59. 「煙草」 の思い出
何時から吸い始めたのか よく覚えていない。
ハッキリしているのは 長女が お腹の中で胎動を始めた
昭和59年5月15日に その習慣がなくなった事。
高校に入学してまもなくの頃か、夏休みであったろうと思う。今から思えば
いわゆる 金魚 で、口に入れたものをすぐ吐き出す繰りかえし。お正月の
寅さん映画鑑賞の習慣で映画を観ながら煙をくゆらせている人も多く (
高校に入ったら吸ってみたい )が単純な動機。こっそりトイレで吸いつつ、
バレてはいないと思っていたが いくら窓を開けて 手をうちわ代わりに
あおってみたところで家にコモる あの匂いに気がつかないはずはなく・・・・
・・と最初の帰省のときにコチラが気付いたが 看護婦( 当時の呼び方 )
だった母と、旅館のおやじより歌手になりたくて家出を2回体験した図太い
父のお陰だったか 一度も注意された事がない。 何章か前に書いた
当時東京の医学部に在籍していた従兄の家で入試が一段落した折に
カッコつけて「 ねぇ、煙草吸っていいかねぇ。 」に「 おう イッチョ前に
やってんのか。遠慮するな 」と 火をつけるのもたどたどしくスパスパ始め
たら 「 ナンだ、弘人。お前、金魚じゃないか。もったいない。あのな 息を
吸いながら肺まで入れてみろ 」 「 フーン 」と2度ばかりフーっと吸った
ろうか みるみる目が回り始めた。あわててトイレに駆け込んで30分くらい
ジッとしているハメになった。
初めての子供ができても 妻に対する配慮もなく、依然と毎日3箱ほど吸い
続けていた。 胎動もはじまったょうで いつか 僕にも触らせて欲しいと希望
しつつチャンスが無かったのだが 運命の5月15日の14時頃 動きそうだ、
という妻の一言に早速手を当ててみたら、初めてこんなに動いたと感心する
くらいに手や足でアチラコチラを蹴ってくれた。 子の誕生を知らされてからは
毎日お腹に手を当てて「 もしもし おとうさんですよ。初めまして。・・・・・」と
会話するのが習慣であったから この時の驚きは ハンパじゃなくって その
まま 喫煙癖がなくなった次第。煙草を吸ってた人には理解できるはずだが
食後の一服 風呂上りの一服が これまた 至福のというくらい 美味いので
ある。これがその日旅館が暇な日で 夕方におフロに入ったが ( 吸おう )
という気にならない 御飯を食べて 目の前に 煙草があるのに 吸いたくない
のである。 それっきり 一度も煙草を持った事が無い。
目の前で煙草を吸う僕に向かって 「『 たぱことか お酒がどうしても止めら
れない 』という人は 心のどこかで 何か満足していない 何か心の引っかかり
があるはずで 心底 有難いなぁ 嬉しいなぁ という心境になったら 自然に
そんなものは不要になるはず 」と、言い続けた 母の勝ちというところかなぁと
今は 長女に感謝し その体験を 機会あるごとに話している。
思えば 三高といい 背の高さや学歴や あるいは 喫煙くせや いわゆる
外見で主な判断をされていたら 僕は 該当外になっていたのかもしれないが
全てを 否定せず 容認してくれて 結婚してくれた妻に心から感謝している。