幼い頃から私は歌うことが好きだった。



母親が音楽教師だから家にはクラシックの
レコードがたくさんあったし、唱歌のCDも
山ほどあった。



故に音楽は私にとって、とても身近なものだった。



だから小学生のときに合唱団に入った。



母親を喜ばせたい気持ちもあったし、
自分でも歌うことは嫌ではなかったから。



でも、10歳の私はすぐに後悔した。



毎日の朝練、土曜日も練習で
日曜日はコンクールやイベント等への出演。



次第に合唱団は私の重荷になっていった。



でも辞める勇気がもてなかった。



その合唱団を作った先生が私の母親と
音大で同窓生だったから、とても辞めるとは
言える雰囲気じゃなかった。



誰かの期待に応えるため、と勝手に頑張って
歌うことが苦しくなっていった。



だから中学では音楽をやらなかったのだけど、
当時のビジュアル系ブームにがっつり
乗ってた私は高校で軽音楽部に入った。



最初はボーカルだけ。



後からギターも弾くようになった。



学祭でライブをしたら他校の生徒に
かっこよかったよ!と声をかけてもらえたり、
友達にもたくさん褒めてもらった。



だけど、バンドメンバーには裏で
悪口を言われていた。



偶然聞いてしまったときの衝撃、苦しさは
今でも忘れられない。




歌うことが好きなのに、歌うことに
あまりいいイメージがない。



そんな私だった。






だけど、やっぱり歌いたかった。



コバマス88期。


24人の親友たちの前でどうしても
歌いたい曲があった。



Kiroro 「Best Friend」




こんなにたくさんの幸せ
感じる時間は 瞬間で
ここにいるすべての仲間から 
最高のプレゼント


まだ まだ まだ やれるよ 
だっていつでも 
みんな側にいる


きっと今ここで 
やりとげられること 
どんなことも力に変わる


ずっと見守っているからって
笑顔でいつものように抱きしめた


みんなの笑顔に 
何度助けられただろう
ありがとう 
ありがとう 
Best Friend




最後は自分が笑ってしまった。






歌うことで愛された。


とても幸せな時間。






過去がこの日を迎えるための過程ならば


それも悪くなかったと今は言える。