紀元前361年
秦の孝公が諸国に発した求賢令に応じ山東の書生が次々に秦を訪れた。
これに参加した衛鞅は秦の各地を周る。
衛鞅が秦に来たと聞いた孝公は驚く。
そりゃそうだ。一番欲しいと思ってた人材がきっと衛鞅だからね。
最初衛鞅は孝公に会っても的外れな事ばかり言っていた。
孝公はがっかり。。。
でもこれは衛鞅が見極めるためにわざとしていた。
君主は臣下を選ぶ事が出来るが臣下も仕えるべき君主かどうか選ぶ事が必要。
愚君に仕えてもしょうがないからね。
孝公は衛鞅に選ばれた君主なんだよ。
孝公は衛鞅の才能を認め、彼と改革を進めようと決心する。
孝公と衛鞅は2人で話し合った。
法の裁きは平等
これが衛鞅の考えだった。
孝公もこの考えに賛同し、改革を進める。
だがこの法が後に献公を苦しめる事となる。
項羽と劉邦の話を知った時に秦の法がきつくて劉邦が法を3つだけにした時凄く喜ばれたシーンがあったけどその基礎がここなんだなって思った。
改革を進めようとするがやっぱり保守派もいるんだよね。
でもこの時の秦にはやっぱり衛鞅が推す改革が必要だったんじゃないかって思う。
この改革にのった孝公もやっぱり名君だと言えるんじゃないかな。