夜、仕事から帰って来て、子供達の寝顔を見て、布団をかけなおす。二人のちっちゃい手を握って、おでこにチュっとキスをする。
保育園と幼稚園からの書類をチェックして、娘@5歳のお箸箱とコップを洗う。それから、娘の幼稚園の園服につけた名札を取って、明日着ていく、洗ったばかりの園服に付け替える。昼間、両親に子供達の世話をお願いしっぱなしで、母親らしいことを一つもやってやれない私の日課。
娘の名札の名前は、娘が自分で書いた。幼稚園の年中組に進級した時、本当は私が書いてあげようと思っていた。丁寧に、名前を書いて、娘が好きなキャラクターのシールでも貼ってあげようと思っていた。それか、ネームランドでかわいくデザインして貼るのもいいかな、なんて、思っていた。
でも、娘が進級したその日、仕事から帰ってきたら、既に、名札には、娘が書いた字が躍っていた。油性のマジックで、はっきりと、大きく、はみ出しそうになって書いてある、ひらがなの、娘の名前。何のシールも貼ってない。年少組のときは、シールが貼ってあるお友達の名札を見て、「今度は、何か、貼ってね」なんて言っていたのに。
そのかわり、誇らしげな、力強い、自分で書いた、ひらがなの、太い大きな、なまえ。躍りだして、名札から出てきちゃいそうな勢いがある、娘が書いた文字。
なんだか、ちょっと泣き笑い。
娘の名前、書いてあげたかったな、っていう親のエゴと、自分でなまえが書けるほど、成長したんだな、っていう親の喜びと。
油性の黒いペンで書いた躍りだしそうな娘の字と、青い花の形をした名札のアンバランスさと。
そのほかのものも、娘は、自分で名前を書く。ヤマハ音楽教室のテキストも、シールも、おもちゃにも。
最近は、息子@2歳のおもちゃにも、息子の名前を書くようになった。おもちゃのカメラに書いてある、元気のいい、息子の名前。ねえねえが、弟のために書いてあげた、優しい名前の文字。
娘が生まれたとき、女の子は、ある意味で、人生における岐路が多いから、どんなときでも、智恵を持って羽ばたいてほしいと思った。
息子が生まれたとき、男の子は、大らかに、自分の人生を創って生きていってほしいと思った。
そして、そんな思いを、名前に込めた。
いつかきっと、この思いを、子供達に話してあげよう。自分の名前を書くときに、そんな親の思いがあるんだな、って、ふわっと、思えるように。親の愛情を感じることができるように。愛されて、生まれたんだ、守られているんだ、幸せになることができるんだって、思えるように。