133. みんなのテーマから
「 占いって信じますか 」という問いかけにふと思い出したこと。
大安 仏滅 なんてのがある。 よくお寺の友人が「 僕の父は あんなもの
信じていないから 仏滅に結婚式をやったんだって 」等という一面自慢話の
ようなものを聞かされる事が時々あった。若い時分には ふーん と聞くばかり
だった。が、それなりに年を数え ご近所とかお付き合いの加減からお葬式の
お手伝いをしなければならなくなる事も増えて その都度 シミジミと日本人
って 頭いいなぁって思う事が増えた。
というのも これがないと お葬式の日程さえ決まらないのである。明日は
誰の都合が悪い。明後日は 誰とかさんと誰とかさんが不都合で駄目だし、
なんて会話も あすは 大安ですから あさっての午後からにする事と
しましょう・・・なんてアッと言う間。誰からも反論は出ない。
つまり そのならわし そのものの真実とか信じる信じないを離れて 便利さ
都合のよさのおかげで残っている習慣って 意外とあるのかもと思い始めた
のは30歳を少し過ぎたあたりだった。
逆のおめでたい話でも 信じる信じないは別にして 数ヵ月後の日取りが
比較的に簡単に決められていく。これはやっぱりこの国の民の知能の良さ
ですよね。決して いいかげんとか そういう理由からではないと思う。
28歳になるという年の春時分の僕の見合いの思い出は これまた随分前に
書いた。 見合いの席では 僕が彼女を気に入った以上に 僕の母が彼女の
母上を気に入っていたらしい。数回のデートの頃 仲人さんから「 そろそろ
結納の日程を 」という電話での問いに「 そうですね。うちは一日でも早い
方がいいです。なんなら 結婚式も一緒に明日でもいいです。いかがですか」
と答えて 仲人さんを随分とあわてさせたたことは 我が家の笑い話のひとつ
になっている。結婚式は確か 大安 ではなかったが それでも 三人の子宝
に恵まれて家族がみんな健康に23年?24年?の年月を生きている。
信じられないからと 妙にかたくなになったり 強硬に否定したりせずに
懐の深い民の一員として 身の回りにある習慣や言い伝えを 一度とりあえず
受け入れてみる気になってみては いかがでしょうか。
132.無事 放映終了です。
KBC局 YAB局のスタッフの皆様、深川養鶏の皆様 本当にお世話に
なりました。おかげさまで無事にすみまして ありがたい結果も頂くことが
出来ました。
これから二ヶ月 長州どり フェアで頑張ります。
前ページに書きましたが 8月1日も どうぞ お楽しみに。
131.いよいよ当日 と井手らっきょ氏とのロケ日程
いよいよ当日になりました。
地元 山口県と九州の方だけのご案内です。
本日午前10時のKBCあるいはYABにて 鹿児島の ハーブうなぎ との
料理対決で わが社の深沢調理長と 井手らっきょ氏の友人 木曽君が
登場いたします。 どうぞ 是非 ご覧になって下さい。
それと 昨日 井手らっきょ氏とのロケ日程が決まった案内があったようです。
8月1日にわが社で収録だそうです。
数日前に わが宿にご宿泊頂いた 堺正章氏のそっくりさんとの競演だそうで
詳細が決まればまた御案内いたします。
130. 月替わりの 平日限定 会席料理メニューの御案内
平日限定ですが 月替わりの会席料理プランが出来ました。
毎月の会席料理のプランを8,500円(一泊二食 税込)で御案内
することにいたしました。ただし 平日に限り 二名様以上から。
山口新聞とホームページでのみ 御案内いたします。月に一度 奥様とか
お友達の方々とかと 気軽にご利用いただきたいとの思いからの発想です。
とにもかくにも 御案内のみ。
ちなみに 7月は 「 元気印宿泊プラン 」です。
129. 7月5日10時のYABと 梅雨の雨
いよいよ明後日になりました。
地元 山口県と九州の方だけのご案内ですが 7月5日10時のKBC
あるいはYABにて 鹿児島の ハーブうなぎ との料理対決で わが社の
深沢調理長と 井出らっきょ氏の友人 木曽君が登場いたします。 どうぞ
是非 ご覧になって下さい。 視聴者の方に どのような審判を頂くのか
分かりませんが それぞれが一所懸命に努力しましたので 出来れば
嬉しい評価を頂きたいと願っております。
さて いかにも梅雨らしい雨の日が続いております。降っている時には
なんとなく不満に感じる事もありますが、一方で これもありがたいことで
今年は水不足は無いなぁ と空に向かって手を合わせています。
来年の北京オリンピックのプールに水は足りるのか なんて記事を読んだ
ことがありますが お隣の中国では 北京市の25キロの所まで 砂漠化が
進んでいるそうで 随分差し迫った問題の様ですね。
ホタルは完全にいなくなりました。昨夜 もしかして と かなり粘って橋 から
覗いてみましたが 一匹も鑑賞出来ませんでした。どうぞ 来年にはまた
素敵な感動を味わいにおいで下さい。
128. 梅雨の頃・・・記憶力と想像力
小学校の頃から 世間一般の常識というか 興味のないものに対して
あまり記憶力が働かない男の子であったらしい。
小学校の上の方になっても 右と左がよく分からない。絶対の自信で言える
様になったのは 四年か五年くらいだったと思う。入学したての頃にも 先生
から 「 はる なつ あき ふゆ 」の順番が理解されていないようで、と報告。
随分と母を悩ませたという。 「 いい? 雪が降ったりした後には 暖かく
なってお花が咲いて モンシロチョウが飛ぶでしょう それが春 はる ですよ。
そのうちに 半そでになって 夏休み・・・ね? だから その時は 夏、なつ。」
「 うん なつ 」 「 そう 」「 でね もう少ししたら 涼しくなって これが 秋、
あき。 で また 雪が降る冬 ふゆ 」「 わかった?その繰り返し 」「 うん
わかった 」「 そしたら モンシロチョウの次は? 」 「 うーん 秋 」・・・・
なんて会話が何度も何度も続いたとの事。
( 父様と私の子供だから 知能が足りないはずはない。算数はいつも百点
なんだから 基本的には心配しなくてもいいはずだ。それにしても いったい
この常識の無さは どうしたものか。 )と随分 気がかりだったらしい。
二年生のある時には 当時の宿屋の目の前にある橋の向うから 「 ねーねー
かあさまー。あのねー 理科がねー 20点 」と大きな声で 走って帰ってきた。
恥ずかしくて 真っ赤な顔で動揺しつつ 一応 お帰り と抱っこして 「 あのね、
そんな事は 大きな声で言わなくていいんですよ。」と その答案用紙をみたら
これが 社会だったらしい。「 ひろとさん。これ 理科じゃなくて社会じゃないの
」とキツメに叱ったら 「 ふーん。理科にも 『 お米 』 が出てくるし、社会にも
『 お米 』が出てくるけー よう分からん 」程度の事だったらしい。多分、理科
の米は その構造の事で 社会の米は その植える時期や地域の質問だった
はずなのだが 僕には その理解が出来なかった。「 でも 算数はあれだけ
できるじゃない。だから 他も頑張れば いい点が取れるはずよ 」といえば
「 算数は答えが 一つだけ。さくらんぼ は理科にも 社会にも出てくるけー(
出てくるから ) わからーん 」と取り付くしまも 無かったと かなり後での
笑い話。
記憶力の子供と 想像力の子供 の二つのタイプがある。 あわせて
例えば10の力とすると、ほぼ全員 同じ10程度の力でしかない。
一度聞いたら 二度と忘れないという記憶力バツグンの子供は 現在の日本
では 学校在学中には 飛びぬけた成績を残すが このタイプの成長は
せいぜい20歳前後まで。
一方の 想像力が10で 記憶力が0のタイプの子は学校では まるで目立た
ないが このタイプの子の記憶力には クセ があって 興味のあるものに
対しては驚異的な記憶力を発揮する。このタイプの子には自信を上手に
つけさせて指導すれば 20歳半ばから 大輪の花を咲かせる可能性が
非常に高い。という話を聞いた。2時間かけて話されたものを こんなに短く
してしまい説明不足で誤解があってはいけない。が、 最後に このタイプの
子に対して一番気をつけなくてはならないのは 劣等感、俺は駄目だ
「 あんたは駄目よ 」の一言がこの子をどれだけ傷つけるか・・・その言葉に
つぶされる子がいかに多いか 真剣に考えて欲しい・・・。という内容だったと
記憶している。( 僕みたいな 記憶力に今一歩秀でていない者に対する
激励に聞こえたが・・・。 )
ありがたいことに 我が家の環境は 劣等感を植え付けられる方にはなくて
とにかく 信じよう。ほめて大きくしよう という母の哲学に支えられて 毎日
あかるく元気に過ごさせていただいた。
訳の分からない ゆとり教育 とやらに振り回されて 言葉は悪いが その
犠牲になった 数百万の子供達。思えば 僕達の三人の子供らもその渦中
にいたことになる。
野球にさほどの関心がなかった僕は ライトとレフトが これまた不案内で
中学校に入学後 しばらくしても大きな声で言えなかった。そんな宿屋の
おやじでさえも元気に過ごす事が出来ています。
基本的にオールシーズン、嫌いな季節はありませんが、泳げる夏は 素敵
だと感じています。
かわいいお子様をお持ちの 世のおとうさん おかあさん 彼らは間違いなく
宝物だと信じます。
あわてず さわがず わが子のいい所を探して 見つけ出して 取り返す
ことの出来ない時間の流れの中で 子供達と楽しい夏の思い出をつくって
あげてください。お願いします。
127. じゃらんじゃらん開催
昨夜は 七月の第一日曜日にて 湯本温泉の じゃらんじゃらんが開催され
ました。六月に続いての快晴の下フリーマーケットや夜市のエリアと19時半
からアコースティックのライブが いつものように始まりました。雨天の場合は
一度だけ一週間の延長と言う約束で、これで今年は四月、五月が一回延長
だったから 通算 二勝二負になります。二年前から妙に第一日曜が雨に
見舞われ始め それまで 僕を含め 自分は晴れ男だと自慢していた数人が
その事に触れなくなって随分になります。 僕の勝手なカンというか 思い込み
ですが 今年のこれからは 晴れが続くように感じます。おいおい またご連絡
致します。
ロペのマスターの骨折りのお陰で アコギの出席依頼も 増え続け 昨日は
6組の演奏者が 自慢の曲や ギターテクニックを披露されました。
毎月のように 湯本温泉の郷土料理のひとつを食材提供して頂き 昨夜は
たまげナスというビックリするほど大きなナスビを使った一品を出して頂いた
農林事務所様からの推薦で 防府から来ていただいたお二人や 小倉の
ライブハウスなんかでも時々歌っていると言う 半プロの女の子も登場し
楽しい1時間半でした。
これから 何回か 暑い夜の市が続きます。思えば 「 インドネシアでな
じゃらんは ・・・・ストリートという 通りの事。これが じゃらんじゃらんと続けば
散歩の事になるんじゃ・・・。」とどこでもかしこでも 何かにつけ力説された
スナック ポッパの上野マスターも 今は亡い。 そのお店のスナックも 女性が
継続して オープンされる事に決まったようで 湯本の住民として 感謝して
います。
それと 昨夜もおいでいただいた だいだいの花 の湊先輩の所でも 近いうちに
ミニライブを開催されるそうで 詳細が決定しましたら ご案内させて頂きます。
126.久しぶりの棚田
昨日 妻が急に 棚田を見たいと言い出した。
数日前、 ロペのママと友達に見学を誘われた時に都合が悪くて出かけられ
なかった事が原因らしい。
一昨日の事、ロペにM口先輩と寄って 僕は例によってウーロン茶を飲み
ながらその時の様子を聞いたら 少し霧がかかっていてよく見えなかったと
の事だった。 Mさんと マスターと 「 ずっと地元にいる者からすれば、今更
棚田百選と言われて 連れてってくれっていわれても、・・・・なぁ・・・ 」と
面倒くさい を、飲み込んで 話をした。「 たしかに 他の地域から嫁に来た
女性にすれば あれだけ マスコミに取り上げられたら 観たくなるんだろう
けれど 」という会話が続く。
そういえば 最近 あちら方面に行っていないなぁと思いつつ ハンドルを
握った。僕がちょっとした用事で遅くなったが為に 夕日の棚田には チョイと
遅すぎて申し訳ないことをした。いずれ近いうちに又運転するからと約束。
ただ 漁火・・いさりび・・は 思っていた以上に多くて これはこれで感動した。
いまから35年前 高校1年のオリエンテーションだったか 仮入学だったかの
時に仲良くなった 和田一正君に誘われて 夏休みに泊まりに行った事がある。
人丸駅からバスに揺られて30分ほど、山の中腹にある彼の家に着いて
すぐに家の前から続くダラダラ阪を降りて 海水浴。川で泳ぎを覚えた僕は
未だに海草が大の苦手。なんとなく モワッとしたものが ヒョイと出て
きそうで大きく旋回してしまう。その日の夕飯の後で いいもの見せてやると、
彼の部屋から出て家の前で すごいなぁ キレイじゃのー と声を上げたのが
この漁火の風景だった。 所謂 山育ちの僕にとって 刻々と変化する
海の映像は本当に珍しく 海と同じ高さではない かなり 上から見下ろす
という位置も その「 キレイ 」の一役を買っていたのかもしれない。
それから3年間 卒業するまで いわば その漁火に遇いたいために 何度と
なく 彼の家に押しかけた。
当時と違い トンネルや 道路が改修されて 随分 行き来も楽になったが
昨日は ワザワザあの頃のバス通りを走って帰った。あんなに美しい風景を
わが子供達は 眼にする機会を持ったであろうか。夏に それぞれが帰省して
きたら ぜひとも案内しなければいかんなぁと思いつつ。
125. 124を書いての思い出
いまから数年前に 朝からの雨で 開催か中止かでドタバタした思い出。
事務局が あちらこちらからの 電話問い合わせに困っているらしいという
情報が入り 何か手伝いでもと お昼頃、旅館協同組合の事務所に
駆けつけた。
確かに ひっきりなしに電話が入り 質問されるほうも こちらが応えられない
事がお分かりだろうに「 晴れますかねぇ 」なんてお聞きになる。こちらは
13時だったか14時だったかに 最終決定をしますという 取り決めだった
から ヘンな返事も出来ないし「 そうですねぇ。晴れてくれるといいんですが」
と、生返事。下関の気象台さんも「 夕方から 一部は晴れるでしょう 」と言わ
れるものの一部の中に 長門市が入るかまでははっきり言われない。
中途半端な やりとりを 繰り返すうちに 最終決定時間を迎えた。昨日台風
で延期していたために 今日できるならば 開催したいが こちらの本音では
あった。理事長から とにかく やろうと指示が来て それからは 気持ちも
ゆったりと対応し始めた。 その中で 当時の「 男の 」事務長だったか
朝からの電話攻勢に イライラしていたのか、隣のデスクでこんな事を言い
始めた。
「 先ほどから 少し晴れ間が 見え始めました。」 これには もう一人
手伝いにこられていた 六角堂の秋山社長と 顔を見合わせて 二人で
そろりと事務所から 外に出た。 ほぼ真っ暗な空を見上げて 「 随分
疲れたみたいですねぇ。朝から 電話のベルが鳴りっぱなしですからねぇ。
それにしても 誰が どう見たって 晴れ間は ないよなぁ。」・・・・・・・。
出産、を男が体験したら 93パーセントは狂い死にする。という たとえ を
聞いた事がある。 確かに大きな事業で 痛点が 他の部署の皮膚に比べて
10パーセントしかない、とか 誕生してからの母性愛で女性は あの大変さを
忘れられるから二人目 三人と子供が生める。等など 女性特有のいろいろな
話を耳にする事もある。
ありがたいことに 僕は 以前から 土壇場では 女性のほうが馬力を出す
強い という各種話を聞いて知っているから ケンカになっても すぐ 侘びを
入れる。男の面子なんか 考えない。随分前に 書いたが、 ただし これは
二人だけのときで 子供の前では( 後でぶんなぐっていいから )その場
だけは僕を立てて欲しいと 見合いの後のデートでお願いしていた。
つらい状況の「 男の 」事務長を 応援するため それから後は 「 曇るのを
期待して とにもかくにも スタートします 」と始めた。 さすがに
晴れ間ウンヌン は「 男の 」事務長に任せた。
スタート時での女性の踊り参加者は激減したが 途中から時々 曇りだして
なんとか終了。
みなさん 電話されても 晴れる訳ではありませんから・・・・。
決定時間前に何をアレコレ言われても どうにもならない事がありますから・・・・。
男って意外と弱いシロモノですから・・・・・・。
出産の話をきいた ある男が 同じ体験をするには・・・と医師に質問したと言う。
聞くほうも聞くほう。応えられたお医者様もお医者様。
「 両方の手で 下くちびるの左右をつかまえて 真っ直ぐ 上に上げる。
グッとあげ続けて、頭の後ろを過ぎて首の後ろまで届けるくらいの体験。 」
だそうで・・・・・・・・・。
124. 第一回 納涼祭実行委員会
昨夜、本年度の 表記委員会が開催され 80名程が集まりました。
今年の実行委員長は ホテル西京の 兼安社長です。
大体の骨組みは 例年の通りですが 今年もまた 「 湯本温泉音頭 」と
「 いい湯だな 」 「 輪になって踊ろう 」をベースに 皆さんと楽しく
踊りたいと思います。
「 輪( WA )になって踊ろう 」という曲が世に出て 随分になりますが
それまで その年の流行曲を一曲使うっていう枠が外れまして 毎年継続で
選んでいます。
曲の動きがかなりハードなのですが 前後の方々とチョイと手をつないで頂く
シーンがあって 最初は少し遠慮気味に踊られている方々も 終わり頃には
ワイワイとにぎやかに イェーイと騒がれている様子が 見ていても和やかで
ほほえましくて 何度か前出の 上野先輩が「 たとえ いい湯だな を
やめても これだけは継続させよう。」と旗振り。 かたや いい湯だなも
初心者の方にはとっつきやすく すぐにでも踊れますので捨てがたく この
数年 この三曲で楽しんで頂いております。
昨日も 質問が出たのが 雨が降ったときの延期の判断。「 数年前に
大雨で全員のウチワの紙がはがれてしまい 骨だけになりながら 尚
中止しなかった 」という前歴からも ほぼ中止は無いと考えて頂いて
ご参加下さい。楽しみにしております。
思えば 高校時代の 初めてのお酒を飲んでの珍道中( 46 )。 スタート
して42周年。昭和49年から いままでずっと さだまさしさんの 往年の
ヒット曲 「 精霊流し 」をBGMにして灯篭を流している地域は 多分全国
でもここだけではないかと 宿屋のおやじが 自慢している、
湯本温泉の納涼盆踊り大会は
本年 8月11日(土)の20時にスタートです。