楊貴妃
ようきひ
719年ー756年
時代:唐
皇帝:玄宗皇帝
本名:楊玉環
地位:貴妃
中国四大美女の一人。
他三人西施、王昭君、貂蝉
中国三大悪女の武則天(則天武后)は玄宗皇帝の祖母にあたります。
玉環は元々玄宗皇帝の息子(寿王)の妃だったんです。
寿王は玄宗皇帝と武恵妃の息子で、武恵妃と宰相・李林甫をバックに皇太子になれるかもしれなかったんですけど、武恵妃が亡くなって、宦官の高力士の後押しで皇太子は違う皇子に決まったんです。
武恵妃を亡くした玄宗皇帝は凹んでたんですけど、玉環を見初めて息子の嫁を奪うのは世間的にもよろしくないので一度玉環を道士にします。名は太真です。
女道士って言っても形だけで、実際は後宮に入って皇后と同じ扱いを受けたみたいです。
745年に貴妃となり、楊一族も引きたてられます。
兄の楊銛は殿中少監になり、3人の姉は韓国夫人、虢国夫人、秦国夫人になる。
この姉3人がひどい女達でねっ!
妹の玉環が楊貴妃になり、皇帝の寵愛を一身に受けてるのをいい事に好き勝手やりたい放題。
玄宗皇帝の娘の広平公主と姉妹の列が鉢合わせになった時、普通なら公主の方を優先に通すべき所を姉妹がどかずに、その上姉妹の下僕に落馬させられ公主をかばった夫が鞭で打たれる事件がありました。
傍若無人とはこの事ですなぁ。
この3人の中でも虢国夫人は一番傲慢だったみたいですね。
この人は楊国忠と関係を持っていたと言われてるんです。
楊貴妃は傾国の美女と言われていたんです。
傾国と言うのは文字の通り玄宗皇帝が楊貴妃に夢中になり政務などをほったらかしにしてその結果内乱が起きて国を傾けたからです。
楊貴妃は政治に口を出す事も、大きい殿を建てたり他の妃をいぢめたりとかはしていないようです。
唯一梅妃と言う人と張り合ったみたいですけど。
皇帝の寵愛を受けて権力に魅了されて後世に悪女として名をはせた女はたくさんいてますけど楊貴妃はその権力欲はなかったのでしょうね。
安禄山が反乱を起こして皇帝や楊貴妃達は逃げます。
ですが、日頃からよくない行いをしていた楊国忠等は兵士達に殺害されます。
兵士達は皇帝に楊貴妃の死を望みます。
玄宗皇帝は楊貴妃をかばいますが、収まりがつきません。
仕方なく玄宗皇帝は楊貴妃の自害を認めます。
玄宗皇帝はその後も楊貴妃を偲んだと言います。
私の意見として言わせてもらえば、彼女はかわいそうな人。
嫁いだ夫からその父親に嫁ぐって元夫の母親になるって事でしょ??
早馬でライチを届けさせたり少しの贅沢はしたけど、それは皇帝の寵姫としては許される範囲だと思う。
「ねぇダーリン私の為に新しく素敵な宮殿建てて
うっふん」
とか
「あの女ムカつくから殺すか追い出しちゃってよ~」
とか言ってないしね。
皇帝の寵愛を受けてる間は凄く贅沢できるし権力持てるけど、その反面皇帝が違う人を見出したらお払い箱になるんだから。。。
ずっと寵愛を受けていた楊貴妃って凄いと思う。
でも、姉や従兄弟など一族が悪かったね。
楊貴妃自体は何もしていないのに、足を引っ張られた上、その美貌のせいで皇帝を虜にしてしまった。
で、最後は死ぬ事になってしまったのね。
幸せな人生だったのかな。
タイムスリップ出来て彼女に会えたら聞いてみたいね。
楊貴妃伝説
実は太っていた。
実は腋臭だった。
実は陰毛がめっちゃ長かった。
などなどw
あと、実は生きていて日本に逃げて来たという話もあるんですよ。
山口県には楊貴妃のお墓と言われている墓があるし、泉涌寺に楊貴妃観音と言う仏像があります。
楊貴妃観音は楊貴妃のイメージで彫られたとも日本に逃れたと知った玄宗皇帝が楊貴妃の為に作らせて日本に送ったとも言われています。
何かの本で読んだ覚えがあります。
もしかしたらTVで見たのかも。。。?
私が知ってる伝承はこの2つですけど、他にもあるかもしれませんね。
因みに泉涌寺のHPには玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈って造顕された像との伝承を生み、楊貴妃観音と呼ばれて来た。と記載されています。
お勧めは
范冰冰 (ファン・ビンビン)の
大唐芙蓉園(楊貴妃)です。
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