名張藤堂家の後は、上野城へ…

上野城は裏から見る高石垣が見ものでしたグラサン

{533BE185-421C-4972-9B21-38B177630E49}

{DA2E6754-1F3D-4885-9A40-7DA36916A07D}

上野城の周りにある高校、小学校は昔のつくりを残した設計で風情がある!
しかもすれ違う学生さんの多くが『こんにちは!』と気持ちよく挨拶してくれて、人の良さも感じましたおねがい

{A5BDD53E-438A-493E-B445-AE5289B459D2}

{091A2355-BF5E-4E32-BC45-EF279A09596E}

{5F1E972F-1D3A-413C-BF7D-E6A8DD8712C6}

{4B23D6F0-CA09-408F-B16A-85A58CC94E33}

駐車場が500円。入場料が500円でなかなか割高…

{ADE4802E-5DC0-4FCE-8392-6F2430ABECE8}

藤堂高虎の兜

浅井長政から始まり、豊臣秀長→秀吉→秀頼から、急転して家康に仕え、君主を何度も変えて大大名にのし上がった藤堂高虎。
藤堂家は幕末でも、幕府側を裏切って維新側に寝返るなど、良くない印象を持つ人も多いが、現代の『先見性』『処世術』という点では右に並ぶものはいない方です。

{E39BF0F5-9CA1-468E-BDBE-7F601BCE5341}

高虎の『三つ餅』
高虎が貧困で、士官先をさがして近江からに行こうとしていた時、三河あたりで空腹で餅屋の餅を盗み食いした。
餅屋の亭主はそれを許して、さらに銭まで持たせ、西に帰って親孝行するように忠告した。
高虎はその通りに西に帰り、秀吉(最初は秀長)に仕えた。
恩を感じた高虎は、三つの丸餅を書いた軍旗をつくり、32万石の大大名になった。

{7C4B3EB2-B896-4287-A88C-E22F10FD7068}

{C08B3F84-B0AC-4A52-A21E-74A3429A0552}

藤堂高虎の調度品など、たくさん展示されてて見ものでした!