ここでは、基音でレガートを作る演奏と倍音でレガートを作る演奏で比較したいと思います。ドイツやフランスのピアニズムは基音でレガート作り、ロシアのピアニズムでは基音でレガートを作るピアニストと倍音でレガートを作るピアニストに分かれるようです。もちろん、わが日本のピアニストの大半、そして教育現場で教えられているのは基音でレガートを作るレガートであり、私個人として支持するのは倍音で作るレガートです。
今日は、両者の違いが聴衆に与える印象の違いを述べたいと思います。
まず、基音のレガートですが、これは大きなホールでは響きが飛んでこないため、印象としては、演奏者の主義主張というものが曖昧にしか聴こえてこないと思います。300人程度のホールや東京文化会館小ホールのような、どの客席もステージと近いというようなホールでは、きちんと聴こえてくると思います。このきちんとというのが印象であり、きちんと弾かれてしまうと、聴く者に色々な聴き方を許す自由がなく、そこには例えて言うならば余白のようなものがないので、息苦しくさえ感じられます。良く言えば、そこには演奏者の絶対的な性格を帯びた演奏になります。しかし、私自身の印象としては、残念ながら、それが感動につながるということはありません。
それに反して、倍音のレガートですが、これはまずどんな大きなホールでも響きが広がり、その広がりは変幻自在であり、聴く者によって色々な聴き方ができる自由、演奏そのものに余白が存在し、自由に呼吸ができるのです。きちんと弾いているという印象にとどまることはなく、それ以上の演奏に必要な何か?が存在し、それが聴衆の心を感動へと導くと思います。
有名なロシア人教師であるヴィターリ・マルグリスの著書に「世の中には響く音と響かない音がある。」「音の魂は倍音の中に存在する。」というような言葉がありましたが、これは明言だと思います。
先に挙げた、演奏に必要な何か?とは、要するに音の魂とも言えると思います。
私は、どこのピアニズムだろうが、ピアニストの国籍がどこであろうが、倍音のレガートで奏する演奏が好きですし、感動を与えてくれます。どんなにすごいと言われている巨匠であろうが、そうでなかろうが関係ありません。マルグリスが言うように音の魂は倍音の中にこそ存在すると感じるからです。
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