この作戦の背景には、1937年からの日中戦争があると言われ、1941年に開戦、宣戦布告、日本は中華民国を援助する英国植民地・ビルマに進軍、インパール作戦は、「英国とインド軍の侵攻作戦を防ぐこと」、「インド領内に拠点を確保」、「英軍の反攻拠点のインド・インパール占領」を目的に、昭和19年3月に作戦開始。

 

陸軍第15師団(祭兵団)、31師団(烈兵団)、33師団(弓兵団)の計10万人の方々はほぼ壊滅状態となり、同年7月に中止。飢餓、マラリア、赤痢で3万名の方が亡くなり、戦傷病者は4万5千、白骨街道とも呼ばれました<(--)>

 

無謀な作戦の代名詞、犬死、無駄死、大東亜戦争の作戦の中でも「最も失敗した作戦」とも言われますが、先の大戦では私達のご先祖様は自衛のため、アジア解放のため戦われたのであり、戦争反対、非武装中立などと言う売国左派のように、【靖国のご英霊に犬死、無駄死などと決して言うべきではない、大東亜戦争とは日本の自衛のみならず、広くアジアを植民地支配から独立させた聖戦】と強く思い、感謝しております。

 

インパール作戦を、ナポレオンとのワーテルローの戦いよりも、スペイン無敵艦隊のサラトガの違いよりも、ナチスとのダンケルクの戦いよりも偉大な戦いであったと高く評価しているのは英国の軍事評論家、英国がインドを失ったのもインパール作戦によるもの。日本軍に撃破された英軍を見たインド国民軍は勝利を自覚、インド独立を目指した国民軍将兵が英軍に国家反逆罪で裁かれることになり、インドの民衆が怒り、反英運動の全土拡大、チャンドラ・ボースが設立し、日本軍が指導したインド国民軍の勝利。(弁護士・徳永信一先生、他)

 

2014年の来日時、モディ首相はインド独立の為に戦った三隅佐一郎さんとの対面に、心から感謝されていた笑顔も記憶に新しいですが、マスコミは殆ど報じませんでした(怒!!)

 

「太陽の光がこの地上を照らす限り、月の光がこの地上を潤す限り、夜空に星が輝く限りインド国民は日本国民への恩を決して忘れない」

インドの最高裁弁護士プラン・ナス・レイキ先生

 

チャンドラ・ボース氏の眠るお寺【頂光山 蓮光寺】東京都杉並区

 

インド首相のほぼ全員の方が参拝されているそうです。

最寄り駅が地下鉄・東高円寺、私の事務所もこの近くであり、是非、お越し下さい!