小池正直が書いた森林太郎の推薦状を読んだ石黒忠悳は、それに頗る感じて長らく手許に保管して居たと云うが、そこに石黒の人間臭さが漂って居るように感じられやしないだろうか。その推薦状を評して曰く、「なかなかの名文だったヨ」、と。また読者に「どうだい?」と問いかけて居るが、これに異議はなく私も名文だと感じたヨ。

 その主旨は、同級生から駿馬と呼ばれた森林太郎が、千里も走る名馬としての才能を発揮することなく、馬小屋の中で首を並べて飼い葉桶の間(槽櫪の間)に埋もれて居る。これを黙って居る事は出来ず、石黒を馬の良し悪しを見分ける達人(伯楽)に例えて、森を陸軍に採用して駿馬の優れた脚力(驥足)の如く、その馬脚を思い切り伸ばしめ千里を駆けさせよと云って居るのだ。なんとも小池の例えが絶妙でウマい、馬いことを云うもんだ、爆

 

 この推薦文の中で、同級生小池から見た森林太郎の人となり、生徒である小池の立場から見たシュルツェの性格が述べられており、そして森がシュルツェに成績を貶められた原因が推測されている貴重な文書である。但し、同僚のベルツからはシュルツェは親切で評判が良いとされて居るのだが、笑

 

 今一度、読みやすいように纏め直したが文章の拙劣を顧みず以下に記す。

 

<森氏の人となりに就いて、その才幹この如く、その学力かくの如し>

 機敏に学問を嗜み、博識で記憶力に優れて居り、英才能力が突出して居る。西洋医が我が国で好き勝手に振る舞う横暴(陸梁跋扈)に悲憤慷慨し常に憂いを抱いて居ると。

 かつて森が云うには、「そもそも欧州は地理的に遥かに遠く、気候や風俗も日本と同じでなく、衣服や食器に至るまで違って居る。故に医学においても、それを妄信し手放しで称賛しても良いものであろうか。そうとは云え既に西洋医学が導入され、久しくその臨床経験も熟したものとなって居るので、しばらくそれを学び得た後に、我が国の医学教育を立てる際に役立てようとするのも宜しいだろう。」、と。

 その高遠な志は、西洋医学に酔いしれて居る者とは明らかに異なって居る。故に森は物事を突き詰めて論攷し、医学部本科で勉強しながら、その余すところを和歌や詩文を兼ね学んで居たが、これらもすべて突出した域に到達して居る。また一方で漢方医書を残すところ無く考究し、後日において世に有益となるために役立てようとしているのだ。即ちこの人は、まさしく千里の才である。もし森氏を陸軍に採用すれば、将に我が国の医道を興すべく西洋医の跳梁を制し、国家に大きな利益をもたらすのではないか。

 

<シュルツェ氏の性格について>

 シュルツェ氏の性格は、峻烈さが際立っており、その上偏屈で度量が狭い。厳格な師弟関係を築き、もし教えた言詞とその片言隻語の違いがあれば、容易に激怒咆哮し、批判的な指摘や疑念を差し挟むこと頑として聞き入れない。言うまでもなく、森氏の性格とシュルツェ氏とは相性が悪いのである。

 

<シュルツェに睨まれた原因について>

 森氏は、仮にもシュルツェ氏の意向に合わせて不興を買うつもりではなかったが、専らその東洋医術を活用しようと試み、我が国の医師が治療において役立てるべきであると、遠慮せず主張したことが何度もあった。これが、しばしばシュルツェ氏の神経を逆なでし、恐らく卒業成績を貶しめられた原因となったのだろう。

 

<森の卒業成績に就いて>

 森氏の卒業試問の結果と実際の学力は、桁違いに一致して居ない。おしなべて云うと、試問対策には大きく運不運が関係して居るが、そうとは云え大学校内に自然とわいた公論がある。つまりこの試問による点数の評価方法は児戯に等しいものであるとする論である。もとより試問による席次が未だ森氏の実力の真価を減ずるもので無いとは云え、もしこれを推察出来ない人が居て、わけもなくその点数に就いて森氏を評価すれば、ただ森氏の不幸だけでなく、実に国家の不幸となるのである。