
いつものように、公園に向けて出発!!
と車を出して数分。
ポツッ・ポツッ・・と雨が落ちてきました。
そして、あっという間に大雨になりました。
そんなお空じゃなかったのにな~(≧≦)
どうしよう??傘も雨具も長靴しか車には入ってないよ~(≧≦)
我が家から車で約5分の公園へ向かっているのはわかっているチップは、ウキウキしています。
「チ~たん、雨コンコン降ってきて、○○ちゃん(私)傘がないから、おトイレだけね~」
とひとまず言い聞かせます。
今回の手術で、改めてチップにはこの言い聞かせが重要だと再認識した私は、
いつもと違う行動をする時は、よ~~~~く言い聞かせないとなりません。
公園に着いたとき、雨はけっこう降っていました。
チップは公園に着くと、すぐに両方のおトイレをしてくれるので助かります。
出すもの出さないと、おやつはもらえないのが我が家の掟です(^_^;)
おトイレが終わるとリードを放し、チップはそこら辺をウロウロさせて、
私は大きい木の下で雨宿り。
チップは私の存在を確認しながら、ウロウロとチェックチェックしています。
最近は公園に来ても歩く事に重点を置いていたから、
久しぶりに自由な時間を過ごさせました。
雨が小降りになった所で、私も木の下から出て、軽く走ります。
チップはその後を追いかけます。でも、チェックチェックも欠かせません。
そうすると私との間に距離ができてきます。そこで私のいたずらが始まります(^_^;)
公園内にはある場所に、2つの高さ2メートル位の小山が作られています。
その2つを使って、奥の小山に私が隠れました。
チップは手前の小山当たりで必死に探しています。
「チップ~チップ~」と隠れて呼びますが、なかなかわかりません。
手前の小山の頂点に上ったチップに、私は奥の小山の頂点で「チップ~」と呼びながら手を振りました。
そうしたらダッシュで手前の小山を駆け下りて私がいる奥の小山に駆け上ってきました。
チップ、頑張ったね~\(^O^)/ いっぱいダッシュしたね~\(^O^)/
手術後、ここまでのダッシュをしたのは初めてでした。
今日のお散歩は雨もあって、誰にも会えない、約20分のお散歩でしたが、楽しかったね。
帰ってきたチップは玄関先でひらめか、するめいかのように伸びきっていました(^_^;)
今日はもう一つ、もう知っている方もいるかと思いますが
日経新聞にこのようなコラムが載りました。
それについて、ここで私の感想は書きません。
ただ、こういう人間もいると言うことを知ってもらえればと思ったので、
「続きを読む」に文面をそのまま載せました。
その感想を求める事もしません。ご興味のある方は、覗いてください。
「子猫殺し」 坂東眞砂子
こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。
世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。
動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。
そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。
家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生まれ落ちるや、
そこに放り投げるのである。
タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。草ぼうぽうの空地や山林が広がり、
そこでば野良猫、野良犬、野鼠などの死骸がごろごろしている。
子猫の死骸が増えたとて、人間の生活環境に被害は及ぽさない。自然に還るだけだ。
子猫殺しを犯すに至ったのは、色々と考えた結果だ。
私は猫を三匹飼っている。みんな雌だ。
雄もいたが、家に居つかず、近所を俳個して、やがていなくなった。
残る三匹は、どれも赤ん坊の頃から育ててきた。
当然、成長すると、盛りがついて、子を産む。タヒチでは、野良猫はわんさかいる。
これは犬も同様だが、血統書付きの犬猫ででもないと、もらってくれるところなんかない。
避妊手術を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。
獣の雌にとっての「生」とは、盛リのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。
その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。
猫は幸せさ、うちの猫には愛情をもって接している、猫もそれに応えてくれる、と
いう人もいるだろう。
だが私は、猫が飼い主に甘える根元には、餌をもらえるからということがあると思う。
生きるための手段だ。もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、
子を産みたいというだろう。
飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。
しかし、それは飼い主の都合でもある。
子猫が野良猫となると、人間の生活環境を害する。
だから杜会的責任として、育てられない子猫は、最初から産まないように手術する。
私は、これに異を唱えるものではない。
ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。
子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。
避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。
そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、
子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。
どっちがいいとか悪いとか、いえるものではない。
愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。
獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。
生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、
人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。人は神ではない。
他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。
どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない。
それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、
自分のより納得できる道を選択するしかない。
私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、
杜会に対する責任として子殺しを選択した。
もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。
(作家)
8月18日(金)付 日本経済新聞夕刊