昨日はワラタネスクエアだった。
三々五々集まってきた人たちとお菓子を前にまったりしていた。
そのときだった。
トントン、というノックの音。
ドアを開けて入ってきたのは、郵便局の制服を来た中年男性。
「ワラタネスクエアに届けたいものがあって来ましたが、郵便では無いんです。」
と、なんだか歯切れが悪い。
私の顔には?が浮かんでいただろう。
男性は自己紹介を始める。
とある神社の別当をしているという男性。
愛称はシモさんとしておこう。
正月に神社に来てくれた人達にこれを配ったら、とても喜んでもらえたので、と言ってシモさんは持っていた紙箱の蓋を開けた。
中には飴玉が2つ入った袋がたくさん。
一つ一つにシモさんが作ったカードが入っている。
シモさんは語った。
「広報でワラタネスクエアの記事を見たんです。その時はそんな場所があるんだと思っただけだったんです。
それから何日かあとの朝、起きたら何かが聞こえたんですよ!
信じてもらえないかもしれません。でも本当に聞こえたんです。あ!ワラタネスクエアだ!つてわかりました。
広報を取り出してもう一度、ワラタネスクエアの記事を見たんです。そしたら、涙が急にどーって出てきて。
ここに行かなきゃいけない。そして、ここに来てる人達はもしかしたらちょっと暗くなってるかもしれない。なら、何か面白いことをして盛り上げよう。そう思ってこれを作ってきました。」
シモさんの話は続いた。
「実は、うちの息子もひきこもりだったんです。その時、私は息子に何もしてあげられなかった。
でも、ここなら、ワラタネスクエアなら、私にもできることがあって、息子への罪ほろぼしにもなるかもしれない。」
みんな、ただ、静かにシモさんの話を聞いていた。
そうか。
そういうことだったのか。
ワラタネスクエアにはなぜか当事者よりも支援したい、何かしたいという人達が多くやってくる。
本当に必要な人達に届いていないのではないか。
それが不安だった。
けれど、支援したいと集まってくる人たちの中にもなにがしかの事情があって、支援することで救われたいと思っているのかもしれない。
先日の『プロフェッショナル仕事の流儀』
ひきこもりの支援を1人でずっと続けてきた石川さんが言っていた。
支援することで自分も救われているのかもしれないって。
その言葉に深く頷いていた。
私も当事者に寄り添うことで、たくさんのことを学び、考えを深め、いろいろな意味で救われている気がする。
実は、シモさんだけではなく、もう1人ひきこもり支援に関わりたくて、と言ってやって来た女性がいた。
ワラタネスクエアは支援したい人たちが集まる場所でもいい。
まずはそんな場所で。
そこから本当に支援が必要な人たちの居場所へと変わっていくこともできるはず。
ワラタネスクエアを始めて本当によかった。
シモさんの飴玉くじ。
私が取ったものに入っていたのは、『明るさ』という言葉。
え?
オカンにこれ以上明るくなれと?
神様、それ、ホントですか?