こんばんは♪
とここまで書いて
寝落ちでした
(はやっ!)
なのでもう
今日という日が
終わってしまいました
スッキリしない頭を
なんとか奮い立たせて
ブログを書いています
去年、母の日に何かあげた?
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今年は5月9日で
もう終わったんですよね
それでも
去年、母の日に何かあげた?
ですから
去年の事を書けば良いのかな?
残念ながら
母が天国と言う所に
行ってからもう10年近く
私は母の日にプレゼントを
あげる人から
貰うだけの人になりました
私の母は
私を産んだ時の年齢が
36歳でしたので
その頃の時代は
高齢出産と言われたでしょうね
私の同級生の
お母さん達と比べると
学校の父兄参観に
(今は父兄参観なんていわないのかな?)
やって来る母は
やはり歳をとっている様に
見えたかも知れませんが
職業柄(理容師)と
それに普段から割と
派手目の人だったので
みんなのお母さんより
年取って居るからとは
思った事がありませんでした
そして
何故高齢出産に
なったかと言うと
母は一度結婚して
(それも昔で言う 親が決めた相手と)
私の父親違いの姉を
産みましたが
その旦那さんが
あまり働かない人で
(俗に言う 髪結いの亭主ですよね 理容師だけど)
挙げ句の果てに
母の大親友と浮気をしたのが
バレてしまい
母の怒りを買い
追い出されてしまったそうです
(婿だったからね)
その数年後
私の父となる人と出会い
結婚したのだが
その結婚も
父が母より5歳年下で
しかも父が初婚だったので
父の実家の親族からは
『子持ちの年上の女に騙されて居る』と
猛反対にあったそうです
良くある話しです
それでも父は
その猛反対を押し切り
自分の身の回りの物を詰めた
段ボールを担いで
(ボストンバッグではなく段ボールだそう 時代が解るね)
母の家にやって来たそうです
でもね
その時に父が
結婚を諦めていたら
兄も弟はもちろん
私はこの世にいなかった訳で
そう思うと
父の大きな決断に拍手ですね👏👏
父が結婚を諦めなかったから
私が生まれて来れたんだもの
そんな父も母も
この世に居なくなってから
もう10年ぐらいになります
年下の父が
母より早く天国に行ったけれど
今は母と再会して
二人共楽しく過ごして居ると
思いたい私です
ではでは
今日はこの辺で
千夢でした