裏庭日記 -9ページ目

男鹿和雄展へ(私達のトトロの森へ)

今、札幌芸術の森美術館で「男鹿和雄展」がひらかれている。
昨年、東京都現代美術館で大変話題を呼んだ展覧会だ。
会期迄にいつか行こうと思っていたところ、前にお世話になった職場の先輩から誘われて突然見にいけることに。



男鹿和雄さんと言う名前は初めて耳にする人の方が多いと思う。
しかし、彼の作品は今や日本で育った子供なら全員と行って良い程、目に親しんでいるはずだ。
一見、超リアリズム的風景画の展覧会のように見えるが、すべて、アニメーションの為に描かれた背景画。
中でも有名で、誰もがしっているだろうと思うのが、「となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」などのジブリ作品。

キャラクター達は透明のセル画の中が主な居場所。背景画は背景画で独立していて、そのなかで物語を演じるキャラクター達の舞台のようなものか、、、キャラクターのいない背景画は、不思議な静けさを放ち、でも確かな鼓動を拍しながらそこに在る。
風や雨の匂い、小鳥の声、夜のひんやりした温度までもが伝わってくる。
ここまでの表現をするのに、きっと特別な絵の具や道具を使っているのではと思うのだが、男鹿さんが主に使うのはニッカーのポスターカラーだったというのがとても印象に残った。
全てが驚く程の緻密さと完成度の高さに、思わず「すごい、、、」とつぶやきながら展示室を巡った。
作品のサイズは大半が机におさまる程度の大きさ。中には、上下や左右に流れるカメラワークのために縦長や横長、また、斜めに長いタイプのものもあって、それが使われたシーンを記憶の中から探しつつ、彼等による手作りアニメの一端に温かさを感じたりもした。

私も子供の時は漫画家かアニメの世界に入りたいと、そこで活躍する自分を思い描いたりしていた時もあった。
私達の世代は、ほとんどの子供が最初に影響を受ける絵は漫画、アニメだろうと思う。
また同時に、森との共存の暮らしからかなり離れた環境に生まれ育ったともいえる。
現代の子供達は、私達以上にそういう面が強いのではないかと思う。
人間の世界は経済やより良い効率化の為に人工物にかこまれどんどん加速していく。しかし、そのすぐ隣には人工物なんかよりも計り知れない力を持つ山や海などの自然がこちらを静観していて、私達もそれを心のどこかで知っていながら、そこへ戻れないでいる。
人の心の問題や、日本の自給率の問題等、もしかしたらこれから昔に戻らざるをえない経済状況になるかもしれない。森が勝ち誇った笑顔を浮かべながら手招きをしている。しかし、そこへ戻る前に、これまで忘れていた子供のような無垢なたくましさを取り戻さなければならないと思う。
そういう時代に、男鹿和雄さんはじめ、宮崎駿さんたちが作る良質なアニメを見れる環境にあって、つくづく日本の子供に生まれて良かったな、、、と感じた。

今公開されている宮崎駿さんの再新作「崖の上のポニョ」の背景画にも男鹿さんが参加しているという。
このお話の世界観の為にタッチを変えて描いたというのも興味深い。
公開が終わる前にできるだけ映画館で見てみたいと思っている。




始動

雨の続いたじめじめした日々から一転、今日は朝からずっと太陽が出しゃばっていた。
空が高い。
こんな日はジェッソの乾きもよいので、小品の完成から少し止まっていた支持体作りを開始した。
ジェッソのもとは膠液と今はボローニャ石膏(以前は白亜と名前の付いたものを使っていたが、他にも類似する成分の粉が何種かあることを知り、いろいろ試している最中)。
暑い夏はジェッソが腐敗しやすいので、様々な大きさのパネルを並べていっきに塗ってしまう。
ジェッソ塗りはパネルを平置きにして塗る。
腰痛持ちのため、長時間でのこの中腰の作業は大変つらいものがあるが、「描く」作業とは違い、決まった動作を繰り返すごく単純作業を、好きな音楽を聴きながらやるのは気楽で楽しい。
下の写真は今日塗ったぶん。



今現在の自分の絵のタッチは全体的にもやもやっとさせる感じが多いが、ときに細かい線も使いたくなる時もあるので、支持体の表面はできるだけ平滑な方が描きやすいし好きである。
また、余分な油分の吸収率が良いので、描き進めやすいのも良い。
ジェッソはだいたい一枚に最低6回は繰り返し塗る。
乾いたら耐水ペーパーと手のひらを使って滑らかになるまで磨く。
腰も手も背中も痛くなるが、伝統工芸職人になったような気分になって、作品を作る過程の中で一番好きな作業だ。



上の写真は電気湯沸かし器。
ジェッソには膠(ゼラチンのようなもの)が入っているので、冷えてくるとババロアのように固まる。
それを湯せんで柔らかくするためにいつもお湯をわかさなければならない。
いままでは、そのお湯のために台所とアトリエを行ったり来たり、、、茶の間でTVを見ている家族の間を熱湯を持ってうろうろしていた。
いつかこぼしたら大変なことになるな、、、と思っていたら、父が仕事で使っていたという電気湯沸かし器を譲ってくれたのだ。
子供の時に一度感電したことがあるので、電気モノは恐くて遠慮していたのだが、今では大変たすかって重宝している。
かなり年期が入って焦げだらけだけど、大事に使うよ。
これからもよろしく。

katari-jima (語り島)

先日、自宅まわりと看板工房のわきに育ち過ぎた雑草を刈った。
何年間も手をつけていなかっただけあって、小さな雑草の宇宙の中で色んな発見があった。
例えば、草陰で睡眠中の蛾。
父が発見したのだが、体の温度を一定に保つ為なのか羽を細かく震わせながらじっとしている。
人の気配を感じた途端、一瞬の出来事のように飛び去ってしまった。
あとは、地蜘蛛の巣らしきもの。
草の根元の方と建物の外壁の間に薄いマユのようなものの中に、卵らしきものが入っており、そのそばで出入りする蜘蛛。
私の一番苦手とするものが実は「蜘蛛」なのだが、今回は不思議といつもの恐怖は感じられなかった。
草が伸び放題の雑草の宇宙、、、虫達にとっては長いあいだ一番安心できる安全な場所だっただろう。
それが突然、ヒトの手でいとも簡単に崩壊されていく。
自分が虫だったら、それを恐ろしいと感じる時間もあっただろうか、、、
そんな状況下でも、自分の巣と子供達を守ろうとマユの中へ入っていく蜘蛛の姿を見て、虫にも「命」と「意志」が確かにあると、改めて熱く感じた。

雑草というのは本当に強い。
私の家のまわりに生えているのはイネ科のものが多く、カモガヤ、オオアワガエリ、エノコログサなど。
いつの間にか何も無さそうなところから生えてくる。
根は草丈に比べて驚く程細いが、その生命力は、根が土を巻き込んでアスファルトの上に絨毯のように広がる程だ。
それを剥がしたものが下の写真。

草と根っこの塊


まさに、私が以前作品のテーマにしていた語り島のモデルそのものである。
植物は上にも下にも範囲を広げて成長し続け、土を掴んだままの根と根の間には無数の小さな生き物達が共存し合い動めいている、一つの閉じた宇宙。

剥ぎ取ったこの「リアル語り島」は、しばらくこのまま取っておいてみようと思っている。
いまストップしている語り島シリーズも、もしかしたら新しい形でイメージが湧いてくるかもしれない、、、