日本ではすっかり国民食になった餃子ですが(異論は認めません!)、中国で餃子と言えば主に水餃子を指します。焼き餃子は中国語で「鍋貼」といいます。
我々の感覚では餃子はおかずです。ご飯に餃子という組み合わせはポピュラーですが、中国では餃子は餃子は主食になります。一度中国でご飯と餃子を頼んだのですが、「店員におかずはいらないのか?」と言われました。ご飯とパンを一緒に頼むのと同じことでしょう。


餃子は中国語でjiaoziといいます。某格闘漫画(?)の影響で、餃子を「チャオズ」と言うことは知られましたが。「ギョウザ」と「チャオズ」では、発音が違います。どうして餃子が「ギョウザ」になったのでしょうか?
そもそも餃子が中国から日本に伝わったのは日中戦争の際だと言われております。当時に中国の東北地方に進出していた日本軍が持ち帰ったものとされています。中国東北地方には、山東半島から移り住んだ人が多いと言います。その山東半島の方言で餃子のことを「ギョウザ」と言った(日本人にはそう聞こえたために)、jiaoziが「ギョウザ」となったと言われております。

唐の時代、日本で言えば遣唐使の時代です。(八世紀)楊貴妃で有名な玄宗皇帝の時代、安禄山と史思明が起こした反乱である。それぞれの名前から安史の乱。


安禄山はソクド人と突厥人の父母の間に生まれる。やがて宰相の李林甫、楊貴妃に取り入って節度史(辺境の守護)の任に当たります。その後昇進を重ね北方で大きな軍力を持つようになります。

そんな中で唐王朝では混乱がおきます。楊貴妃です。楊貴妃の族兄である楊国忠は宰相の地位にあった李林甫を蹴落として、権力の座につきます。楊国忠は安禄山を警戒し、安禄山と玄宗との間を裂きました。離間の計というやつです。玄宗が楊貴妃の言いなりになっていたことはよく知られていることでしょう。

そして安禄山は奸臣楊国忠を討つべく挙兵します。当初その勢いはすさまじく、15万の大群にて洛陽を落とし大燕国皇帝を自称し、その後長安も陥落させ、玄宗は成都まで落ち延びる羽目になります。その道中楊貴妃と楊国忠は殺害され、玄宗も退位し粛宗が後を継ぎます


飛ぶ鳥を落とす勢いの安禄山軍ですが、悲しいかな中国の反乱軍の歴史は、内紛の歴史を繰り返す。まさに判で押したように。


いわゆるお家騒動、安禄山は妾の子を偏愛したため、そのため不安を感じた太子の安慶緒に暗殺されます。太子廃位→暗殺は中国史ではよくある話です。そして安禄山と共に蜂起した右腕というべき存在の史思明はこの件がきっかけで安慶緒から自立します。その後史思明はいったんは唐に降伏しますが、洛陽にいた安慶緒を攻め滅ぼして、今度は史思明が大燕国皇帝を名乗ります。しかし、その史思明も養子を跡継ぎにしようと企てて息子の史朝義に殺されます。

そして、この件がきっかけで唐王朝は衰退し、やがて崩壊します。


中国の反乱軍は、調子に乗って皇帝(王)を自称すると内紛で滅びるケースがよくありますね。

鳥篭経済論とは、鄧小平、江沢民らの積極的改革派の対極に位置する保守派(穏健改革派)の長老であった、陳雲(95年逝去)の唱えた経済論である。


陳雲


鄧小平は知っての通り、積極的改革派としてしられ、改革開放を行い積極的に外資を導入、先富論をとなえ、先に発展させることのできる地域(沿海部)から発展させていくことを唱えた。それに対して陳雲は、均衡発展論を唱え、鳥篭経済論という、計画経済の中(篭)に市場経済(鳥)を閉じ込めることを主張、鄧小平路線に対しては、一貫して、保守派の立場をとった。
先富論ばかりに注目されますが、中国でもこの手の議論がなかったわけではありません。


改革開放における保守派の重鎮で、鄧小平とは対極にいた人と覚えておきましょう。中国共産党は一党独裁とは言いますが、実際は共産党内部でも左派、右派等があったりします。