自宅マンションは築20年。
うちと同じような世代が子育てを終えていく中、時々、若いご家族が引っ越していらっしゃいます。
第2世代と呼ばれている子育て世代が、一家、また一家と新しく引っ越してきて、小さな子供たちが増えて、目に耳に、その姿を楽しませてもらっています。
何年か前に引っ越してきたご家族に、男の子の赤ちゃんがいて、その子があまりに可愛いので、エレベーターで一緒になるたびに、わたしの目はその子に釘付けでした。
先日、買い物から帰ってくると、その子が、マンションの入り口にいました。
黄色いカバーのついた真新しいランドセルが足元にあったので、もう小学生なんだ、大きくなったなぁと思って近づくと、その子は真っ赤な顔をして泣いていました。
オートロックの玄関前にいるということは、どうやらマンション内に入れないようです。
どうしたの?と聞くと、「鍵がないの」と言います。
そして、泣きながら、ランドセルと手提げの中を探しています。
おうちに誰かいる?と訊くと、ばあばがいると言うので、家の番号を押してみたら?と言うと、そのやり方を知りませんでした。
入学前までは家族と一緒に外へ出ていただろうから、部屋の番号を押すことは経験がなかったのでしょう。
一緒に部屋の番号を押し、呼び出しボタンを次に押すことを確認して、おばあちゃんを呼び出すことができました。
それで事なきを得たのですが、わたしはその子が言った言葉が胸に刺さって、その子と別れた後も、頭で反芻してしまいました。
小さな可愛い男の子は、泣いて泣いて、しゃくり上げながら、こんなことを言ったのでした。
「僕はやっぱりちゃんとできなかった。ちゃんとできなかった。」
男の子は何よりも、自分自身に失望していたのでした。
きっとママと「ちゃんとできる」と約束したのでしょう。
ああそんなことで自分にガッカリしないで。
大したことじゃないんだよと言いたかったけれど、全身で失望している男の子に、どう言葉にしたらいいか、思いつきませんでした。
「大丈夫、大丈夫、頑張ったね。頑張ったよ。」
と励ましながら、わたしは自分自身を猛烈に反省していました。
ああ、わたしもどれだけ子供たちに「ちゃんとやる」ことを強要してきたか。
それができなかった時に、こんなにも子供は全身全霊で自分に失望するのに。
特に長女は、それがトラウマにすらなっていることを、最近思い知ったばかりです。
はあ〜、もう一度やり直すことはできないんだなぁ。
人生これからの小さな可愛い男の子は、ばあばの顔を見ると、一層大きな声で泣いてどんどん顔が真っ赤になって、どうしたの?と訊くばあばに答えることができません。
これは無理そうだと思ったので、状況をおばあちゃんに説明をしながら、わたしはまたもや猛烈に反省したのです。
こうしてよそのお子さんであれば、たとえ説明であっても、本人のプライドを傷つけないように言葉を選びながらすることができます。
しかしながら、わたしはどれだけ、自分の子供たちのプライドを傷つけるような言葉を言ってきただろう。
はあ〜、もう一度やり直すことはできないんだなぁ。
わたしは、最近ようやく、長女にごく当たり前の接し方ができるようになりました。
こんなに長い時間かかって、、、
主人が長女への接し方を変えたことによって、初めて、この二人の緊張関係から解放されて、あらためて長女という人間を、余裕を持って、見つめることができたのです。
そして、初めて、自分の言動が、どんなふうに長女に影響を与えていたのかが見えてきました。
愕然としました。
こんなことを27年もやっていたのかと。
あの可愛い小さな男の子くらいの年齢で気付けていたら、まるで違った人生を歩んだんじゃないだろうかと、涙が出ることもある。
ちゃんとやらなきゃと頑張ったのに、「やっぱりちゃんとできなかった」ことで、長女は自分をどれだけ責めてきただろう。
全然大したことじゃないのに、どうしてわたしは、大ごとのように責め立ててきたのだろう。
今は、言葉を発する前に、一旦立ち止まって考えます。
全くもって、「今さら」ですが。
でも、今から始めるしかないんです。
もうあの可愛い時期は終わってしまったのだから。
それでも、長女は自分の「今」を幸せなものとして捉えています。
それが救いです。
最近、長女の部屋の空気が違うんです。
断捨離をしたとか直接的なこともあるのですが、それだけではなく、いい気が漂っています。
清々しくて、オープンで、思わず入りたくなるような。
今まで、全く逆の雰囲気だったから。
よくここまで辿り着いたね、ほんとよく頑張ったねって、大人でなければ、いっぱい頭を撫でてあげたい気持ちになるんです。