紀元前350年


秦は第二次変法を開始


内容


井田制の廃止。


人頭税の徴収


父子兄弟の同居禁止


奴隷の解放等



この制度が出来てから郿県の白龍(白氏の族長)が太子に会いに来る。


太子は貴族の領地が取られると新法に納得がいっていない。


白龍が太子に会いに来た理由が「新法によってもう太子に仕える事が出来ない」と言いに来たのだった。


それを聞いた太子は怒った。


白龍は農奴たちに土地を与えるが嫌だったのだ。


農奴側は新法によって農奴ではなくなり土地を貰えるはずなのに役人たちも動かないと怒る。


衛鞅は法に背く白龍を逮捕する。


そして白龍に新法の役割を語るが白龍は納得せず。。。


違法をした白龍、職務怠慢をした趙亢達13名が処刑された。


新法に納得しない者がもう一人。。。


孝公の息子・贏駟(えいし)だ。






ある日太子府に麦を奉納しにきたが中身がすり替わっていた。


その為怒った太子に村民が殺される事件が起きる。


太子はそのまま白村に行き罪のない村人を34人殺害した。


怒った白村の村民は秦を出て行こうとする。


太子は捕らわれる。




この太子はどうしようもないな。。。


これが将来君主か?






太子を監督する立場であった虔も処罰の対象となり太子首傅の任を解かれ「鼻そぎの刑」になった。


さらに領地は没収。


太子右傅の公孫賈も同じ罪状で入れ墨の刑。領地没収の上流刑となった。


太子は未成年と言う理由で体刑はない。


でもそれに代わる処罰を受けた。


まず喪服を着用の上死者の葬儀に出る事。


葬儀の支度金を遺族の救済金は太子が負担する。


領地を没収し、俸給10年分の罰金を科す。


太子の反省書を公表しその行為を広く知らしめる。


それに加え君主が太子を宮廷から追放して一介の民として国を巡るよう命令した。



また新しい法律も決めた


人口増加の為の移民奨励


県制の実施 貴族の自治を禁止する。


古い習俗を改め教化を進める。


度量衡の統一


新たな軍制による軍の国府直属化




改革によって生まれ変わった秦が魏といよいよ対決する。






虔いい人やんねんなぁ~


熱いねんっ!!


改革にもずっと支持してくれてたし。。。


処罰する時衛鞅辛かったやろうな。


味方を処罰すると同じやん。。。


太子が一番あかんわ。あいつあかんわ。あかんたれや。


政治に口を出すなって言って新法はどういう物なのかとかちゃんと納得させなかったから反発が起きたんじゃないの??


衛鞅を目の敵にしてるやん。


わかる日が来るのかね~