第3期 砂の美術館
砂で世界旅行・オーストリア編
~貴族文化と音楽の都を訪ねて~
2009年9月18日~1010年1月3日
開館時間:9:00~20:00(入館は閉館30分前まで)
一般¥300(¥250) 小・中高校生¥200(¥150)
()は20名以上の団体料金。障害者手帳持者は無料
マリア・テレジア
本日行ってきました。
スーパーはくと1号に新大阪から乗って約2時間半後鳥取駅へ。
残念ながら雨でした。
一緒に行った子は初鳥取だったので鳥取砂丘に行きたい!って言ってたんですけど、雨だったので断念。
砂の美術館の前が鳥取砂丘なので行きたかったんだけどなぁ。。。
鳥取駅からバスで鳥取砂丘北口で降りる。
出入口は2か所あって、砂丘北口のバス停から降りてすぐの所と、展望台のバス停を降りてすぐの所にあります。
鳥取砂丘北口でおりずに一個前の展望台で降りた方がいいです。
鳥取砂丘北口で降りると登って行かないといけないんです。
展望台で降りると下りながら展示品を見る事が出来ます。
展示品紹介(パンフレットより)
①ベルヴェデーレ宮殿 Leonardo Ugolini イタリア
ウィーンにあるバロック建築最高傑作に数えられる宮殿。17世紀のハプスブルク軍の総司令官で、ナポレオンが「世界が生んだ7人の軍事的天才の一人」と呼んだプリンツ・オイゲン公の夏の離宮。プリンツ・オイゲン公の死後、1752年にハプスブルク家のマリア・テレジア に売却されました。
②馬車の旅 Maksim Bespalov ロシア
この時代の音楽家は、自己研鑽や、より良い雇用主(宮廷貴族等)を求めるためにも諸国を旅していました。
その中でも、モーツァルトは6歳からヨーロッパ中を旅し、生涯の3分の1を旅についやしました。しかし、その旅は決して楽なものではなく、道路がデコボコのため乗り心地は最悪で、車輪が壊れ横転したり、夜は盗賊の襲撃を受けることもありました。
③シュテファン大聖堂 Tan Joo Heng シンガポール
ウィーンにあるゴシック様式の大聖堂。ウィーンのシンボルで「ウィーンの魂」とも言われ、人々はシュッテフルという愛称で呼んでいます。この聖堂を含むウィーン歴史地区は2001年にユネスコの世界遺産に登録されました。モーツァルトとその妻ウェーバー・コンスタンツェの結婚式と葬儀が行われた聖堂としても知られています。
④カールス教会 楊 歴東 中国
バロック建築の珠玉と賞される教会。1713年にペストがウィーンで大流行した際に、その終息を願い、時の権力者であったマリア・テレジアの父カール6世が建築を命じました。ペストの守護聖人カール・ポロメウスに奉献する教会で、この守護聖人の名に因んでカールス教会という名前がつけられました。
⑤マリア・テレジアと音楽家 Ilya Filimontsev ロシア
マリー・アントワネットの母でもあるマリア・テレジア は、名門ハプスブルク家の継承者として、政治的手腕に秀で、教育制度の改革や産業の振興に努力しました。さらに、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどの音楽家を招き、ウィーンを欧州一の音楽の都にしました。特にハイドンの楽曲を好み、ハイドンはテレジアのために交響曲「マリア・テレジア」を作曲したほどです。また、天才の誉の高かった6歳のモーツァルトを招き、皇帝一家の前での演奏に及びました。そのとき転んだモーツァルトを14番目の皇女、後のフランス王妃マリー・アントワネットが助け起こしました。そして。このマリー・アントワネット にモーツァルトが求婚したのは有名なお話です。
⑥ウィーン国立歌劇場 Alessandro Buonopane イタリア
ヨーロッパ屈指の歌劇場。1869年宮廷歌劇場としてモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」上演で開場、1918年から現称となりました。第二次世界大戦で爆撃を受け崩壊したが、10年がかりで再建され1955年11月、ベーム指揮の「フィデリオ」上演で再開。総監督にマーラー、R・シュトラウス、ベーム、カラヤン、マゼールなどが就任してきました。舞踏会シーズンの頂点を極める「オペラ座舞踏会」の会場でもあります。
⑦弦楽四重奏 Alexey Dyakov ロシア
弦楽四重奏は、通常ヴァイオリン2本、ヴィオラ、チェロ各1本ずつの編成で演奏される室内楽をいいます。
ハイドンは「弦楽四重奏の父」と呼ばれていて、68曲もの弦楽四重奏曲を残しており、ハイドンに刺激を受けたモーツァルトも代表作「ハイドン・セット」など、多くの作品を残しています。ハイドンとモーツァルトは弦楽四重奏を一緒に演奏するなどして交流を深めました。その後、ベートーヴェン、シューベルトなど、多くの作曲家がこのジャンルに曲を残し、現代に至るまで多くの曲が作られ、愛されています。
⑧街角の風景 Jill Harris アメリカ / Thomas Koet アメリカ
18世紀末のウィーンは、ヨーロッパの音楽の都として栄ました。それを支えたのが教養豊かな貴族やブルジョアなどの上流階級の人々でした。祝祭日になると、その人々は社交のため広場に集まりました。広場では市が開かれ、庶民の生活も支えられて、街は活気づきました。
⑨オペラ座舞踏会 Thomas Koet アメリカ / 張偉康 中国
芸術と音楽の街、そして「舞踏会の街」ウィーンでは冬のシーズンは数々の舞踏会が開かれます。その中でも、2月の木曜日に”ウィーン国立オペラ座”で開かれる「オペラ座大舞踏会(オーバンバル)」はヨーロッパ社交界でも最も格式の高い舞踏会であり、各国大使や著名人など世界中から数千人が参加します。
⑩砂漠の民 特別展示 茶圓 勝彦 日本
砂漠は、過酷な自然環境のため、穀物を栽培できるような土地にも恵まれず、人々は羊などの家畜の群れとおもに移動する遊牧の生活を強いられました。家畜は、人々の衣食住の一部となり、あとは交易の手段となりました。
この後、バスのくる梨で色々周りました。
3回バスに乗ったら元が取れるので一日乗車券を使いました。300円です。
赤と青があってルートが違います。
どっちも20分毎に出てます。
お勧めはバスの運転手さんのお勧めでもあった”わらべ館”です。
昔のおもちゃや人形がたくさんおいてあります。大人でも楽しめる所です。