私は今、自分が死ぬ日が楽しみでしかたがありません。
それは、決して自殺願望ではないのです。
自分の人生は、きちんと全うするつもりです。
神様に、もういいよ、おいで、と言われるまでは、
精一杯、人生をenjoyする気は満々です。
ただ、自分に『その日』が来た時、
私はきっと
やっとこの日が来たー。
これで、やっとお母さんに会える・・・
って、喜びでいっぱいになると思うのです。
もし、今、病気になって、お医者様に、
「あなたは余命一ヶ月でしょう」
と言われたら、ショックよりも、やっぱり、
お母さんに会える・・・
と思ってしまうでしょう。
でも、特に死を望んでいるわけではないので、
生きるための努力は惜しまないつもりです。
人は死に直面した時、死を恐れずにはいられないと思います。
それは、死とは、誰も知らない旅路だからでしょう。
死というものの本当の意味を知ってる人は、誰もいないからです。
私は母を亡くすまでは、死とはどういう事なのか、知ってるつもりでいました。
でも、母を亡くしてから、死って何?
死ぬってどういう事なの?
と、わからなくなってしまいました。
肉体だけは確かに無くなってしまいますが、
魂は残っているのでしょうか?
もし、魂がないのであれば、
毎日、仏壇にあげているご飯やお茶、お水は何の為に?
買い物をしながら、コレは母が好きなものだから買う、
母の日だから、
母の誕生日だから、
と、母の生前と同じか、
むしろ、生前よりも母中心の生活になっている事は間違いありません。
姿は見えないけれど、
確かに母はいるのだ、と感じざるを得ないのです。
だから、私は今、死が怖くもなんとも無く、
今はその日を楽しみに生きています。
次に会った時に、どれだけ母にオモシロ話を聞かせてあげられるか、
とにかく、ここからは
今まで以上に、楽しい事でいっぱいの毎日にしたいと思っています。
お土産話を沢山持って、母に会える、
その日が来るまで。