111. 講のまつりにて | 宿屋のおやじ日記

111. 講のまつりにて

全国の旅館のある会の総会から帰宅して 「 講のまつり 」に出席しました。

地域地域にあるようですが 冠婚葬祭の時の互助のような事からスタート

したようで 湯本地域でも 歴史の一番古い 「 東側講中 」という名の講に

14軒が所属しています。

荒神様のまつりが一度 地鎮祭が二回 都合年に三回程 14軒の当主か

それに準ずる者が集まって おまつり後に 世間話をしながら直会・なおらい・

と続きます。30代の始め頃に ほんの何度か 父の都合で出席させられて

独特の言い回しの挨拶が苦手で 逃げ回っていた時代もあるが そんな僕も

今では 年齢も中堅クラスになり ガヤガヤと各種会話に口を出すように

なった。


 子供の頃から お葬式の時に 大人同士が 頭を下げながら 「 この度は

まことに・・・」から続く言葉が聞き取れなくて( 何を言っているのだろう。お互い

が やりとりをされている以上 子供が理解できない 何らかの言葉があるの

だろう )と 思っていた。大学時代の帰省中にご近所でご不幸があり その

ご家族には失礼ながら、その御葬儀の時にその事を思い出し( 今回は 

何とかその大人言葉を聞き取ろう )と耳をそばだてて聞いた事がある。

結果 何の意味もない。というか きちんとした言葉を発していらっしゃらない

事が理解できて、 なーんだ と残念だった。子供時分から 兄弟げんか

でも キチンといいたいことを言いなさい。語尾をハッキリしなさい。

という環境で育ったから 「 御愁傷様で・・#%&”{$ ・・・・・あっ  」
「 ・・・どうもどうも$&%#・・・・えー 」というやりとりが少し残念ではあった。

勿論 場所がお寺である事が多いから あえて大きな声を出す必要もないし 

気持ちは通じているという前提の下に 出来上がっているコミュニケーションだ

と理解はしているから否定する気持ちではない。

それが分かってからは 「 どうぞ お気を落とされずにお過ごし下さい。 」

までの言葉を 僕なりに工夫をしてお伝えするように心がけて来た。勿論最初は

シドロモドロだったが 次第に言えるようになってきて喜んだ時期もある。

その あちこちの場での挨拶に 強いての意味がない 、というと語弊があるが 

さほど気をつけなくてもよい事に気付いてから 各種パーティや 父の代理と

しての行事の出席が 苦にならなくなった。


で いつも この 直会で話になる事。それは この組織の歴史がつづられた

木箱の中身である。各家が頭屋・とうや・となって 持ち回り大切に保管する。

これだけは第一に守れという 掟というか 言い伝えがある。

縦20センチ 横50センチ程の木の箱の中に 厚さにして 30センチほどの紙の

束が存在する。 これは このまつりに その時に出席した 各14軒の何代も

前のご先祖の名前が その時に集めた金額とあわせて 淡々と記入されて

いる。今は3,000円とお米3合。で、すごいのが その時の年号で 一番底の

ものはほとんど黒くなっていて いま 何が書かれていたか記憶にないが 

随分前に皆で見せてもらったときに 文久 とか 安政なんてのが 試験でも

身近であったから妙に記憶に残っている。


で昨日もその話になり この木の箱を作った者として 底板に名とその金額が

書かれている そのひ孫のそのまた孫さんかの 大工の棟梁と 話したのだが 

浦賀にペリーが来た時も 我らが ご先祖様は 「 ペルリとやら言う外人が

きたげな( きたらしい )。どねー( どう ) したもんかのー。」なんて話が

出たんですかね???」 に 皆 大笑い。 いずれにしても 自分の血の

出所が目で確認できることは それをつないでもらったご近所の皆様への

感謝もこめてありがたい事だと 思っている。 いつかこの流れを わが子も

理解してくれるのだろうか。