裏庭日記 -8ページ目

まっくろな珍客

今年に入って、すでに二回目。
茶の間の煙突からかさこそと来客。
ときどきピヨッと鳴く時もある。
この気配に気が付いたら、もう何も手につかなくなる。
彼等はとても警戒心が強く、怯えているので、こちらから手を差し伸べてもまた奥へ戻っていってしまうだけ。
煙突の入り口(サンタクロースへの手紙を置いておく場所)をそっと開け放ち、そちらから部屋へ入ってきてもらうのを、待たないふりをしながらひたすら待つ。

母が天ぷらを揚げている。
初めて作ったいんげんの天ぷらを味見させてもらう、と、瞬間にバサバサと頭上をものすごい勢いでかすめ飛ぶ真っ黒な影。
彼こそが、今日一日私達が待ち続けたお客である。
あまりに慌てて定まらぬ飛行をされるので、誤って唐揚げになってしまわれないよう、母も慌てて天ぷら鍋に蓋をした。

すすだらけになった真っ黒なお客は、しばらく部屋の空中を右往左往すると、きまって南西の方角にある窓へと直行する。
私はそれを確認したら、付近の窓を全て開け放ち、お客の近くにそっとお水とお米を差し出しておく。
なかなかこちらの気持ちを受け取ってはくれないが、それでも窓辺にちょこんと陣取り、外を見詰めながら、以外とゆっくりしていってくれる。
家の外からその状況を見ると、なんともやっぱり不思議な絵だ。
真っ黒なお客はいずれ気が済むと、自分の好きな窓を決めてそこから外へ飛び去っていく。
その瞬間もやはりあっという間だが、そのときやっと私達は安心して普通の生活に戻ることができる。
あとは淡々と窓を閉め、私達と違う種族との束の間の対面が再びできたことに感謝する。

このような出来事がある度、なんだか微かに小さな温かみを感じる。
だけど、その隣にはいつも得体のしれない罪悪感がちらっと顔を覗かせている。

今日のお客さんも、どこかできっと元気で居て欲しい。



神様のトンボ

昨日、中沼探検へ出かける。
モエレ沼公園にほど近く、まだ畑を作って生活している家が残っている。
平らに広がる緑と土色の市松模様の中に、何十年前からあるのだろうか背の高い防風林が、ぽつん、ぽつんと、古くからある家を守りそびえ立っている。
私が住んでいる地域からこの場所まで、車で10分程度の距離しか離れていないが、その環境の違いといったら、まるで別世界だ。



人工物の硬い音はほとんど届かず、風にそよぐ草花と木の葉の音、どこからともなく聞こえてくるアルトリコーダーのような低い鳥の声などが、普段灰色の箱の中に入ったままの私達の脳を洗ってくれるようだ。
心地良い緑の香りに誘われて奥へ進んでみると、足下を水色に光りながら戯れ飛んでいる者達に気付く。
小さなイトトンボだ。



帰ってから写真を母に見せると、これは「カミサマトンボ」と言うのだと教えてくれた。
何故だか分からないが、両親が子供の頃からカミサマトンボと呼ばれていたという。
カミサマトンボ、、、なんとも素敵な響きだ。
一昔前は、このトンボを見かける度に、山の神の使者が来たんだと子供達は思ったのだろう。
彼等はこのような名前を付けてもらって、人々に大事にされてきたのだ、、、
両親が子供の時に遭っていたこの小さな神様に今遭う事ができたのが、なんだかとても嬉しい。
この先もずっと、神様が遊びに来れるような場所を残しておきたいと、強く思った。


紫の日、クレマチス

今日、今月最初の絵画教室の日。
朝から天気も良く、清々しい日だった。
先月からアクリル画に挑戦中のMさんが、自宅の庭で育てているクレマチスをモチーフに持ってきた。
しっとりと落ち着いた紫色の花が二輪、白いホーロー引きのカップに生けられた。

、、、八月のこの時期になると思い出す人がある。
八月じゃなくたって、いつだって思い出しているが、、、年が過ぎて、また八月になると、あれから何年経ったんだなと、ある一つの節目として、あの人(彼女)がいたときの自分と今を見比べている。
彼女は紫が好きで、いつもモノトーンのシックな服に身を包んでいたが、たいていどこかピンポイントに、今日のクレマチスのようなきれいな紫色の小物やストールを身につけていた。
描く絵の色にも、紫が必ず入っていた。
姿も紫のような美しさで、芯のある、優しい人だった。

今日、彼女の実家に届いたお花の中にも「紫の花がちゃんと入っていた」と、ご家族からお電話をいただいた。

私はまだまだ未熟で、独り立ちも出来ず、頼りない足どりでいるけれど、この時期、いつも心の中で自分と彼女に言い聞かせる。
「貴女の分も、描きつづけていく。」

相変わらずダメな私ですが、どうぞ、見守っててね。

さーっ、頑張らなくちゃ!!