大東亜戦争終結を告げる玉音放送阻止に陸軍将校が決起するも、この宮城(きゅうじょう)事件、クーデター未遂事件を鎮圧された、田中静壱陸軍大将。未遂であったからこそ、戦後復興も諸外国が驚くほど驚異的なスピードで達成。

 

 

作家・半藤一利先生の代表作「日本のいちばん長い日」にも、反乱を企てた少佐を大将が一喝される場面があり、2度の映画化でも重要シーンとして描かれます。

 

 

 

幕末、江戸城無血開城を実現させた勝海舟先生もそうでしたが、争いや戦争を止めた方こそ功労者ですが、何故かあまり知られていません。

 

大将は兵庫県たつの市ご出身、陸軍士官学校からオックスフォード大ご留学、駐米武官としてワシントン赴任、ルーズベルト大統領、当時は陸軍参謀総長、マッカーサー元帥とも交流、後の連合艦隊司令長官・山本五十六閣下とも親交がありました。

 

日本の降伏、ポツダム宣言受諾を阻止しようとした将校達は、近衛第一師団長森赳陸軍中将を殺害、師団長命令を偽造し、宮城(皇居)を占拠するも、陸軍首脳部を説得できず断念、大将は8月24日に責任を取り自決されます<(--)>

 

かつて石原慎太郎先生は学生時代、昼間から泥酔しアイスキャンデーをほおばり、我が物顔でのし歩く米兵たちから一般市民が逃げまどうのに対し、彼らを無視し、堂々と商店街の真ん中を歩いていたところ、米兵からアイスキャンデーを投げつけられ、その後石原先生は、校長先生から厳重注意され、先生は「戦前、私達にお国の為に死ね!鬼畜米英!と言っていたのに何故ですか!」と問いただしたところ、校長先生に「今は我慢の時だ!」と言われたとご生前に語られたそうです・・・

 

大将のご出身のたつの市では戦後、顕彰の動きが盛んになり、龍野公園に顕彰碑、JR姫新線・本竜野駅前にも大将を「平和日本再建の礎」とたたえる石碑、大将のような「陰の功労者」がいらしたからこそ、戦後日本は諸外国も驚くほどのスピードで戦後復興達成するも、世界では戦争が絶えたことがなく、【戦後】とは「日本でしか通用しない言葉である」と多くの先生方のおっしゃる通りです<(--)>合掌