要するに賀古鶴所と森林太郎が云わんとする所は、医薬分業の一番の問題は、分業したとしても治療さえ受けることが出来ない極貧の民が一定数存在する。その救済をどうするか。そう云った貧民は、まじないや祈祷、そして売薬者の薬で済まそうとするので、政府がこれらを排除させようとして来た経緯がある。薬律の附則は、それらの貧民に害をなすものを排除し、また分業後の貧民を救済するための準備期間であると。

 聖徳太子が貧民救済の為に施楽院を設け、その後光明皇后が慈善で貧民を施楽院に収容し、丹波敬三博士の先祖の平安の丹波雅忠は藤原氏より、丹波全宗は豊臣秀吉より施楽院使(以後施楽院全宗と名乗る)に任命されて、貧民救済に尽力してきた歴史がある。

 従って分業する前に、施楽院の設立などの貧民を救済する政策を立てることを急いで整備しなければならないが、それは医師と薬剤師の職分にないのである。

 我が国において、今まで無かった薬剤師の職が初めて定まり、売薬者と法文上区別がなされたばかりであるのに、薬剤師を売薬に協力させて勧奨することは、反して薬律の附則の削除を困難にさせるようなものである。薬剤師が圧倒的に不足している現状を考えれば、分業するには時期尚早であり、反対する医師(長谷川泰ら)らと言い争っている暇はない。

 と云う風に私には誠意をもって丹波博士らに諫言して居るように解釈しえたが、「医薬両業の関係を論ず ①原文」で挙げた鷗外森林太郎の原文を、少し注釈を加えながら以下に訳した。一部文法を無視したところもあるが諒とされたし。

 

 

 医薬分業論者と云うものがある。

その論者曰く、「古来より我が国の医家が薬を調剤して来たことは弊風(悪習)である。今、薬剤師を養成するところに、大学に薬学科があり、高等中学に薬学部があり、加旃(それだけではなく)薬剤師試験が制立さえすれば、法律第10号(薬律)の附則を削るべきである。」、と。 

 法律第10号(薬律)には議論すべき所が多い。されど今は敢えて言はず。

余は唯、医薬分業ということに関しては、単に医家と薬剤師との間に限られて成立つようなものでなく、この問題の重点は他のところに光を照らすものであるのに、彼の医家のみを責める分業論者に告げるとしよう。

 

薬律に附則が存在する所以は、本則のみを実行する上で必要な準備を行うための措置期間を設けるためであり、民の苦を慮って居るからであり、民の害を防ごうとするものでもあり、また医家と薬剤師との職権を損なうものを先ず除かなければ、これを削ることが出来ないからである。

 

別の言葉に言い換えるならば、売薬があるからである。

いったい売薬者とは何者なのであるのか。

彼は「処方箋により調剤す」(法律第10号第14條)と云う調剤師ではない。

彼は「単に薬品を製造し、自製の薬品を販売す」(同第23條)という製薬者でもない。

彼はまた「薬品の販売をなす」(同第20條)というだけの薬種商でもないのである。

かと云って彼はまた医家でもない。それに加えその職業とする所は大いに医家と違って居るが、医家が行うものに似ているところがある。

 

 売薬者とは法文上、「丸薬(丸く練った薬)、膏薬(油性外用薬)、練薬(蜂蜜などで練り合わせた薬)、水薬(水溶薬)、浴薬、散薬(粉薬)、煎薬等を調整し、効能書を附し販売するもの」(太政官第7号布告第1章第1條M10/1)との売薬規則にあって、同第3條にあるように「管轄庁に於いては願書を検査し、その製薬配合された薬品が、劇毒微毒に拘わらず取扱上失誤を生じ易きもの、及び毒薬劇薬取締に関係するものは、取り扱うことが許されない」との約束制限を受けたものである。

 売薬が有害無益であることは改めて述べるまでもない。法文にも、「世間における所謂売薬と云うものは、根拠無く薬剤を調合すること十中八九にのぼり、たとえ時折有効のものが少しはあると雖ども、人民がこれを服用する際には、それを用いるか捨てるかの心得が無いため生命を損なうものも少なくなく、その効用をもってしても到底その弊害を償うには足らない。」(内務省番外達売薬心得書)と記されている程である。

 

 医家と薬剤師との職権が定まった以上は、その保護が為されなければならないのである。すでに医家の職権上には、「禁厭祈禳(まじないや祈祷)のみに頼って庶民が医療薬事行為を拒否することは以っての外であり、その行為は政治の妨害」であり、このようなものを取り締まるようにと府県への通達(教部省第22号)がなされ、神官や僧侶ら諸宗の教導職に向かっても庶民の方向を誤らせないよう、この取締を命じた経緯がある(同乙第33号達)。医家と薬剤師の保護を主張するときは、売薬に生活の地を留めるべきものではない。売薬は医薬二業に害をなすことが明らかであるからである。

見よ、トリイル(トリーア:ドイツの都市)の政庁においては、1862年1月24日の法令にて売薬の広告を禁じ、1881年3月7日再びその法令を新たに発令している(Vide Verordunung der königlichen Regierung zu Trier.:トリイル政庁の発令を参照)。

その法令をもってしても売薬はすでに廃止となって居るであろうか。

 

医家をして病を診療せしめ、薬剤師をして薬を調剤せしめようとする分業は、患者に時を要し、また金を要する事になる。実に貧困な患者は、その二者から診察と調剤さえも得ることが出来ないのである。

従来、貧民に無償で治療を施す「施療」というものがある。これは分業後行うには或いは難しいことであるけれど、博愛の心より仁術をなす医家があると云っても、これは一個人の間の裁量権の事であって、法律上のことではない。

「是れ豈恃むに足らむや」(医は仁術という慈善活動に、どうしてそれを当てにすることが出来ようか。いや、それを強いることは出来ない)。

 

 それならば分業となった暁に、貧困な患者が頼みにすることは何であろうか。それは公共の施療院を設立する必要が即生じると云うことである。

故に曰く、医薬分業問題の重点は、医家と薬剤師との間の関係の外に照らされることになると。

 

且つ薬剤師の数は、今2573人(薬剤誌第13号表)のみである。これに八万の医師と合わせて、四千万の国民に当たりたいとするその熱心は立派であると雖も、仮にも少しでも自省の心があれば、恐らくは再び医家を責める遑(暇:いとま)がないであろう。まして、薬剤師諸君にして富山の売薬を勧奨する(中外医事新報第254号)ようなことがあれば、これは分業の時期を、ますます難しくさせるものに近づくだけである。