1700年頃ですから

 

江戸時代となります

 

琉球に程順則という人物がおりました

 

当時

島津に管理され日本の制度などが持ち込まれ

 

揺れ動く琉球で

 

彼は官僚としてその普及や定着に寄与した。が・・・

 

その際

 

何度か中国に派遣された時に

 

学び得た学問は役に立った

 

そして

それは

実は

 

日本の教育に大きな影響があったと言いたい。。。

 

ここで伝えたいのは

程順則が持ち帰った「りくゆえんぎ」である

 

「六諭」

孝順父母

尊敬長上

和睦郷里

教訓子孫

各安生理

母作非為

 

読んで字のごとくである

 

何か少し「勅語」のニオイも感じます

 

これ日本で最初の「道徳」の教科書って話もあるそうですが。。。

 

で、この時代の学びの場といえば藩学になります

 

孔子廟

明倫堂

講堂

学寮

 

諸藩では「朱子学」中心の座学(書上磨錬っと言っていいでしょうか)で

 

どう生きるかを学んでいたようです

 

前述の「六諭」は、吉宗さんが「いいね!」をあげたようで

 

1720年頃いっきに拡散されたのですが

 

こちらもまた静的な学びだったのだろうか?

 

歴史上

なにかの影響力があったと云う物語が見えてこない

 

ただ、こうも考えられる

 

静がしっかりとしていたから

動が素早く動き出せたのではないか・・・と。

 

結論から言うと

「朱子学」と「陽明学」が人と時代を動かした・・・と。

 

1800年代後半から

 

「陽明学」が広まっていったのは

 

御存知、吉田先生の力でもある

 

ベースは同じ儒学である性善説である

「朱子学」との決定的な違いは何なのか?

 

答えは簡単!

「陽明学」は事上磨錬による育成なのだ

 

岩崎弥一郎や渋沢栄一、東郷平八郎そして三島由紀夫等々

 

この学問、思想に影響を受けた人物を見ればよく分かるだろう

 

当然、吉田先生を師にもつ維新の志士たちも同じである。

 

 

 

ではここで確認します

 

吉田先生の最期の歌

 

「かくすればかくなるものと知りながら

やむにやまれぬ大和魂」

 

小中学生にこの歌の意味や思いをどう説明しますか?

 

特に他人から「○○先生」なんて呼ばれている方からは

ちゃんとしたお答えを頂きたいなぁ

 

 

 

ちゃんちゃん