2回目に入られたのは1回目に泥棒に入られてから2ヶ月ぐらいしてから。

その時は大損害だった・・・


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


その時も朝K氏に起こされた。

「また泥棒!ドアが開けられた!とりあえず無線が無い!」


無線とは・・・協力隊で当時週1回定期連絡を取るための無線

(当時はまだ携帯が普及してなかった)


一番奥(私の部屋の隣)の部屋に置いてあった。

泥棒は客間の両開きのドアをこじ開けて侵入したらしい。

とりあえず警察を呼び、何を盗まれたかチェック。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


すると・・・・なんということか!! 

泥棒は私の部屋まで侵入叫び


私は寝ていてさっぱり気づかず・・・・


部屋からは・・・・

いろいろ物が無い!! 

お気に入りのTシャツが無いビックリマーク

デジカメのメモリーが無いビックリマーク 

カメラ(銀塩)が無いビックリマーク 


その他無いものが結構ある。というかその時は何が無いのかも良く分からない。

後からあれが無い、盗まれたんだろうか?って感じである。


外の扉には当然鍵をかけるわけであるが、

部屋の扉には家の中ってことで鍵をかけていなかった・・・


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


警察が来た。

今度は警察犬わんわんも連れてきている。


家では泥棒が入った両開きのドアで指紋採取なんかもしている。

ドラマで見るような粉をかけて指紋を取っているが・・・

私達の指紋がどんなのかも調べなかったし・・・

そんなんで何か効き目があるんだろうかはてなマーク


すると・・・

警察犬は臭いをかぎつつ外へとダッシュビックリマーク


と早速何かを見つけた。

見つけたのは・・・・辞書

外にヤブの中に捨てられていた。

重くて捨てたのかもしれない。

ちょっと汚れてはいるが、とりあえず1つモノが帰ってきた・・・


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


個人的に痛かったのが、デジカメのメモリ-

任国外旅行(マラウイ・タンザニア)で取ってきた写真等が全部無くなった・・・・

メモリーはデジカメを入れる袋に容れていたが

その袋ごと盗まれた。


デジカメ本体は外に出して充電中であった。

これはなぜか無事。

充電中ということで電気コードが繋がっていたから、

はずしたら何かやばいんじゃないかはてなマークって思ったのかもしれない。


それからパソコンも机の上に置いてあったが、これも無事。

やっぱりコードで繋がれているからかはてなマーク

はずしたらビービー音が鳴るとでも思っていたのかはてなマーク

お気に入りのTシャツも盗まれた。

Tシャツ自体は何枚盗まれたか分からないが・・・

赤いインドネシアのTシャツが痛い。

結構お気に入りだったのに・・・・


というかこれは奥方(その当時はもちろん何の「関係」もなくただの友達だったが)から貰ったもの。

前にバリに行ったときに「それいいじゃん!ちょうだい」と言って貰ったものだ。

最初はダメって言っていたけど、帰る日にお土産としてくれたもの。
 

それからカメラ。

これは普通のカメラだが、現像してないフィルムが入っていた。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


無線に関しては後から見つかった。

チピンゲでやっぱりヤブの中に捨てられていたらしい。

これに関しては新聞にも載ったらしい。


当時の新聞記事を取り出して書いてみると・・・・


日本人所有の精巧な無線機が藪から見つかる

(3月9日 ヘラルド紙)

精巧な無線機が町のゴルフコースの近くの藪の中に隠されているのが見つかったと警察は発表した。

無線機は作業員によって見つけられ、彼が兄弟の兵士に渡し、それが警察に手渡された。

捜査によると、無線機は無免許のもので、所有者は免許を申請中だといっている。

この事件は情報広報局(Department of Information and Publicity)に報告された。

警察によると、この無線機は町の地方評議会に勤務している、日本から来た職員が紛失したものだとの報告を受けている。


もちろん・・・・

無線機を隠したわけでもなく・・・

紛失したわけでもありませんから・・・


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ちなみに無線機は見つかったのだが、警察はこれを返してくれない。

無線機はMUTARE(ムタレ:我々がいた州の一番大きな街)に送られそこで調べられているそうだ。


噂によると我々は「スパイ」容疑ビックリマークをかけられているとか・・・

こんな精巧な無線を持っているのは理由が無いとのことだ。


精巧っていっても・・・

ジンバブエ全土にいる隊員と首都のJICAオフィスとで交信するもんだから

それなりの範囲をカバーするものじゃないと・・・・


とにかく後日調整員に来てもらい一緒に警察に行ったが、その時も返してくれなかった。

なんだかんだと理由をつける。

まあ結局最後は返して貰ったらしいですが・・・



(その後隊員に携帯電話が配られ、無線連絡から携帯での連絡と変わったので、無線は撤去されました)


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


まあそれはさておき・・・・


被害はほとんど私っていうか、K氏の部屋は侵入されていない。


ちょっとくやしかったので、職場で懸賞金をかけてみた。

犯人が任地の人間であったらハイデンシティーに住んでいるやつらだろうって思っていた。


特に奥方からもらった赤のTシャツを取り返したくて、

どういうTシャツか職場のやつに説明して、もし見つけたら金を払うって言ったが・・・

結局見つからずしょぼん


自分でもハイデンシティーのビアホールとかに誰かTシャツを着ていないか調べに行ったりしたが・・・

結局見つからず・・・


ダメでした・・・・しょぼん


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


以後、私は夜寝る時、部屋の扉の前に太鼓を置いておき

部屋の扉を開けた場合太鼓が倒れ音が鳴るようにしました。


もちろん当然部屋の鍵もかけて寝る。


それから泊まりで外出する際は、大切なもの(パスポート・パソコン等)は

天井板を開けて天井裏に隠すことにしたました。。。


泥棒に入られたことがあった。

それも2回


協力隊の時は任地にMaxで4人の日本人がいた。

1人は私の1つ前の隊次で、学校の体育の先生なので、寄宿舎住まい

(ジンバブエは元イギリス領だったので、ボーディングスクールが多い)


私はもう1人の♂の日本人K氏と一緒に住んでいた。

あと我々の後に♀のHさんという人が来た。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


任地は安全なところだと思っていた・・・・

バスターミナルにしろ、ハイデンシティ(HIGH DENSITY:高密度ということで要は敷地面積が小さい家がたくさんあるところ。下町か?)にしろ、

暴言のたぐいを言われたことが無い。。。。


ちなみにハラレ(首都)のムバレ(大きなバスターミナルがある下町)や、

グエル(3番目か4番目ぐらいの街)等大きな街のバスターミナル等では

東洋人を差別した「チャイ~ナ」といってくるようなやつらがよくいた。
 

任地ではそのようなことは全く無かったので不快なこともなく、

ここは田舎で安全なところって思っていた・・・


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


いつもの朝・・・


朝起きて同居のK氏に泥棒が入ったと教えられた。

台所の裏玄関が壊されて入られたとのこと。


盗まれたものを調べたら・・・・

自転車2台、これが一番高かったもの。


後は台所でいろいろ食材。

ジャガイモだとか、小麦粉だとか、肉とかヨーグルト。


よっぽど腹が減った切羽詰った泥棒だったのかもしれない。


その他はアイロン・自転車の空気入れ。

これらはK氏の持ち物。


あとは草履だとか靴だとか。


裏玄関は外開きの木のドアで、外にでている「ちょうづかい」が壊されて

台所から泥棒に入られたらしい。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


とりあえず警察に電話。

それから職場に言ってドアを直してもらうことに。

警察からは警官が来て事情聴集。

職場からは溶接工のワーカーが来てドアの溶接をしていった。


家の外周は金網で覆われているが、

その入り口は鍵が無く入り放題。


庭も広くて木が無い。家が丸見え。


2人で使うのには家が大きすぎ。

使っていない部屋がたくさんある。



徒然の日記
住んでいた家


本当は私たちの後に来たHさん(SE)も同居する予定であった。

しかしHさんは♀。

最初1~2ヶ月ほど私の隣の部屋で一応同居をしていたが・・・

やっぱり♂と♀の同居は部屋が違くてもまずいんじゃないの?ってことで違う家に引越しをした。

(別に何があったわけでもないです・・・)


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


とりあえず、警察の事情徴収も終わったし

ドアも溶接しなおした。


まあ大したもの盗まれなかったから良かった・・・・



しばらくは気をつけていた。


ちなみに盗まれたものは戻ってこないだろうなあ・・・・と思っていたら・・・

しばらくたってその泥棒が捕まったらしい。


というか盗んだものを部屋に隠していて

誰かにちくられたらしい。


私達の家だけじゃなくて他の家にも入っていて大量の物があったのだろう。


我々にも盗まれた物が出てきたから

取りに来いという警察からの連絡があって行ってきた。


もちろん戻ってこないものもあったが・・・・


私の南アで買ったブーツ(結構高かった)も帰ってきました。。。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


やればできるじゃん!

田舎警察も!

久しぶりに懐かしい曲を聞きました。
とりあえず70'sとかの「聞いたことがある」曲じゃなくて
リアルタイムの曲だったので・・・



K-Ci&JoJoなのか、JoJo&K-Ciなのか・・・
よく分らないのですが・・・
どっち?


しかし・・・
90年代も遠い昔になりにけり・・・

山形県のダム現場

現場宿舎です。


都合3年以上いました。。。


現場宿舎でプレハブといえども

そこはダム現場

工期も長いので豪華です。


まあ部屋はそんなに広くないけど、まず1人部屋

(下請けさんは2人一部屋だったらしいが・・・)


豪雪地帯だけあって

窓は二重サッシ、もちろん冷暖房付き

各部屋に電話あり

(まだ携帯がそんなに普及してない頃)


風呂は1階に1つだが広い。

循環式で24時間入れるし、サウナもあり。


トイレも各部屋には無いけど

数はありました。

確か・・・ウォシュレットだったと思います。。。



徒然の日記

車の並んでいる左側の建物。

右側は事務所



もちろん今はダムが完成しているので

宿舎はありません。

田んぼになっているはず・・・






ライブといっても私がするわけじゃなく
路上ライブ

毎日渋谷の西口を使っているわけですが
(公衆便所のある方)
いつも帰りに西口を出ると路上でライブをしています。

公衆便所の前の喫煙所でタバコを吸いながら
何気なく聞いているのですが

さっきのはなかなか良かったよ。
おつかれーず
(という名前だったと思う)

あれって短時間でやめてるけど
なんか順番待ちの決まりでもあるんですかね???

まあ・・・
ともかくみんな頑張ってるんだね。。。

昔、南アで警官に拉致されたことがあります。

まあ・・・拉致っていってもちょっとしたドライブでしたが・・・


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


その時南アに行ったのは協力隊の任期がもう終ろうとしている11月


帰りの帰路変更旅行でベトナムに行こうとしたのだが、

ジンバブエにはベトナム大使館が無く、内緒で南アのベトナム大使館にビザを取りに行った。

(基本的に他の国に行ってはいけません・・・・ので、内緒で行きました)


経費削減のためバスで行くことにする。


ハラレからGRAY HOUND(グレイハウンド)という高速(?)バスバス

このバスはいいです。日本の高速バスと変わりない。便所も付いているしきれい。

ただ冷房が効きすぎて寒かったが・・・・


Harare(ハラレ: 首都)からMasving(マシンゴ)を通りBeitbridge(ベイトブリッジ:国境)へ


徒然の日記
ベイトブリッジのイミグレ



イミグレで入国審査を受け南アに入る。

南アに入った頃はもう辺りは暗くなっていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


南アの国境を過ぎてからコンビニみたいなところで休憩


そこでは・・・・

すでに警備員がショットガンを抜き身で持って店内巡回

やはり南アは危険なとこか・・・


以前プレトリアの銀行ではそんな光景を見たが、こんな店の中でも・・・・

(ちなみにプレトリアの銀行は二重ドア。1人が入ったら外のドアを閉め、中のドアを開ける。当然外にはショットガン抜き身の警官がいました。。。)

プレトリアに着いたのはもう深夜・・・・

っていうよりもうAM4:00ぐらいだったと思います。。。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


バスはプレトリア駅に到着。

まだ周りは真っ暗であたりに人影は無いがタクシーはいる。

ただタクシーの運ちゃんは仮眠中か?


南アは恐い恐いというイメージがあるので、

まさかこんな駅前に降ろされるのかと恐れていたら・・・・その通りあせる


私と確か白人カップルが降りた。

めちゃくちゃびびりながら

とりあえず白人について行こうと思っていたら・・・

迎えの車が来てそのまま乗って行ってしまった・・・あせる


このまま通りを歩いたらめちゃやばいと思って

とりあえずタクシーの窓を叩いて運転手をおこして乗り込みました・・・


タクシーも大丈夫かなあ?と不安にも思ったがどうしようもない。

まあ・・・これは杞憂でした。

タクシーはまともで、ホテルにちゃんと連れて行ってくれました。


ホテルはジンバブエで予約してありました。

シェラトンホテル(ちょっと奮発)で

一応4泊する予定


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


次に日にベトナム大使館へビザの申請に。

初日はフォームを書いてパスポートを置いていく。

また明日来てくれとのこと。

次の日また行く。もうビザが出来ていた。

もうちょっとかかるかなって思っていたが、あっけなくビザゲット。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


その帰り・・・

道を歩いているとパトカーが止まっていた。


黒人の警官が2人。

私を見てこっちへ来いと言う。


まあ警官だから逆らうわけにはいかない

こんなとこで逆らって問題になりたくない


彼らは私に職質をかける

何をしているんだetc.

(いや・・・でもはっきり言って、真昼間に歩いていただけなんだけれど・・・汗


ベトナムのビザを取りに来たと言ってパスポートも見せる


そうしたらなぜがパトカーに乗れと・・・あせる

なんかめちゃくちゃやばい

でも逃げるわけにもいかない

問答無用で撃たれそうだし・・・・ ((((;゜Д゜)))


しょうがなくおとなしくパトカーに乗る

やつらは送っていってやるというが、怪しいのはミエミエ


でも・・・この俺はどうなっちゃうのあせる ((((;゜Д゜))) はてなマークはてなマーク

警官は前に2人乗ったので私は後部座席へ


そこで・・・

とにかく金を巻き上げられてはたまらないと

大きな札(100R・200R)を見えないように財布から抜き取って靴下に入れました。。。


しばらくすると警官たちは冷たいものが飲みたいなあと言い出した

ジュースで済むなら願ったりかなったり。


そこの店で止めてくれたら冷たいものをおごってあげるよと言った


でも彼らは止まらない

すると案の定送ってやったんだから金が要るよって言い出した・・・叫び

そもそもこっちが願って送って貰ったわけではないのだが・・・しょぼん


ホテルまではまだであったが、ホテルまで行くともっとぼったくられそう・・・

ちょっと行った所でもうここでいいと言った。


「今金が無いからこれでいい?」


とりあえず20Rの札を渡そうとした。


すると彼らはそれを取ろうとしない。

手渡しで取ろうとはしなかったのだが、

ここに置けとサイドブレーキのところに置かされた。


それは直接受け取ると賄賂になるからなのかはてなマーク

理由は分からないが・・・


とにかく車を止めてくれて私は解放された。

まあ20Rで済むのなら良かった。

内緒で南アに来ているので問題を起こすことは絶対避けなければならなかった・・・・


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ビザが速く取れたので1日余った。

せっかくプレトリアに来たのだからちょっと街を見ていこうと思ってぶらぶら。

プレトリア動物園に行きました。


徒然の日記

動物園から見たプレトリアの街


警官に金を取られたけど・・・ダウン

プレトリアの街はヨハネスとは違って安全みたい

(といってもぶらぶらしたのは昼間だが・・・)


やっぱりジンバブエに比べると

南アはモノが豊富だなあ・・・

思い・・・

やっぱり人生は平穏が一番

と改めて平和をかみしめたのでありました。。。

住んだことはありません。

よく通ったので、行ったことはたくさんある。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


金沢に住んでいた時、

単車で実家に帰ると、金沢-富山-糸魚川ときて、

それから国道148号で長野県を諏訪辺りまで縦断

そっから中央道で東京へといった道を通っていた。


たまに金沢から高山に行って国道158号で松本市へっていう道も使っていましたが。。。


まあだいたい148号で帰るのが多かったので白馬・大町方面は結構通っていました。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


高校の時部活(陸上部)の夏の合宿は長野の辰野でした。

(ちなみに陸上部)


大学の時一度OBとして合宿に(遊びに)行ったことがあります。

金沢から単車で出発し北陸自動車道に乗ったのだが

富山付近で荷物が後輪に引っかかって高速上でタイヤがロックしました。


荷物はタンデムシートにネットをかぶせて積んでいたけれど

シートからはみ出て下に垂れ下がっていたのが後輪に巻き込まれたみたい。


とにかく120kmぐらいで突然タイヤがロックしたので死ぬかと思った・・・


必死に膝でタンクをはさんでバランスだけとり何とか路肩に避難し

荷物を引き出して再び出発したのだが、どうも単車の様子がおかしい。


妙にポコンポコンと飛び跳ねる。

再び路肩に避難してみると・・・・


ロックしたもんだからタイヤが磨り減ってそこだけ平らになっている。

でも高速上だし引き返すわけにはいかないので高速を降りて下道で長野へ。


ポコンポコンとしながら8号線で糸魚川まで行き

まだポコンポコンとしながら白馬を通り抜け

ポコンポコンと辰野にたどり着いた。


そこでバイク屋に持っていってタイヤを買い換えた。

ちなみにその時の私の格好は半そにジーパンを切った短パンと靴はモカシン。


合宿はいつも8月の暑いさなかなので

アスファルトの照り返しを受けながら時間をかけて長野まで行った私のももは日焼けで真っ赤だった。


まあそんな格好で高速で転倒してたらハンバーグになっていたんだろう・・・

(ハンバーグという言い方は"特攻の拓"的な言い方ですね。。。)


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

それから長野で覚えているのは・・・・・


大学の時のサークルで皆で長野市行ったことがあります。

サークルは子供と遊ぶサークル(?)で

北信越のそういう大学サークルの交流会というので信州大まで行きました。


信大の教育学部が長野市にあってそれで長野市に行ったはず。


覚えているのは途中でわさび園に行ったこと。

(大王わさび園だったかな?)

わさびソフトなるものと食べた記憶がある。

味は普通のソフトクリームと大差なかった。


それから長野市で善光寺の胎内巡りをした。


あとどっかの風呂屋(もちろん普通の銭湯のこと)に行った記憶があります。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 


あと、冬だとやっぱりスキーですね。

(年代的にスノボの年代じゃないので・・・)


金沢からだと八方尾根の方面へ向かっても、逆方向(東京から)だからあまり渋滞しないし。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


まあ長野は景色を見ながら通るのはいいところだと思います

(住んだことがないのでこういう言い方しか出来ない・・・・)


だいたいがスキーを除いて長野を通る時は緑がある季節なので

長野っていったら緑と湖っていったイメージがあります。