引退会見が終わって数日経ちましたが、なんでしょう、この感じは。。。

 

まだあの時の清々しく温かな会見の余韻が、体の中に残っているような感覚があります。

 

晴れやかな表情で、本当に晴れやかな引退会見でした。

 

なんてスッキリとしたいいお顔、一点の曇りもない清々しさで、かつ和やかで温か。

 

リアルタイムで見ていましたが、時間が経てば経つほど、体の中に残っている温かなものを感じるという不思議。

 

私の体に残る何か温かなもの、清々しいもの。

 

これこそが、「真剣勝負の先にある美しいもの」なのかも。

 

もちろん、わたしはただの観戦者としての実感で、アスリートの実感とはまた違うんだろうけれど、長く見続けてきて、その最後の会見で、なんと「美しいもの」を体の中に残してもらったんだろう。

 

そんな感覚でいます。

 

感謝しかないです。

 

 

 

 

会見を見ていてまず思ったのが、めちゃくちゃ個人的なのですが、「こんなふうに何かを終えてみたい!」でした。

 

未練は全くなく、いいことも悪いことも丸ごと抱きしめてその全てを愛せるような、終え方。

 

こういうのを、想像したことがなかったし、一つの理想の形を見せてもらったという気持ちになりました。

 

これは試合ではないのだけれど、この会見そのものも、昌磨さんのかけがえのない日々が行き着いた、すばらしい到達点のように思いました。

 

 

 

あらためて心に残ったのが、ゆづくんとネイサンの存在の大きさでした。

 

思い出すのは、結弦さんに勝った全日本の表彰台で、涙を拭う昌磨さんの姿です。

 

「オリンピックよりも、ゆづくんに一度でいいから勝ってみたい」そう言っていた昌磨さん。

 

当時結弦さんも、「ちゃんと負けたんで、嬉しい」というような発言をしていて、それは、今シーズン、アダムやゆまちやマリニンに負けた時の、嬉しそうな昌磨さんに重なるものがあります。

 

人として彼らのことが大好きだった昌磨さん。

 

会見では彼らの人間性を讃えていたのも印象に残りました。

 

 

 

 

 

彼らの引退と休養後、ここ2年は、「とても苦しかった」と聞いた時、真っ先に思い出したのは、埼玉ワールドの昌磨さんでした。

 

どこか「閉ざした」印象を持ったのは、間違いではなかったんだと思いました。

 

私自身、世界一になったことを喜びつつも、昌磨さんの苦悩は続くのだろうとなんとなく察して、この先心身ともに健康であってほしいと願ったのを思い出しました。

 

心身の健康を支えるのは、ファンでも国民でもなく、周りの人たちにしか成し得ないことです。

 

ステファンやチームスタッフ、家族や恋人の存在が、彼を力強く支えてきたのだろうと思います。

 

嬉しいことに、わたしの心配は杞憂に終わりました。

 

周りに恵まれた、と昌磨さんは言います。

 

自分の周りに「温かな人間関係を築く」というのは、人の幸せの最終地点なのだそうです。

 

それを築くことができた昌磨さん、本当に素晴らしい競技生活でした。

 

心から、おめでとうございます。

 

 

 

 

話は逸れますが、最近Youtubeで見て心に残ったのですが、80年以上続くハーバード大学の研究で、もう4代目の研究者が研究しているそうなのですが、「人間の幸福」についての研究の話を聞きました。

 

それだけ長い期間、たくさんの人の幸福について研究をしてきて、あることがわかったのだそうです。

 

幸福な人には、たった一つの共通項がある、それは「温かな人間関係を築いている」ということだそうです。

 

昌磨さんを応援していて、幸せだったと思うことの一つは、周りの人たちと温かな人間関係を築いている様子を、たくさん見せてもらえたこと。

 

その波動は、間違いなくわたしのところにも届いて、いつも心が温まりました。

 

 

 

 

もう一つ、会見を見ていて感じたことがあります。

 

質問されるとよく昌磨さんは、「僕は」ときちんと主語を入れることが多いです。

 

空気を読む国民性もあり、なんとなく答えてしまいがちな傾向が、誰にでもあると思うのですが、「僕は」と主語を入れることで、彼は自分の考えを誠実に述べようとしているのがすごく伝わってきました。

 

今まで以上に、それを感じました。

 

 

 

これから先のことを考えると、プロスケーターという肩書きではあるけれど、今まで以上に、もしかしたら、たくさんの人たちの目に触れることになるかもしれません。

 

そんな時に、昌磨さんの持つ波動がもっとたくさんの人に届くのだろうと思うと、ちょっと嬉しくなります。

 

大きく言えば、世界に良い影響を与え続けるんだろうなという予感しかありません。

 

 

 

 

最後に、わたし自身、まだまだ昌磨さんのこれからを、応援していきます。

 

そして、競技としてのフィギュアスケートも、楽しみに見続けていくと思います。

 

ただ、競技の世界の中に、推しの存在がいなくなってしまったのは、れっきとした事実です。

 

しばらくは、ど緊張することなく試合が見られそうで、それを楽しみたいなとは思ってます。

 

身軽になったので、あちこち遠征もしようと目論んでもいます。

 

そうしたらそのうち、病気にかかるように突然に、そういう存在として、誰かを応援し始める日が来るような気も、しています。

 

その日を楽しみに、まだまだフィギュアスケートを楽しんでいきます!