2026年5月13日母が亡くなりました | HAPPYなのかもしれない毎日

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コスメやメイク日記を書いていましたが、バセドウ病と甲状腺眼症を発症した為、現在はお休み中☆2023年2月に出産した女の子と、ポメラニアン♀との日常や闘病記も?(^_^;)

お久しぶりです


超久々の更新がこの内容になるとは…

書こう書こうと試みてはいたけれど

色々ありすぎてアレもコレもと纏まらず

母のことも書けず終いでした



昨日母が亡くなりました



昨年 6年お世話になった特養から

療養病院に移っていました


食道に送る弁の機能が作動しなくなり

口からの栄養が摂れなくなったので

中心静脈カテーテルを入れた為です



10月に入院し顔色も良く過ごせていましたが

度々発熱があり抗生物質を投与していました


今回も発熱で抗生物質を投与していたけれど

院内の検査結果で抗生物質が効くはずの

細菌が確認されているが熱が下がらない


外注の結果が出ないとわからないけれど

もしカビ等の細菌となった場合は

なかなか厳しいと思いますので

ご親戚など面会されたい方はお早めに…

と言われたのが2026年5月12日13時49分



くぅを連れて夕方面会に向かっていたら

看護師さんから着信17時15分

状態が悪いので何時でもご面会いただけるよう

手配してありますので遠慮なくお越しください



え!?そんなに悪いの!?と驚き

義姉に電話で報告


26分も話してしまいナースステーションに行くと

「お越しくださりありがとうございます!」

と皆さんワタワタと…

え…ほんとに…そんなに悪いの…?


母はゼーゼーしておりました


酸素を増やしてもこの状態なので…

まだ意識はありますから

たくさん話しかけてあげてくださいと



私…母に話したい事があって


くぅが家にいる時だと

一緒に行く!と言われてしまって

1人で行って話せる機会がなかなか無かった


結局…ゼーゼーしている中で

ほんのちょっとだけ耳元で話して

話しを聞いてほしいから元気になって

とお願いしておいたのだけれど



12日はその後くぅを家に置きに行って

私1人で23時頃まで付き添った


警備上4時半まで出られなくなるとのことで

23時ちょっと前に病院を出たのだけれど

すでに目線も合わせられなくなっていて

安定していた数値も徐々に下がってたし

電話が来てしまうのかと気が気じゃなく

動悸が出ちゃって眠れなくて…


2026年5月13日

日中に睡眠をとって面会に行ったら

また数値は少し安定していて

目線も合うようになってた


ゼーゼーは変わらずで…

出てしまっている声が酷くなってた



くぅを迎えに行ったらくぅ

「ばあちゃーん、孫だよー」

「ばあちゃんのところ、行くー」

と何度か言った


行くか迷って行きかけたんだけど

昨日シャワーも浴びれなかったし

くぅの洗濯もできなくて溜まってるし

今日はとりあえず一旦帰ろう!と引き返し


明日のお手拭きタオルも足りなくて

ミシンで名前付けしたりしてたら

あっという間に時間が過ぎていき

やっと一段落…と思ったら病院から着信

21時54分


急変したのでいらしてください



急いで向かったけれど

この電話のあと結構すぐに息を引き取ったそう


看取れませんでした


今日も23時まで付き添わせてもらっていれば

看取れたのに…1人で逝かせてごめん

私が来るまで逝っちゃダメって約束したのに…



この日の面会のとき話したんだけど

昨日うちに来たでしょ?

いくらでも来ていいんだけどさー

あんまり本体から離れないでね

戻れなくなったら困るじゃん

と笑ったの


階段の所にね

来たと思うんですよ…音的に


お母さんまだ逝っちゃダメだよー

と話しかけたんです


面会のときの母の反応は

少し目を丸くして聞いていました



苦しまずに逝かせてやりたい

父の意思と同じ思いでおりましたが

最期は苦しかったね…


カテーテルを挿れて半年ちょっと

たぶんカテーテルを挿れるのも痛かったし

寝たきり老人の病院に移動して

母は意識があって起きてる時間も多いのに

ただただベッドに横たわっているだけになり

面会は私が時々行くだけ…しかも

つい最近まで15分の時間制限だったから

短記憶もできなくなった母でも

さすがに寂しくなってたよ…

帰るねと言うと首を横に振ったときも数回あった


こんなことならカテーテル挿れない方が

良かったのでは…と思ってしまうけど

そしたら孫の顔を見せてあげられなかった


近辺の病院ではここしか

年齢制限無しで面会できるとこ無くて

ここはカテーテルを挿れたことで

対象になった病院だから…



孫はまだ3歳だからね

元気になって成長見ないとね

と話したのだけれどね…

くぅも「しゃんしゃーい!」と指で3⃣して

アピールしてたんだけどね



安置所に移動するのに車に乗せて

ドアが閉められたら…

くぅが号泣


車が発車したら

「ばあちゃん!バイバーイ!(泣)」

見えなくなったら

「ばあちゃん行っちゃったー!(泣)」


帰りの車に乗るときも

「ばあちゃん、行かないでー(泣)」


もっと大きくなって記憶に残るまで

生きていてほしいと願っていた


記憶には残らないかもしれないけど

こんなに理解できるものなのだと知れたし

こんな感情を抱けるものなのだとも知れたから

十分かもしれないね



母の体は胸の中心と胃の辺りまで

お別れするまで温かかった

何故なんだろう…他は冷たくなったのに




とうとう両親とも居なくなってしまいました

ご存知の通り兄も居ないしね…


周りにこの歳で1人になってる人が居ないから

まだ早いのにな…と思ってしまう


脳内出血で倒れてから17年

大往生ではあったのだろうし

とっくに覚悟はできていたハズだし

恨み辛みの方が大きいハズなのに

とても…寂しくて悲しいです




12日…1回目の面会のとき

「うん 」「うん、うん」って

私の目を見て頷いたんだ


話したい事があるから元気になって

って言った少しあとだった


父もそうだったように

母もまた まだまだ生きるつもりで

居たのかもしれない


あと…父が歌っている動画を見せたんだ

何となくわかったように感じた


迎えに来たのかな

思い出した状態で安心してついて行けたかな


お迎えは誰かしら来てくれたはずだよね

ワンコ達もいるし…

しばらく寂しかっただろうから

もう寂しくないといいな



2026年5月14日 2:50