ピアノ教師として約30年間の経験と今年、自宅にサロンを持ったことから、30年ぶりに下手ながらも演奏を再開しました。
芸術の道なんて、自分の生き方が見つかるまで時間がかかると思う。まぁ、なんの世界でもそうだろうけど。まずは自分の生き方を見つけることができたらそれだけでも素晴らしいね。
子供の頃、みんながやっていると言うといつも母親から叱られた。みんなと言っては、みんなと考えてはいけない。それは逃げているだけだ。人はみんなと一緒だと安心するものだ。でも芸術の世界はそれではいけない。なんの世界でもおんなじかぁ。みんなと一緒じゃなくなって、孤独を乗り越えなきゃいけない。
自分は自分であって他の誰でもない。自分をそうさせるのも自分なんだ。ロシアピアニズム をやってるのもこの私なんだ。他のみんながそうさせるんじゃない。みんななんてちっぽけなもんさ。みんなを恐れなくていい。誰でもね。
「他者と同じことをやっていてはダメだ」と父親から1万回くらい言われた。気がついてみると父親からうまく洗脳されたみたいだ。だから、こんなこと、ロシアピアニズム なんてしてるし、ブログなんて書いているのさ。
誰にでも同じことを言っても通じない。言葉には限界があるし。通じる人にしか通じない。私は世のため人のためなどと大それたことは考えていない。つまるところ自分のために書いているんだと思う。なぜなら、こうしていると楽しいから。自分がインプットしてばかりいるとアウトプットしたくなるのは自然なこと。ただそれだけかもしれない。押しつけがましいことは慎みたいと思っている。これでもね。
ピアノなんてやっていると、ついつい頭が硬くなる。それは自分で自分の首を絞めている。気持ちを新たに、柳のごとくしなやかに考えよう。それが本当の強さだ。
人はどちらかを選ばなければいけない時がある。例えば、ロシアピアニズムをやるかやらないか。どちらにせよ、何事も信念を持って選んだことは後になって後悔しようがしまいが真に尊い。
世界中、そして私たち日本でも残念なことが起きている。でも希望を捨てないで、明るい光に向かって生きるしかない。ピアノを志し、コンクールで思うような結果に繋がらなかった人。希望を持ってまた精進しようよ。明るい光に向かって。
いつまでも忘れないような感動する体験って誰でもあるはず。いつまでも忘れないような感動する演奏を聴くことは幸せだ。ニコラーエワの演奏はいつまでも忘れない。皆さまにとって、今日、いつまでも忘れないような良い1日になるといいですね!
一般的な奏法で弱音を出すときに打鍵のスピードを遅くするが響きは失われるはコントロールは難しいはでいいことはない。理想的な弱音は打鍵のスピードを落とさないで行わなければならない。ロシアピアニズム ならではの特徴の1つ。
今できていなくても、いずれ必ずできる!と思うことは大切だなぁ。自分で自分に暗示をかけるんだ!
いつも行く調剤薬局の薬剤師さんに薬は効くと思わなければ効かないと言われる。人間の身体は不思議だけど、精神的なことが大きく影響するらしい。話は変わるが、倍音も薬のように身体に影響を与えるように思う。例えば、クッタクタに疲れていても、美しい柔らかな倍音を聴くと、心がホッとして温かな気持ちになり微かではあっても生きる活力が湧いてくる。豊かな倍音は元気の源になる。
自費の本やCDをもらうことがあるけど中には素晴らしい作品もある。でも多くは自己満足の産物なのではっきり言って迷惑だよね。
個性は大切。個性や自由とデタラメの境目って難しい。
美しい音の定義は人それぞれだが全然響いていない、伸びていないただ軟弱な音を美しい音だと思っている人がいる。気持ちはわかるけど、残念!惜しい!
鍵盤をたたくと言う人がいるけど好きになれないなぁ。生理的に受け付けない。
ガーッと弾くってよく言うけどそのガーッってよく弾けるという意味で使われるがなんだか美しくないよ。
持つべきプライドはいいと思う。いらないプライドのよろいを着ている音楽家って多いよね。さしずめコレステロールの悪玉コレステロールといったところか。
教師にも色々なカテゴリーがある。音大の教師って、そんなに偉いの?
音楽は学問じゃない。音楽はもちろん、音んが苦じゃない。