特攻隊の最後の通信を受信する、鹿児島県鹿屋市の第一電信室。
突入を知らせるため、信号機のスイッチを「ツー」と押し続け、途絶えた瞬間がご散華。電信室勤務の方は「戦後もモールス信号音を聞くと胸が締め付けられる思い」、特攻隊の方々のご遺言、「形見は残したくない、母を泣かせるから」、「もうプロペラが回っています、出撃の時です」・・・貴きご神霊の上に、日本があります<(--)>
76年前の今日。1945年4月12日,知覧飛行場にて。特攻に向かう穴澤利夫少尉の「隼」を見送る知覧高等女学校の生徒たち。ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。 pic.twitter.com/DHvJy7igQM
— Hidenori Watanave, Ph.D. (@hwtnv) April 11, 2021