中国管釣り情報 〜ルアーで釣っチャイナ〜 -6ページ目

中国管釣り情報 〜ルアーで釣っチャイナ〜

中国の管理釣り場は近年凄まじい勢いで発展しており、釣り場環境面は大いなる発展途上ではありますが、魚種だけで言えば既に釣り堀天国と言われるタイ王国をも遥かに凌駕してます。ここでは中国国内のルアーポンドと、そこで釣った魚を中心に紹介していきます。

からの続き。

 

最終日にようやく雨は上がったが、杯水車薪。ここまで濁流と化した水系に、もはや雨の有無など枝葉末節、実釣に大きな問題ではないが、釣り師の浅はかな下心など、全て見透しでもしたよう蒼穹の下気分だけはすこぶる良い。衛星地図と再度睨めっこをし、濁りが引くのが少しでも早そうな、標高の高い別の支流上流部に入ってみることにした。

 

四駆でも侵入不可能な地点からは、藪漕ぎ。

この釣り師との御縁で、一時は不可能と諦めていた、一連の黒龍江釣行が実現しており感謝しかない。

この場を借りて厚く御礼申し上げたい。

 

後から聞いたところ、この茸は「毒鹅膏菌」という神経毒を持つ猛毒キノコの一種で、50g誤食した場合の致死率は、成人男性で75%以上との事だった。集落の近くでは、職業キノコ狩り師達を数組見掛けたが、空腹でどんなに美味そうに見えても、知識の無い素人は、間違っても採取、口にして等はならないのだ。

 

 

途中、再び天気が崩れ、雨がパラついたりもしたが、もはや行雲流水の極み。

技術、経験、知識、体力共に申し分無い、非常に頼もしいbuddyなのだが、今釣行で、ほぼ確信へと変わった疑念が一つある。恐らく、恐らくなのだが、類稀なる非常に強力なrain magnetなのでは無いだろうか。

 

ウェーディングした感じでは、恐らくこの支流は通常水量なら中洲があり、その両脇が急深の深場で、常に魚が着いて居そうな良場だっただけに、今回の天候が悔やまれた。

 

いい川、たくさんの雨、悪い水、けなげな釣り師。である。

 

 

帰路は、諸事情にて今釣行後ほどなくして廃止となった、嫩江発、チチハルを経由してハルビン東へと向かうK5114次に、往路と同じ北安駅から乗車。

 

帰路車中にて、一つ非常に有益な発見が有った。今迄に何度、寝台列車での長距離移動をしたのかなど、到底覚えていないが、内数回は今回と同様にスケジュール上已む無く、スリーパー(寝台)が取れない、もしくはスリーパー(寝台)の設定が無い列車にて、硬座という垂直背凭れの非常に疲れる座席での、長距離移動を余儀なくされた。これは、極力時間の浪費を避け、1秒でも長く水辺で竿を振って居たい、釣り師に取ってはパフォーマンス低下要因でしかなく、可能な限り移動中は良質な睡眠を摂りたいものなのだ。しかし、なんと、交渉次第だが空きさえ有れば、乗務員用に用意されている寝台の予備分を、借り(買い)受ける事が出来るという下克上システムを、ひょんな事から今更にして初めて知った。この時は、運よく空きが有り、硬座(座席)チケットから硬卧(寝台)チケットへの差額を支払う事で、身体を横にしてぐっすりと眠ることが出来た。

途中から貼られたカーテンの向こうは、先頭機関車両にドア無しで直結しており、カーテンを貼る前は、普通に運転席迄歩いて行けてしまう状態だった。

 

ハルビン東駅からは、ハルビン空港へバス移動し、上海迄の直行フライト。離陸直後に見えた黒竜江省の河川は、何処も未だに氾濫が収まってなかった。

 

 

今回の水系が空振りに終わったことにより、黒竜江省アムール川水系にて、真偽は別として現時点でタイメン生息情報が得られている地域は、残すところ大兴安岭地区だけとなってしまったのだが、大兴安岭地区は大部分の目ぼしい水辺が、ラムサール条約登録湿地なので、流石に彼の地への釣行許可所得は、限りなく不可能に近いかも知れないが、けなげな釣り師達はペルシステンテにつき、当然、アプローチは続ける積りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

からの続き、

 

7月29日午後8時から8月2日午前7時にかけて、北京市にてこの140年で最多の降水量を記録した雨雲の中心は、折しも釣行日程ドンピシャで東北地方一帯へと移っており、この日、当地の黒龍江省気象台は、集中豪雨について最も深刻なレベルの赤色警報を2度発令し、地域住民には退避指示が出ていた。

何か有って、今釣行にご尽力頂いた方々に迷惑を掛ける訳にはいかないので、当地水系管理機構関係者の方の指示を厳守し、初日は少しでも危険となれば、直ぐに避難出来る範囲での釣行とするにはしたが、この水量、濁りでは魚信どころか、気配すら感じる事は不可能だった。

至る所が氾濫、冠水しており、

雨季のアマゾン川ですら、ここまで傍若無人ではないだろう。

 

流石にこれではどうにもならないので、初日は早めに切り上げ、明日以降に淡い望みをかけつつ早々に就眠し、迎えた二日目早朝。

雨脚は幾分収まったが、一度氾濫した河川が直ぐに落ち着く筈もなく、半ば藁にも縋る思いで、少しでも濁りが浅いかもしれない上流を目指す事にした。

 

途中、雨の切れ間も有り、天候は回復しているかに思われたが、

増水も、一度入った濁りも、そう簡単に収まる筈は無く。

地元の方によると、平常時の川幅で三倍、水深で二倍近いとの事だった。

そして二日目も、文字通り泥沼で終了した。

 

三日目は、更に雨脚も収まって来た事と、上流域も下流とほぼ同じ状況だったので、どうせならばと本湖(ダム)へと降りてみる事にした。

 

元々、今釣行で一番の目的ポイントは本湖(ダム)バックウォーターだったのだが、氾濫に伴い陸路ではアプローチ不可能となっていたので、本湖(ダム)から船でアプローチ出来ないものか、岸辺に居た漁民らしき方と交渉してみたところ、

 

距離的にバックウォーター迄行くことは出来ないが、対岸までなら船で乗せていく事が出来るという返事を貰ったので、取り敢えず様子見に行ってみる事にした。

途中晴れ間も見えつつ、ダム岸数カ所にて数時間竿を振ってみたが、このダムに大型のフィッシュイーターが入ってる形跡は全く見つけられず、 結果としては、賽の河原の石積みであったが、その存在すらもおぼろげな未釣の大魚に出会うのは、一見不毛とも思える行為の、着実な積み重ねの結果でしか無いのであろうと、心得ているつもりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上記からほどなくして、再び黒龍江(アムール川)水系でのHuchotaimen フーチョータイメン(哲罗鱼)に行っていた。

 

今回もまた、強力な釣師の御縁で、本来は外国人による釣行の許可など、到底降りそうも無い水系に入らせて貰う事が出来たのだが、御尽力頂いた方々に迷惑を掛ける可能性が少しでも有る以上、引き続き実釣及び地名詳細等は割愛させて頂きます。

 

今回の目的地の大まかな地点は、ロシアのブラゴヴェシチェンスクБлагове́щенскと、黒龍江(アムール川)を挟んで500メートル程の距離で向かい合う黒竜江省黒河市の南東部に在る、某ダムへと流れ込む水系。

Image©️2023 TerraMetrics, Map©️2023 Google, TMap Mobility

© 腾讯地图

この水系にてのタイメンの噂は、かれこれ6.7年前に釣り仲間から聞いており、一度は現地の漁協の連絡先を調べ、コンタクトを取ったことも有ったのだが、対応してくれた方の話では「釣りの許可に関しては、公安もしくは水系管理機構の管轄になるので、漁協がどうのこうのと言える立場には無いが、冬の時期なら、某部署の監視もゴニョゴニョになるので、釣り位しても問題無いと思うがね。」という事だったので、ならばとりあえず一度行ってみようと、現地情報を収集すればする程、その峻烈な現実に怠け癖が頭を擡げはじめ、いつしか頭の片隅に追いやっていた水系なのだ。

 

6.7年も怠け癖が頭を擡げ続けた理由としては、現地漁協の方がいう”冬”の時期は、気温がー30度以下まで下がるので、目的の水系は完全凍結しないものなのか不確実で有ったこと、そして、当然ながら交通手段は皆無な上、無許可釣行となるとドライバーを雇う訳にもいかないので(仮にドライバーを雇えたとしても、冬季に車での侵入は不可能だろうが)、最寄りの集落より入渓地点まで、約20kmの雪道を重装備で徒歩で向かい、その後は野営しながらラッセルで釣り上るという、中々にハードな釣行となる事が明白だったから。

しかし、先に述べた強力な釣師の御縁で、現地水系管理機構Topの方より、直に釣行許可を頂く事が出来、前回の黒龍江(アムール川)水系釣行よりほどなくした頃、再度この水系へ冬季以外で黒龍江タイメン調査釣行に向かう事が出来た。

先ず、上海より北京を経由してハルビンまで飛び、その後ハルビン東駅よりK5133次の硬卧に乗り込み、

 

途中呼兰、康金井、石人城、兴隆镇、绥化、张维屯、绥棱、海伦、と経由し終点である黒河駅二つ手前、雨の北安駅にて下車。

 

この駅が、目的の水系への最寄り駅となる。

 

この日は北安で一泊し、翌日手配して貰った四駆を受け取り、今回釣行許可を出してくれた責任者の方へ挨拶を済ませてから、目的の水系の最寄り集落まで移動した。

途中、広大無辺な北の大地に広がる農地を眺め、その厳寒期を想像すると、かつての開拓団達に畏敬の念を抱かずには居られなかった。地元の方の話では、今日でも現役で稼働している、かつての開拓団達が施工した水路や橋が有るとの事で、本当に頭が下がる。

 

そして、その日は集落の有力者の方の小麦精製工場表敬訪問や(この日はその工場の一角に泊めて頂いた。)、御自宅に招いて頂いての夕食会で恙無く一日が終わり、上海を出発して3日目の早朝、漸く目的の水系に向かう事が出来た。

水辺までの道のりは分かりづらく、途中からは電波も入らないとの事で、初日は現地水系管理機構関係者の方に先導して頂いた。

 

今回の釣行の起点となった鉄橋。