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趣味で戦国時代のお城の研究をやっています。
発掘調査現地説明会やホームページの更新情報を掲載しています。


本日、国の史跡に指定されている島田市の諏訪原城跡で発掘調査の現地説明会が行われました(`・ω・´)

今年は行ってきましたよ!!情報くれた後輩O、ありがとう!!

今回の発掘調査区域は、以下の通りです。

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赤丸で囲った部分、「二の曲輪東馬出」になります~。

今回の調査のポイントは、

1.「二の曲輪東馬出」の生活面の地層は、一層か二層か。
2.堀の形状はどうなっているか。

のようでした。1点目は、昨年度調査した「二の曲輪東内馬出」が二層だったことが影響しています。武田氏の後に徳川氏が改修したのか、その痕跡があれば地層が二層になり、なければ一層になる、ということです。 
2点目は、「二の曲輪東内馬出」が薬研堀から箱堀に形状が変わっていることが影響しています。改修の跡があるかどうかがポイントのようです。

発掘調査の全景は、下の写真を参考にしてください(入りきりませんでした……T_T)

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今回の発掘調査成果は、以下の3点になります。図に示すとこんな感じ。
相変わらず拙い図ですが、分かればよし(´・ω・`)

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1.礎石の検出

礎石とは、建造物の土台となって、柱などを支える石のことです(Wikipediaより)。今回の発掘調査で、2点の礎石が検出されました。

イメージ 4

 赤丸で囲った石が礎石になります。
 中心から測ると、石と石の間は1m60cmとのこと。本来、礎石は4つで1セットなのですが、残り2つは植林の際失われた可能性が高いとのことです。残念(´・ω・`)
 なお、この礎石、諏訪原城で検出された礎石の中で、最も大きいとのこと。「この場所が重視された証拠では」との説明がありました。


2.2層の検出

 今回の発掘調査区域のセクションを観察したところ、2層の生活面が検出されたとのこと。

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検出された礎石の側に設けられたサブトレンチのセクション(土層断面)です。ちょっと分かりにくいですが(写真の技術が下手なのです><)、黒い土の層⇒茶色の土の層⇒白い土の層の順で堆積していることが分かるでしょうか?
黒い土の層が1層、白い土の層が2層です。茶色の土の層は、いわゆる整地層ですかね。

なお、検出された礎石は、白い土の層にあたります。また、黒い土の層から鉄砲玉が複数出土しました。「黒い土の層が武田、白い土の層が徳川の可能性がある」とのことでした。

ちなみに、一番下の石がゴロゴロしている層は、牧之原礫層(れきそう)といい、遺跡が作られた時点の地表面です。俗にいう「地山(じやま)」ですね。

3.薬研堀の検出

 「二の曲輪東馬出」の堀にトレンチを入れ、堀の形状を調査したところ、薬研堀であることが判明しました。
薬研堀とは、断面がV字になる形状の堀を言います。

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 天気が良すぎてうまく撮れませんでした( p_q)。いい写真がありません……。
 堀の深さは、5m50cm(城外側)~7m50cm(城内側)、堀底の幅1mで、角度が50度~55度の急斜面となっています。斜面の角度が45度を超えると登るのが困難と言われます。かなり急傾斜ですね^^

 地層から判断する限り、薬研堀から箱堀に改修した形跡はないとのことです。「徳川時代のものではないか」とのことでした。




今回の調査によって、「二の曲輪東馬出」「南馬出」「南内馬出」が、諏訪原城にとって非常に重要な曲輪であることが分かってきました。それは、他の場所に比べ、鉄砲玉が多く検出されていることからもうかがえます。諏訪原城の激戦地であったと言えるでしょう。
当時の諏訪原城がどのような防衛線を敷いていたか、解明に期待ですね!!








帰りに島田市博物館に寄って、企画展をみてきました。
誤読がありましたよ……(´・ω・`)
「糺明」「関所」「番中」ではないでしょうか??
読み下しがない古文書がいくつかありました。確かに文章が長いので、全部読み下すのは難しいと思います。しかし、ポイントとなるべき文言を拡大して、横に読みを乗せるとよかったのかなぁ、と思いました。

イメージ 7
こんな感じで……。