英会話に憧れていました(^^;;
♪ちむちむ・ちむりん・ちむりんドール♪♬
子供の頃から外国に行きたいと思っていたので
近所のYWCAで開催されるバザーやクリスマスパーティーが好きでした。
子供向けの英会話の体験教室も覗いたけど
外国人のマダムは迫力があり過ぎて
勝手が分からず途方に暮れて参加できませんでした(-。-;
英会話教室に通うようになったのは鹿島に来てからです。
教育委員会や実業高校主催の短期間無料教室が定期的に生徒を募集していました。
講師は中学や高校に派遣されたALT(アシスタント・ランゲージ・ティーチャー)ですが
人気のある先生の場合は希望者が多くて抽選に漏れたりしていました。
それでも大概は受講できたので田舎って競争が少なくてありがたいです。
何度か無料教室に参加しているうちに
だんだん顔見知りが増えてきて
自分たちで英会話教室を立ち上げることになりました。
希望者が集まって「レッツチャット」というグループを作りました。
生涯教育課のお部屋を借りて
自分たちで先生を呼んで授業をしてもらいます。
ALTの任期は最長3年ですが1年で帰ってしまう人もいて
入れ替わり立ち替わり色んな先生に教えてもらいました。
英会話教室は他にも幾つかあったので
毎週先生を確保するのは骨の折れる仕事てした。
そんな中 2000年にALTが総替えになったのです。
それは偶然の出来事でしたが
中学校にエンダとニコラ、高校にアレックスとピーターが
新任のALTとして赴任してきました。
全員新任なので他方面とのしがらみがありません。
ALT同士は連絡を取り合って仲良く交流していたし
レッツチャットのウェルカム・パーティーには全員招待しました。
夏休みに実業高校で開催していた無料講習の先生がアレックスでした。
体格のいいスポーツ選手のような精悍な青年です。
私はマッチョなイケメンは苦手なのですが
とても丁寧に教えてくれる先生だったので直接交渉して
レッツチャットの専任になってもらいました。
アレックスはこれまで会ったどの先生より熱心だったので
近所のTさんの家にも補習に来てもらいました。
Tさんの家はうちから3分くらいの場所なので
私は娘と息子も連れて行きました。
授業の後でトランプやゲームをしたり
みんなでお花見やカラオケにもか行って
言葉の壁を感じる暇もないくらい仲良くなりました。
それまでにもたくさんの外国人やALTと交流したけれど
友達のような接し方をしてくれたのはアレックスが初めてでした。
英語が喋れるようになったと錯覚するほど英語漬けでした。
私はその頃緑内障の手術をして人形制作を続けることに不安を感じていたので
これからは外向型の人になって社交面を鍛えようと思いました。
小さい頃は歌ったり踊ったりパーティーが好きだったのに
人形にのめり込んでいくにつれて社交が苦手になっていたことに気付いたのです!
ところがアレックスが突然ギランバレー症候群という難病にかかってしまい
歩けなくなって入院しました。
カナダからお母さんのマドレーヌ(マド)が来て
アレックスのアパートから病院に通っていました。
病気には不安がつきものですが元気で明るいお母さんでした。
マドは私たちと同年輩だったので一層親しくなりました。
アレックスは退院してからも帰国しないで車椅子で学校に通いました。
3年の任期を終えて帰る時には杖をついて歩けるまで回復していました。
アレックスとは英語の講師として始まったお付き合いでしたが
病気を乗り越えたことで人生を見せてもらった気がします。
アレックスが来れない間は
レッツチャットの講師はニコラが引き継いでくれました。
ニコラはおとなしいけど芯の強い女性でうちにもちょくちょく遊びに来てくれました。
ニコラも鹿島に3年滞在してからニュージーランドに帰りました。
ピーターは任期が終わってから高校で助手を務めていた人と結婚して
今も鹿島の隣町に住んでいます。
エンダだけが1年でアイルランドに帰りましたが
翌年ニコラのいるアパートに遊びに来ました。
2000年に新任だった4人が仲良くしてくれたのは生徒の私たちにとっても幸いでした。
ニコラの後に来たオーニヤはうちの娘と親しくなり
帰国後泊まりに来てくれました。
結婚式に招待してくれたケイトはピーターの居たアパートに住んでいました。
ケイトは何度もうちに来てくれたし私も時々アパートに行きました。
私のことを日本のお母さんと呼んで信頼を寄せてくれました。
だんだん慣れてALTとの付き合い方もわかってきましたが
ALTさんは入れ替わり立ち替わりやってくるし
大学を卒業してすぐに来る人が多いので
みんな若くて私とは歳が離れる一方です。
親しくなってもすぐにいなくなるので次々知り合いが増えることに疲れてきました。
帰国したアレックスやニコラにメールを書けばいいのに
離れてしまうと連絡する気にもならない自分にも呆れていました。
そんな中アレックスがうちに泊まりに来て私に夢の続きを見せてくれました。
そして2006年にカナダ旅行をして
「外国人の友達の家に遊びに行く」という夢を叶えてくれました。
しかし私はカナダに行ってみて気付いたのです。
自分は目が悪いし難病持ちなので海外生活はできそうにないこと
ずっと憧れていた海外留学をする気力がなくなっていること
おしゃべりは苦手で外国語で話したい話題など無いのだということ
日本人なのに日本のことを知らなくて外国人に話してあげれないこと
カナダではアレックスとマドがもてなしてくれて毎日楽しかったのですが
日本に居たら気付かないことを色々考えさせられました。
そしてカナダから帰国した数時間後に
ケイトが佐賀で交通事故に遭って呼び出されました。
幸い命には別状なかったのですが
骨折していたので集中治療室で一晩中付き添いました。
それで私はやっと気付いたのです。
外国人だから特別ということは何もなくて
みんな同じ人間だという当たり前のことに!
それまでの私は外国への憧れが強過ぎて外国人コンプレックスだったのだと、、、
人間として対等だと頭では理解していたけれど
黄色人種であることになんとなく引け目を感じていたかもしれないし
英語を話したくても上手く話せないので込み入った会話はできません。
相手に合わせることで精一杯なので自分自身の文化を見失っていました。
気付けば漢字も忘れかけています。
海外に憧れるのもいいけれど
日本のことをもっと学ばなくてはいけないとやっと気付いたのです。
とかく先進国の人に憧れて後進国の人を見下しがちですが
どこの国の人もみんな対等で優劣は無いのだと今は思っています。
都会の人と田舎の人もお金持ちと貧乏人もみんな対等なのてす。
理屈ではわかっているのですが
綺麗な人や才能のある人には憧れるので
コンプレックスは永遠に付き纏いますね。
しかし英会話に対する憧れは消えました。
今は性能の良い翻訳機があるので
英語を勉強するより翻訳機を使いこなす方が早道です。
アレックスのメールも日本語で来るし私は日本語で用件を伝えます。
便利な時代になりました。
それでも時々Eテレで語学番組を観たりします。
言葉は文化ですからね、語学番組は面白いです。
今日は曇っていましたが
空は意外にもドラマチックでした。
風が気持ちよくて過ごしやすい季節になりました。
秋ですね〜、、♪
来月はアレックスが我が家に来ます、、、
やっぱり会話は英語でしょうね、、、
ちゃんと喋れるか不安です(^_^;)

