次女が家にいないと、家の中の「気」が動かない。
テレビがついていても、家族とおしゃべりしていても、どこかシーンとしている。
外から「気」を持ち込む人間がいなくなってしまった。
主人は家で仕事をしているし、長女も遅くに疲れて帰ってくるだけで最近は仕事の話もしないし、長男もいつも同じテンションで帰ってくる。
みんな大人なんだな。
考えてみると、ありがたいことだ。
小さい子供が帰ってくるなり「お母さん、聞いて聞いて」と言ってくる、あの感じが、次女にはまだうっすらと残っていたんだなぁということに、今さら気づく。
早起きする必要がなくなり、私の生活時間も遅い時間にシフトした。
生活時間帯が家族みんな同じになると、家事もうんと楽になった。
たった一人いないだけで、掃除も洗濯もあっという間に終わってしまう。
台所に立つ回数は減り、晩御飯のおかずは一品増えた。
次女の嫌いな食材を意識しなくていいとか、モノを移動するのに本人に確認しなくてもいいとか、ほんの小さなことで、家事の煩わしさは驚くほど減った。
次女の引っ越しは楽しかった。
長男と次女が仲良く家具を組み立てているところを見て、泣きそうだった。
嬉しい気持ちで新しい生活を始める次女のワクワクが伝染して、みんながワクワクした嬉しい気持ちで作業した。
直前に大暴れした長女が心配で先に帰った主人は、短い滞在だったから余計に、心底楽しい時間だったと言う。
今すぐにでも次女に会いに行きたいのが、顔を見ていてもわかる。
ちょっとおもしろかったのが、引っ越しの時点ですでに次女は「お金の管理」を始めたことだ。
「誰も見てないならテレビ消して。電気代がもったいない。」と言った時は驚いた。
お金の使い方、お金に対するスタンスは、子供たちそれぞれみんな違う。
持って生まれた性格のように、最初から決まっていたように私には感じられる。
ルーズになりがちな長女に比べて、次女は締め屋で堅実、長男はお金に関心が薄い。
お小遣いをもらうと、欲しいものリストのトップからパパッと買ってしまう長女と、計画して最後まで残しておく次女。
決められた仕送りで生活することに不安はない次女である。
引っ越しから帰ってきた翌日に、次女の部屋を、長男の部屋と入れ替えた。
引っ越し前に、数回にわたって断捨離したはずの次女の部屋だったが、まだまだモノにあふれていて、入れ替え作業は、引っ越し以上に大変だった。
だが、勢いのまま一日で入れ替えた。
長男の部屋は、とりあえず、物置にすることにした。
次女の部屋は窓が二つあって陽が入る気持ちのいい部屋で、長男の部屋は陽が当たらずエアコンのない部屋だった。
長男は留学先から帰国した時に空いていたこの部屋に入って以来、5年以上になる。
久しぶりに、陽が入る明るい部屋に移動して、気分がまるで違うと喜んだ。
今、主人は長女に対して、親切な状態を意図的に保っている。
そもそもソリが合わないのだから、その方が不自然ではある。
しかし、そんな意図的な不自然さの中から得られるものがあった。
主人が自分の感情を出さずに長女を観察し始めた。
すると、いつも二人の間の緊張状態にばかり気を取られていた私も、長女のことをじっくり観察することができるようになった。
長女の思考の癖、行動の癖、その根本的な理由がだんだんと見えてきた。
どうして弓道で「はやけ」になったのか、どうしてメンタルに苦しんだのか。
ああ、どうして今までわからなかったんだろう。
ほんの些細なことだと思ってきたことが、長女にとってどれだけ大きなことだったかが見えてきたのだ。
こちらからしたら小さなお願い、小さな確認。
責任感の強い長女は、そこを軽く処理できない。
そのプレッシャーから感情が大きく揺れ動く。
その責任を果たすために、あらゆることが揺らいでいく。
揺らいだ波が強すぎて、責任を放棄することすらある。
それが見えてきたら、こちらが取るべき態度は、自ずと決まってくる。
長女の「扱い方」と言っていいのか、そういうものが今、ようやく見えてきた。
ああ、なんてこと、27年もかかってしまった。