雹の中は手探りでいくには危険ですが
それほどに君を想って、君の幸せを守りたい
君だけは前へ進んでいってほしいという僕の想いを感じました
もう一つ、夏に舞う雹の中を手探りで、目を閉じずにいくことができるくらい君の胸を打つ一つ
という解釈もしました
"僕の身体から心を少しずつ剥がして
君に渡して その全部をあげるから
剣の柄からルビーを この瞳からサファイアを
鉛の心臓はただそばに置いて"
ここは「幸福な王子」をモチーフにした部分ですね
自分を犠牲にしても君の幸せを案ずる僕の気持ちとリンクしているように感じます
"一つでいい
散らぬ牡丹の一つでいい
君の胸を打て
涙も忘れるほどの幸福を
少しでいいんだ
今日の小雨が止むための太陽を
少しでいい
君の世界に少しでいい僕の靴跡を
わかるだろうか、君の幸福は
一つじゃないんだ
右も左もわからぬほどに手探りの夜の中を
君が行く長いこれからを
僕だけは笑わぬことを
その一つを教えられたなら"
僕がいなくなった悲しみを忘れるほどの幸せをあげたい
(作中、透は自分になにかあったら真織の記憶をなかったことにしてほしいと親友の泉にお願いする)
"今日の小雨が止むための太陽"は
小雨を君の涙に例えて君が前を向いて生きていくことを願う気持ちと、MVから僕にとって君は太陽だということを表現しているという二つの解釈があるなと感じました
靴跡ほどに少しでいいから僕を記憶に残してほしい想いがありながらも、君の幸福は僕だけではないということを表現しているように感じます
君がこれから歩んでいく人生の中に幸福は沢山あって、それを見つけていく君のことをずっと見守っているということを伝えたいのではないでしょうか
"何を食べても味がしないんだ
身体が消えてしまったようだ
貴方の心と 私の心が
ずっと一つだと思ってたんだ"
僕と君→貴方と私 に変わっていることから
最後だけは私(君)目線になっていると思います
ずっと一緒にいられると思っていた貴方(僕)がいなくなってしまった(忘れてしまった)ことで喪失感を感じていることを表現しているように思います
すごく切なく、儚い歌詞ですね
いかがでしたでしょうか?
映画を観に行ってより歌詞が沁みました...
主演のお二人が儚くて、ステキな映画でした🎬
違う考えの方もいらっしゃると思いますが、あくまで個人の解釈として温かい目で読んでいただけたらと思います🙇♀️
読んで下さった皆様の解釈もぜひ教えていただきたいです!
最後まで読んでいただきありがとうございました!