私は、生徒の話を傾聴しているのだろうか…。

 

傾聴をコトバンクで調べました。

 

傾聴・・・もともとカウンセリングにおけるコミュニケーション技能の1つ。の目的は相手を理解することにある。それにより、話し手が自分自身に対する理解を深め、建設的な行動がとれるようになるようサポートする。 傾聴で大切なのは次の3つとされる。 ・言葉以外の行動に注意を向け、理解する(姿勢、しぐさ、表情、声の調子など)。 ・言葉によるメッセージに最後までを傾け、理解する。 ・言葉の背後にある感情も受け止め、共感を示す。

 

なるほど・・・。

 

文章で読むと納得だけど、実際に行動するとなると、意識していないとできなそうだ(笑)いや、意識していてもできなそうだ(笑)でもやらねば、なんですね。

 

とあるYouTube講演家「鴨頭嘉人」という人がいて、最近その人の話が大好きすぎてずっと見ているのですが、その中で褒める、叱るという話をしていたので、同じ話を書きたいと思います(笑)でもこれは、塾業界でも使えるし、浸透すると武蔵村山市が変わると思っているので、ぜひ共有したい内容です。

「他人の話を勝手に使って平気?!」と思われる方もいると思いますが、大丈夫です。詳しくは、「鴨頭嘉人」さんの動画を見てください(笑)

 

いろいろ話が飛んでしまっていますが、今回のテーマの「褒めて伸ばす?叱って伸ばす?」にも、最後ちゃんと繋がるので、もう少し読み進めてください(笑)

 

「傾聴」は、言い換えると「承認」ということになります。

承認とは、その人を存在を認めること、です。その人の存在を認めているから、傾聴することができる、と考えることができます。

 

この「承認」には、5つのプロセスがあります。

1、結果承認

2、プロセス承認

3、行動承認

4、意識承認

5、存在承認

 

この「承認」に、それぞれ説明を加えると

1、結果承認→やった結果を認めること

2、プロセス承認→結果が出たことに対するアプローチの方法を認めること

3、行動承認→結果が出なくても、やった行動自体を認めること

4、意識承認→行動に表れていなくても、やろうとした意識を認めること

5、存在承認→その人の存在自体を認めること

 

この「承認」を、それぞれセリフに置き換えると

1、結果承認

「テストの点が上がったね!」「成績上がったね!」

2、プロセス承認

「提出物早く終わらせて、勉強できたからだね!」「暗記の方法変えたからだね!」

3、行動承認

「結果は出なかったけど、頑張ってたのは見てたよ!」

4、意識承認

「変えようとは思ってたね!」「宿題ちゃんと途中までやってるね!」

5、存在承認

「塾に来てえらいね!」

 

存在承認は、セリフにするとやばいですね(笑)どれだけ低レベルな話なんだっていう(笑)

 

でも、低レベルと思っていても、それは一般論であって、個人的には全然低レベルだと思っていません。実際にそれが必要な人がいます。それは、「不登校になってしまった生徒」や「親から見捨てられてしまった生徒」です。その話は、実際の体験談もあるのですが、機会があったら書こうと思います。

 

ここで伝えたいのは、「承認」というのが、いかに大切か、ということです。「傾聴」は、まさに「存在承認」であり、承認の土台にあるもの、ということです。

 

いきなりですが、今回のテーマの結論を言います。

 

「承認」というのは、「日常のコミュニケーション」であり、

「褒める、叱る」というのは、「特別なコミュニケーション」である。

 

「褒める、叱る」というのは、何か褒めるようなこと、叱るようなことがあって、初めて行えるものであり、それを、相手が受け取るか、受け取らないか、は、「日常」で「承認」をしているか、によって変わります。

「承認」を別の言葉に置き換えると、「自分を見てくれているという感覚」です。

自分を見てくれている人の褒める、は、めちゃめちゃ嬉しい。自分を見てくれている人の叱る、は、心から反省し、愛を感じます。

つまり、褒めて伸ばす?叱って伸ばす?は、「両方正解」です。ただし、相手が見てくれているという感覚をもっていれば、ということになります。

 

見てくれている、という感覚をもっている人からの褒めるは、めちゃめちゃ嬉しい。

見てくれている、という感覚をもっている人からの叱るは、愛を感じる。

 

これが、鴨頭さんが話していた内容であり、私が一番腑に落ちている答えです。

 

例えば、初めて授業を担当する生徒にこんな会話をしたら生徒はどう思うでしょう?

 

「次のテストの目標を決めよう。前回の英語の点数何点だった?」

「65点だった。」

「おぉ、65点だったのか!すごいじゃん!次の目標は、70点にしような!」

 

会話の内容的には、間違っていません。

でも、この「すごいじゃん!」は、生徒は受け取っていません。「70点にしような!」も、受け取っていません。なぜなら、生徒はこう思うからです。

 

「お前は、俺の何を知ってるの?」

 

つまり、日常でコミュニケーションをとっていない、普段気にかけてくれていない先生の言葉は、受け取らない、ということです。

 

その生徒を担当し、半年後の定期テストで80点をとったとします。

 

「今回の英語のテスト何点だった?」

「84点だった!」

「そうか!すごいな!頑張ったな!次の目標は、90点にしよう!」

「90点は無理だよ~~(笑)」

 

生徒からすると、めちゃめちゃ嬉しいです。つまり、受け取った、ということです。

 

反対に、半年後の定期テストで点数がすごく下がったとします。

 

「今回の英語のテスト何点だった?」

「40点だった・・・」

「なにやってんだ!!ちゃんとワークの問題解き直したのか!!家で勉強やったのか!!前回よりも良い点とるって約束しただろう!!!」

「先生ごめんなさい。次はちゃんとやります・・・。」

 

生徒からすると、愛を感じます。つまり、受け取った、ということです。

 

極端な例ですが日常のコミュニケーションがいかに大切か、ということです。

実際、「なにやってんだ!!」なんて強くて乱暴な言葉を使ったら生徒は転塾しちゃいます(笑)

なので、私は現場で「極端にガッカリ」しています。

 

「はぁ~~そぉか~~~~~ショックだぁ~~~~~」

「今回の頑張りだと~~~そうなるよなぁ~~~~~~」

「キビシィ~~~なぁ~~~~~~~」

「・・・・・次どうしたい?」

 

みたいな感じです。

 

5つの承認力を使って、生徒をどんどん承認し、「褒める」も「叱る」も受け取ってもらって、心のエネルギーをプラスにし、自己肯定感を付けていく。

 

そんな講師を目指し、今日も授業を頑張ります!

教育の現場では、このよくこれが議題になります。

 

「生徒は、褒めて伸ばすか、叱って伸ばすか。」

 

私も、一講師として先輩方の意見や目の前の生徒に聞いたりして、いろいろ考えた経験があります。保護者や先生だけでなく、部下を持ったり、後輩を持ったりすると、一度は考えたことがあるテーマではないでしょうか。

 

その話と関係するのですが、私の中には黄金ルールがあります。それは、

 

「自分がされて嫌なことは、他人にしない。」

 

当たり前のようですが、これがなかなかできない。しかも、「自分がされて良いこと=相手もされて良いこと」という風にとらえてしまうと、かえって関係を悪化させたり、うまくいかなかったりしてしまう。

 

私は、この黄金ルールに従って指導してきました。結果、あまりうまくいっていませんでした。自分は褒められたいと思っているから、生徒は褒めて伸ばそう。自分は叱られるのが嫌だから、生徒は絶対に叱らないようにしよう。生徒が自分の話を聞かないのは、自分の指導力がないからだ、生徒が自分のことを尊敬していないのは、自分がまだ尊敬されるに足らない人間だからだ、と思っていました。

 

でも、それは違っていました。

 

その違いに気付いたのは、とある男の非常勤講師の生徒との接し方でした。

その先生は、自分が嫉妬するほど、生徒から人気がありました。なにより、とてもかっこいい(笑)

塩顔の、今風のイケメン、身長が183cm、教え方が上手と生徒からも評判で、スポーツもできる、気遣いもできる、もちろん笑顔も最高。いわゆる、マンガに出てきそうな感じの先生でした。

 

私は、この先生が人気があるのは、イケメンだからだ、教え方がうまいからだ、気遣いができるからだ、と勘違いしていました。

 

この先生に人気がある本当の理由は、「聴く力」があったからでした。

 

この先生に褒められた生徒は、とても嬉しそうにします。この先生に叱られた生徒は、次回反省し、同じ失敗を繰り返さないように努力したり、工夫したりします。褒める言葉も、叱る言葉も、生徒は、しっかり受け取っていました。生徒がなぜこんなにも素直に受け取るのか。私は、イケメンだからだ、と思っていました。でも、本当の理由は違いました。本当の理由は、生徒の声を「聴いて」いたからでした。

 

その日、学校で何があったか。部活で何があったか。友達と何があったか。家で何があったか。学校の先生と何があったか。兄弟で何があったか。

 

授業を始める前、丸付けをしている途中、休み時間。その先生は、聴くことをたくさんしていました。

 

イケメンだからじゃない。聴く力があったからだ。

 

私がそれに気付いたとき、自分が恥ずかしくなりました。そして、自分も聴くことを大切にし、実践していこうと思いました。

 

その先生が就職し、塾を去る時、私は質問をしました。

 

「先生の指導は生徒に人気があり、とても助かりました。後輩の非常勤講師に何かアドバイスはありますか?」

 

すると、その先生はこう答えました。

 

「生徒といろいろな話をすると、いいんじゃないですかね?(笑)」

 

少し、照れくさそうに言っていました。

この先生は、無意識で「聴く」ということをやっていたようです。

改めて、素晴らしい先生だと思いました。

 

この「聴く」というのを、専門用語で「傾聴」と言います。

生徒は、褒めても、叱っても、どっちでもいい。

大切なのは「傾聴」すること。

 

次回は、この「傾聴」を少し掘り下げていこうと思います。

なぜ、学校や塾には、宿題、提出物があるのか。

 

それは、

 

「一人でできなかったことを、一人でできるようにするため」

「一人の人間として、成長するため」

 

では、子ども達には、どうやって、これを伝えればいいのでしょうか?

 

今回は、【塾講師編】です。

 

前回同様、共通しているのは「承認」です。

※承認の話をすると長くなってしまうので、別の記事で書きます。

 

【塾講師編】

 

塾講師として、生徒に宿題、提出物の意味を教える方法。

それは、

「未来の子どもに向けて、意味を伝え続けること」

です。

 

ここでのポイントは、「いつかきっとわかってくれる日が来る、と信じ抜く」です。

 

生徒が塾に来る場合、全員が「今よりもっと良くなりたい」と思っている生徒です。

今よりも良くなりたい、と思っていない生徒は、そもそも塾に来ません。少し強く言うと、今より良くなりたいと思っていない生徒は、すぐに塾を辞めさせるべきです。

学校は、違います。行きたくても、行きたくなくても、生徒は学校に行かなければならないので、学校に行くことの意味は、人それぞれです。

塾は、その一点で、全員共通して持っている意識だと思います。

それを踏まえた上で言葉を選んで伝えると、伝わりやすくなると思います。

 

よくいるのが、生徒が宿題を忘れて怒る講師。

「なんで忘れたの?」「言い訳しないで!」(机をガンッ!!!)

個人的には、これは最低です。なぜなら、1か月後、この生徒はまた忘れるようになるからです。また、先生が変わると、やらなくなる可能性があるからです。

これは、恐怖で生徒を動かしています。

「あの先生を怒らせると怖いから、塾の宿題はちゃんとやろう。」

この思考が身に付いてしまった生徒は不幸です。

塾以外で宿題をやらなくなります。学校の先生によって態度を変えたり、提出物を適当にやったりします。これが、良い行為とは私には思えません。

さらに先の話をすると、言われないと出来ない大人になってしまうと思っています。いわゆる、指示待ち人間というやつです。言われなければ、怒られなければ、やらない人間になります。「だって、言われてないし」とか、平気で言うようになります。それは、その子にとって不幸です。だから、宿題を忘れて怒るのは、良いこととは思いません。

 

では、どうするか。

 

それは、「受け入れてあげる」です。

受け入れること、それを「承認」と言います。

 

例)

「今日の宿題出して!」

「…忘れちゃった笑」

「そっか…。なんで忘れちゃったの?」

「わかんない…」

「やる時間がなかった?」

「うん、忙しいもん。」

「そっか…。じゃあ、今日の宿題は一生懸命やれば30分で終わるから、頑張れる?」

「わかんない…」

「30分くらいは時間作って!次は期待してるよ!」

 

このような会話を、私は毎日続けています。

もちろん、もっとたくさん話すときもありますが、このイメージで話すようにしています。

そして翌週、宿題をやってきたら、必ずこう言います。

 

「やってこれたじゃん!いいね!!」

 

そのまた翌週、やってきたら、こう言います。

 

「今回もできたね!えらい!!」

 

また翌週、やってきたら、こう言います。

 

「なんか最近、ちょっと変わってきた?笑」

 

この流れが作れた生徒で、嬉しそうにしなかった生徒は一人もいません。

そして、この流れが作れた生徒は、塾の宿題を忘れないようになります。

 

つまり、

「一人でできなかったことが、一人でできるようになる」

「一人の人間として、成長する」

 

ということです。

 

もちろん、私が関わっているすべての生徒がこうなっていません。

何回言っても、何回信じても、何回も裏切られます。

 

でも、それでいいと思っています。

 

大切なのは、「宿題をやらせること」ではなく、「宿題を通じて伝えたいこと」があるかどうかです。だから、「信じ抜く」ことが大切だと思っています。

 

今日はやってこなかったけど、次はやってきてくれる!

今日はやってこなかったけど、次はやってきてくれる!

今日はやってこなかったけど、次はやってきてくれる!

今日はやってこなかったけど、次はやってきてくれる!

 

結構、私って変ですよね(笑)

 

ちなみに、ウソをつく生徒がたまにいます。

「宿題出てない!!」「単語暗記って言われてない!!」「こんな宿題が出てるって知らなかった!!」

これは、講師側の工夫でどうとでもなります。

付箋を貼る、テストって書いて生徒のテキストに貼る、何かに書いて残しておく。

生徒って、言った、言わない、の話、よくしますよね(笑)

極端な話、毎回の授業で署名書かせてもいいと思います(笑)

「私は、今日この宿題が出たということを認識しました。令和元年5月2日山田太郎」

みたいな(笑)

さすがにそれは面倒なので、この宿題だよ!ってしっかり認識させるだけで十分だと思います。やってきたら褒める、やってこなかったら承認する、これしかないです。

 

宿題の意味がわかって、自ら進んで勉強するようになった生徒は、受験に強いんですよね。講師側が言わなくても、ごまかさずにちゃんと勉強してくれるんで。それは模試の結果にも必ず表れるんで。結果に表れたら褒める、結果に表れなくても承認する。「ちゃんと勉強やってるのは知ってるよ!」って。それができるようになった生徒は、きっと高校でも、大学でも、社会人になっても、管理職になっても、社長になっても、自分の人生を選べるようになる。そう思います。

 

未来の子どもを信じて、今後も宿題を出していこうと思います!

なぜ、学校や塾には、宿題、提出物があるのか。

 

それは、

 

「一人でできなかったことを、一人でできるようにするため」

「一人の人間として、成長するため」

 

では、子ども達には、どうやって、これを伝えればいいのでしょうか?

 

ストレートに、

「宿題、提出物があるのはね、一人でできなかったことを、一人でできるようにするため、そして、一人の人間として、成長するためにあるんだよ!だから、宿題、提出物は必要なんだ!だから、今日からやろう!」

 

と言っても、当然ですが、伝わりません(笑)

 

これがなかなか難しいんですよね。中学3年生が、中学1年生の後輩に

「今からやっといた方が、絶対にいいよ!私みたいに後悔するよ!」

と伝えても、それが伝わって、行動に移すような人は、まぁ~~~~、いません(笑)

 

では、どうするか。

 

絶対にコレだ!!という答えは、私はわかりません。きっと誰もわかっていません。子どもの環境によっても違いますし。だからみなさん苦労しているのだと思います。

 

ここからは、実行できそうだけどそんなにうまくはいかないんじゃない?という理想を書きます。実現できるかどうかは、その人次第です。

 

【自分の子ども編】

【塾講師編】

 

の、2つを書きます。

 

両方とも、共通しているのは「承認」です。

※承認の話をすると長くなってしまうので、別の記事で書きます。

 

【自分の子ども編】

 

自分の子どもに、宿題、提出物の意味を教える方法。

それは、

「毎日見る事」

です。

何を見るか、というと、ワークなどの進捗状況を見る、です。

ここでのポイントは、「ただ見るだけ」です。評価をしてはいけません。

イメージで言うと、プラスの言葉をかけ続ける、です。

チェックをするのではありません。「ただ見るだけ」です。

そして、かける言葉はマイナスではいけません。プラスでないといけません。

 

例)

白紙のワークを見たとき

→×「なんでまだなにもやってないの!早くやりなさい!!」

 〇「ワークのわからない問題を早めに見つけておこうね!」

 

書いてある字が汚いとき

→×「字が汚い!書き直しなさい!!」

 〇「これ、学校の先生読めるかなぁ…?丁寧さは伝わるよ!」

 

昨日から1ページも進んでいないとき

→×「毎日1ページやるって約束したよね?約束破るんじゃない!!」

 〇「昨日はできなかったかぁ…。明日2ページやれば、取り返せるね!頑張れ!」

 

いかがでしょうか?子どもにかける言葉で、だいぶ印象が違ってくると思います。

まずは、出来ていない自分の子どもを受け入れることです。ワークが出来ても出来ていなくてもいいんです。まずは、受け入れましょう。

それを、「承認」といいます。

 

なぜ、×の行動を取ってしまう人が多いか。それは、自分への怒りからくる感情があるからです。ワークをやることができないわが子、字が汚いわが子、言うことを聞かないわが子。今まで教えてきたのに全然子どもに伝わっていなかった自分への怒りと、言ったことをやらない子どもへの怒りからくる感情です。

それを、なくすことはできません。だから、コントロールするんです。感情を。

自分の感情を、自分でコントロールするんです。

それが出来なければ、宿題、提出物の意味を子どもに伝えることなんて、出来ません。

「一人でできなかったことを、一人でできるようにする」なんて、出来ません。

成長なんて、できません。

 

強烈に影響を与えるのは、いつも見てくれている人の言葉です。

 

だから、感情をコントロールして、言葉を選ばないといけません。出来ていない自分の子どもを受け入れないといけません。自分の感情をぶつけても、子どもは反発するだけです。誰も得しません。

 

出来ていても、出来ていなくても、自分の子どもがやっていることを「承認」してあげましょう。「自分のことを見てくれているんだ」という感覚を、つけてあげましょう。それが、なにより一番大切です。

 

それが出来たら、あとは簡単。「出来た瞬間に褒める」です。

「1ページ進んだね!」「約束守れてるね!」「今日も頑張っててえらいね!」

子どもは、自ら進んで、ワークをやる子になると思います。

 

子どもには、子どもというより、人間には、「誰かに見てほしい」「見てもらいたい」「認めてほしい」という欲求が必ずあります。承認欲求が必ずあります。

 

まずは、「承認」してあげて、「見てくれているんだ」と思ってもらい、「褒めて」あげましょう。

そうすれば、きっと一人でワークに取り組み、一人でワークをやる子どもになると思います。

 

結果、

「一人でできなかったことを、一人でできるようにする」

「一人の人間として、成長する」

ということを、伝えることが出来るのだと思います。

 

実行するのはなかなか難しいと思いますが、子どもの為に頑張りましょう!

私は、宿題、提出物は、必要と思っています。

 

もう少し正確に言うと、

宿題、提出物に意味があると思っている子 → 必要

宿題、提出物に意味があると思っていない子 → 不必要

 

自分で宿題の意味を見つけられていない子にとって、宿題、提出物は勉強の方法としては、

苦痛以外の何物でもありません。非常に非効率、です。

やりたくない勉強に、意味はありません。

 

私は、こう考えます。

「子どもに意味がわかっていないのだから、大人がその意味を教えてあげればいい」

 

ある意味、子どもがわかっていないのは、当たり前だと思います。だって、子どもなんだから。

じゃあ、それを解決するのは誰か。大人でしょう。

 

宿題、提出物に意味がないと思っている子どもがいたら、それは大人の責任だと思っています。大人が、子どもに意味を教えられていないからだと思っています。

でも、多くの大人は、その意味を教えられません。なぜなら、自分がわかっていないから。

だから、大人の責任だと思っています。

 

宿題の意味を考える上で、ひとつ疑問が浮かびます。

 

そもそも、なぜ宿題という制度的なものが生まれたのか。

 

それについての記事がいくつかありましたが、どれが事実かはわかりませんでした(笑)

どれが事実かわからないので、自分が一番腑に落ちている理由を書きます(笑)

自分で意味を考えました。ので、自分のも事実ではないと思います。

が、子どもが納得する材料にはなると思うので書きます。

 

いつから宿題という制度が始まったかを考えるときに、いつから勉強というものが始まったか、を考えなければいけません。

(ここでの勉強という定義は「知らなかったものを知る」ということとします。)

いつから勉強が始まったのか。いろいろな説はありますが、それは、誰もわかるはずがないです。

寺子屋だって、かな文字だって、勉強といえば勉強だし、縄文時代やその前からだって、勉強という言葉は生まれていなくても考え方はあったかもしれないからです。

でも、想像するに、勉強というのはずっと昔から存在していて、それは「自分からすすんで行ったこと」という点に変わりはないのではないか、というのが私の考えです。

 

寺子屋では、「読み・書き・そろばん」を教える先生がいました。

その児童・生徒は、知らないことを知ることで一生懸命勉強していたと思います。(もちろん、やらない生徒もいたでしょう(笑))

そこでは、こんな生徒もいたはずです。

 

「もっと知りたい」「もっと勉強したい」「もっとできるようになりたい」

 

先生はその生徒の期待に応えようと考えます。そして、きっとこう思ったはずです。

 

「問題を与えて、自分で考えさせるようにしよう」

 

これが、宿題の始まりではないか、と勝手に想像しています。

ここでのポイントは、児童・生徒が「もっと知りたい」「もっと勉強したい」「もっとできるようになりたい」という心の状態になっていることです。

 

それが時代が進み、学制が誕生し、学習指導要領というものができ、勉強が「やるもの」から「やらされるもの」に変わっていきました。子どもたちが知りたいと思っていない情報を勉強させられるようになった、ということです。

だから、子どもたちが知りたいってなるように学校の先生が力を発揮してくださいね、というのが今の学校制度の本質だと思っています。

その力のある先生が「良い先生」と子ども・大人から評価され、その力がない先生が「悪い先生」と子ども・大人から評価され、「悪い先生」と評価された先生は、自信を失い、心が病み、休職し、退職する。そんな循環が生まれているのだと思います。

 

少し話は逸れましたが、要は「もっとできるようになりたい」という心の状態でなければ、宿題は無意味、ということです。

 

では、本題です。

私が考える、宿題、提出物があることの意味。

 

それは、

「一人でできなかったことを、一人でできるようにするため」

 

人は、それを成長と呼びます。

 

つまり、

「一人の人間として、成長するため」

 

それが、宿題、提出物があることの意味であると考えています。

 

「一人でできなかったことを、一人でできるようにするため」

「一人の人間として、成長するため」

 

ここだけ切り取ると、当たり前のことだし、よく聞く話かもしれません。

でも、それをできていない子どもが大勢いる。そんな当たり前のことすら伝えられていない大人がたくさんいる、ということです。

それを証明しているのが、今、目の前にいる子ども達です。

 

もちろん、それが出来ている素晴らしい大人の方もたくさんいらっしゃいます。

本当に尊敬します。

 

私には、それが出来ていません。自分が接している子ども達は、宿題、提出物に意味がないと思っているからです。

 

だから私は、これからも伝え続けます。宿題、提出物の意味を。

 

そして、大人の責任を果たしていこうと思っています。

 

それが、子ども達の成長に繋がると信じて。